旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月16日 水曜日    天気は晴れ

 午前3時、チュンポンの町まであと50キロほどのところでガソリンスタンドに立ち寄る。あと一息で到着。約20時間ほど走りつづけて来たわけだ。もう少しで到着できると夜道を再び走り出したところで、急激な眠気に襲われた。ハンドルを握っていてもウトウトしそうになってハッとする。それでは危ないと判断し、安全そうな路肩にビートルを停車させ、仮眠を取ることにする。ほんのわずかでも仮眠しておけば、多少はすっきりして、残りの30キロを安全に走り抜けられるだろう。
 ビートルの狭い運転席で仮眠を取るのは楽ではない。狭い上に、シートはリクライニングしない。後部座席は、私が特別改造したフラットなベッドになっているが、そこでは優泰が大いびき中である。助手席側にもたれかかるようにして寝る。楽な姿勢ではないが、睡魔のおかげで、1時間ばかし仮眠することができた。午前5時前に再びエンジンを始動させ、チュンポンへ向かう。

 チュンポンの港からタオ島行きの船が出航するのは朝7時であり、まだ時間があるので、町外れの田舎道へそれてみる。チュンポンあたりまで南下してくると景色は南タイの典型的な農村風景となり、チェンマイのそれとはだいぶ違ってくる。椰子の茂みがあり、土の色や緑の濃度、人間の顔の表情まで違っている。顔がチェンマイの人と比べて黒いだけではなく、骨格からして異なっているように思える。マレー系の血も混ざり合っているのだろうか、、。チュンポンの町の朝は、やたらとパートンコーを売る屋台が多い。パートンコーをあげる油鍋が道の両脇にいくつも並んで熱々のパートンコーが長い菜ばしで拾い上げられたり、反されたりしていた。

 今回はセンソン社のスピードボートに乗る。前回乗ったコタオ・クルーザー社の船は2時間半の所要と聞いていたのに、実際には3時間以上を要していた。今度乗るセンソン社の船も所要時間は2時間半となっているが、果たしてどうだろうか、、。乗船してみると白人観光客はほとんど全員デッキに出ていてエアコンの効いている船室にはちょっと暗そうな西洋人のおばさんが一人いるだけであった。船室の作りはコタオ・クルーザーの方が良かったかもしれない。シートはプラスチック製で、硬い。よく駅のベンチにあるようなやつである。あの駅のベンチと言うのは、ごろ寝をさせないような作りになっていて、このシートも横になるとシートとシートの間に凹凸があって痛い。しかし、眠気の方が強くて、タオ島に着くまでのほとんどを寝ていた。タオ島へはやはり3時間かかって到着は10時となった。

 今回は港近くのダイブショップで斡旋されたサンセットブリリゾートと言うホテルに泊まる。1泊素泊まりで700バーツと言うから、私が泊まる宿屋としてはずいぶんと高いほうである。それでもエアコンもホットシャワーもないと言う。が、木立に覆われて、涼やかでなかなか良いバンガロー風のリゾートであった。案内された部屋は小さな池にかかった緑色の橋を渡ったところにあり、室内は小奇麗にされていた。冷蔵庫もテレビもあり、まぁ700バーツならこんなものかと納得できるような部屋であった。

 昼食を食べた後、ホテルのプールサイドで昼寝をする。椰子の木陰で昼寝と言うのは実に気持ちが良い。丁度、海からの潮風も吹いてくるし、プールサイドで本当に寝てしまうような人はそれほどいないと思うが、私はほんの少しタイのウイスキーを口に含んだだけで夕方まで眠ってしまった。海は遠浅すぎて泳げない。しかも、日中は引き潮なのか、かなり沖まで潮が引いており、波打ち際すぐからリーフになっていて、サンゴだらけで、これまた泳げない。なるほど、海辺にあってもプールがあるわけだ、、。日が弱くなってから優泰と浜辺でバドミントンをする。セコセコした生活をしているが、たまにはこうしたリゾートライフも良いものである。2泊3日と言うのも、私たちには丁度良い。

朝食
チュンポンの町外れの路上朝市でマントウを背割りにして、そこへ小さなソーセージやツミレ、ゆで卵を挟み込んだホットドック風のものを食べる。
昼食
ホテルの食堂にて鶏ひき肉のバジル炒めライス。
夕食
サイリービーチはずれの食堂にて五目野菜のオイスターソース炒め、鶏肉の赤カレーを食べる。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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