旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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3月17日 日曜日    天気は晴れ 

今朝は3人でお粥を食べる事にしていたのに、優泰は「コーンフレークを食べる」と言い張って、優泰だけは連日のコーンフレークを食べる。私は小屋がけ食堂から白粥とパックブン(青菜)の炒め物を買って来て食べる。

午前中に古いFujitsuのノートPCを調整して、なんとかダイヤルアップでネット接続できるようにする。もらい物ではあるが、どうにも手のつけられないPCで、ISPにログインしてもWebに入れないし、メールの送受信もできなかったのだ。本来ならばPCのフォーマットをして、中身を空にしてから再設定をしていきたいところだったが、バックアップのCDROMも起動ディスクもなければ、ウインドウズのPINもない。仮にあったところで、こんどはCDROMドライブを接続するPCカードもないという、役たたずブリである。取りあえず、モデムなどのドライバーを1つずつ入れ替えをして、なんとかネットに入りこめるようにした。さて、これで何とかPCショップに持ち込んで下取りしてもらえそうだ。もっとも、いくらで下取りしてくれるかは、わからない。日本でなら逆に廃棄料を請求されそうだ。

午後、ビデオデッキを受け取りに行く。空港の南にある新興住宅地と聞いていたが、かなり外れに位置していて、チェンマイの隣町ハンドンとの町境にあった。住宅地自体は広大な敷地に大きな邸宅が立ち並ぶと言う、お屋敷街を形成しているのだが、一般のタイ社会からは隔絶されているようだし、住人も外国人が多いようだ。このような所だと、実生活の面で、車がなければ買い物もできないし、タイに住んでいると言った実感も伴わないだろう。

ビデオを譲って(売って)下さるお宅は正に引っ越し準備の真っ最中で、家中に整理中の荷物が広がっていた。3年ほどの赴任生活だったそうだが、やはり一軒家を借りていただけあって荷物の量が半端でない。海外に移り住むのは簡単だが、海外から戻るときには、それまでに買いこんだものなども加わって、引越しは大変になるみたいだ。私たちも今から覚悟しておかなくては、、。

ビデオはテレビとの接続を心配するまでの事はなく、ビデオ自体にRF出力端子が同軸ケーブルで組み込まれていた。チャンネルはUHFの30か39に合わせるようになっており、これならばコンバーター無しでも可能だろう。これで結果オーライと言う事になる。ビデオデッキの他に日本のテレビ番組を録画したテープも段ボールにひと箱もらって来た。なんとなく、お母さんがビデオ漬けになりそうでちょっと心配である。本当は私はビデオなど欲しいとは思っていないのである。東京にいるときも優泰とお母さんはほとんど1日中ビデオを着けっぱなしにしていたこともしばしばだった。

今年初めてのマンゴーをタニン市場で買う。1キロが50バーツで、3つ買えた。タイの人たちはまだ青いマンゴーを好んで食べるが、私たちはやはり黄色く熟した甘いマンゴーが好きだ。あちこちの家の庭にマンゴーの木が植えられており、そろそろ小粒のまだ青くて硬そうな実が揺れ始めている。早く1キロ30バーツくらいになって欲しいものである。

 

朝食
今日も優泰はコーンフレーク。お母さんと私はお粥を食べる。
昼食
優泰とお母さんはフライドチキンともち米。私は斎(精進料理)のトムヤム風味即席麺と一昨日の残りの大根の味噌汁。
夕食
タニン市場で惣菜を買いこむ。カニカマと中国豆腐の入った白菜炒め、チキンの入ったパイナップル炒め、グレーンカレーと中国ソーセージのチャーハン。

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(2015年5月からのブログ)

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