旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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1月16日 金曜日    天気は晴れ

 優泰を学校へ送ったその足で、お母さんと市場へ買出しに行く。まずはムアンマイ市場。ここでは野菜類を中心に買う。日本では寒い季節と言うのは野菜が高くなるものだが、チェンマイでは少しだけ寒いこの季節でも、別に野菜が高くなると言ったことがないようだ。今日はほうれん草も安かった。それと朝早い時間の野菜は新鮮に見える。人手も多くて活気がある。美味しい野菜を売っているように見える。新米もタイ米とモチ米を2リットルずつ買う。1リットルが15バーツほどである。
 続いて金曜朝市へ行く。金曜朝市とは私が勝手に呼んでいる名前なのだが、ナイトバザール近くで金曜の朝だけ開かれる市である。ここは他と違っていて、山地民の生産した農産物や加工食品を中心に売っている。そんな関係で市内ではあまり見かけないモノが買える。もともと山地民が栽培していたのかどうか知らないが、日本風のモノが沢山ある。今日は春菊と日本米を見つけた。また、日本だけでなく、韓国人の在留者も多く利用しており、お母さんは韓国料理に欠かせない豆モヤシや平べったいモチを買っていた。他にも中国から流れてきた缶詰などや調味料も売られている。タイ語よりも中国語のほうが良く通じて、料金も安くしてくれる感じだ。
 なお、朝市で買い物をしている20分ばかりのあいだ、ナイトバザール裏の駐車場にビートルを止めていたのだが、出ようとしたら駐車料金として30バーツも請求されてしまった。この金額、日本で言ったら銀座に止めているのと同じ位の感覚である。

 本日は、タイでは「先生の日」と言う事になっており、ほとんどの学校が休みである。ただし、優泰の通うインターだけは半日授業だそうで、昼前に迎えに行く。そして、前期の成績表を渡される。期待はしていないが、相変わらずの低空飛行である。ほんのわずかに良くなっている項目もあるが、悪くなっているものもある。同じ3年生の女の子と成績表の見せ合いっこをしたが、その子のは大半が"E"がついている。Eと言うのは、エクセレントの意味で、日本なら「優」に相当するのだろう。その子は「でもね、EだけじゃなくてN/Aもあるのよ」と言う。N/Aと言うのは、その授業がアレンジされていないと言う意味である。それに対して、優泰のは良くて"G"である。これはグレートではなく、グッドの意味で、日本語なら「良」に相当する。そして多くが"S"サティスファイ=「可」である。先生からのコメントも毎度厳しい。
 それでも、多少は進歩が見られるのか、ようやくESLを終えることができたようである。ESLとは、英語の授業に付いていくだけの語学力のない生徒を対象に、英語の補習をしているものである。普通は日本人の子供でも1年で終了できるらしいが、優泰は2年半でやっと終了できた。これは実に喜ぶべきことである。優泰のためにも、そして私のためにも。なぜならば、このESLの補習にかかる授業料だけで年間に5万ハバーツにもなる。円換算で14万円ほどである。

 お金の話が続くが、無収入の私にとって、出費ほど怖いものはない。日本から持ってきたお金は円建てのトラベラーズチェックにしてある。そのチェックを毎月両替しながら暮らしているが、残りのチェック枚数を数えたらば、もう両手の指を折って数えるまでもないくらいに枚数がなくなっている。単純計算すると、あと2ヶ月分くらいの生活費にしか相当しない。タイの銀行にある貯金を合わせても、せいぜいが半年持つかどうかである。財政事情は緊迫の度合いを高めている。K.K.トラベルを1日も早く黒字体質に改善し、私に対して給料を出せるだけの体力にさせなくては、、、。もう、ダラダラ生活などしている余裕はない。でも、ダラダラからの脱出と言うのはなかなか難しい。それができるようになれば、日本での社会復帰も可能なのだろうが、、、。

朝食
白かゆと小海老の佃煮。
昼食
チャーハン。
夕食
もらい物の焼肉。

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(2015年5月からのブログ)

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