旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月15日 木曜日    天気は曇り 

 運動もせず、ダラダラと目を覚まし、グダグダと優泰を学校に送り出す。

 新学期が始まり、優泰の学用品で必要なものを買出しに行く。持ってくるべき学用品が書かれたプリントがあるが、ひとつ理解でき無いものがある。「フォルダー、プラスチック製でないもの」とある。いったいなんだこりゃ?この謎を探るために優泰の学校内の文具売場に行ってみる。謎は簡単に解決した。紙ばさみ(紙製のファイル)であった。「プラスチック製でないもの」などと書かずに、「紙製」と書いてくれれば良いものなのに、、。

 他にも必要なものがいくつかある。マーカーペン、筆箱、色ボールペン、クリアファイル、書類ケース、、。この辺のものはラチャパット大学前の文具屋に買いに行く。優泰の学用品ばかりでなく、お母さんのペンも何本か買う事になる。これらは韓国製。「先週韓国から帰ったばかりで、韓国製の商品をチェンマイで買うとは、、」とお母さんに言ったところ、「韓国人だから韓国製のものがフィーリングに合う」のだそうだ。

 体操着も新しいものを買うのだそうで、シャツの方は学校で1着100バーツで先ほど買ったが、パンツは「ダークカラーの短パンなら何でも良い」と言われたので、スーパーへ買いに行ってみる。チェンマイ市内にいくつかある巨大スーパーの内でもお母さんお気に入りのBIG−Cに行く。しかし、どこのスーパーもそうなのだが、品揃えはあまり良いとは言えない。広い売場の中に同じ商品が山済みで売られているだけで、感じとしては日本のディスカウントストア並の品揃えながら、格安品はあまり見かけない。近所のスーパーと値段的にはほとんど変らない。衣類などはデパートほどの高級品ではないので安いが、市場ほどのバラエティーはない。

 夕方から、同じアパートの14階に住まれているO女史の訪問を受ける。お母さんたちが韓国に行って、部屋を留守がちにしていた間、鉢植えを預かってもらっていた。そしてO女史も月末には日本へ2ヶ月ほど帰国して、デサインしてチェンマイで製作した衣類を販売してくるのだそうだ。夕方から話しこみ始め、夕食も一緒にコカへ行ってタイスキ鍋を囲み、さらにコカで飲み残したボトルを持ち帰って、アパートの部屋で飲み直しながら話しこんだ。取れたてて、特記すべき話題もなかったのだが、「お母さんは白雪姫で、私の存在はその物語に出てる小人のような存在だ」と言う話をして盛りあがってしまった。
 私は、チェンマイでほとんど日本人との付き合いを持っていないが、O女史は日本人長期滞在者の集まりである「もういい会」や日本語フリーペーパーの「ヴぃあんチェンマイ」などにも顔を出しているそうで、私などより当地での長期滞在日本人の情報に長じている。で、その彼女から、とても残念な話しを聞いてしまった。
 同じアパートに住む日本人で、もと学校の教員をしていたと言う高齢の男性が蒸発してしまったと言う。まぁそれだけなら、大した問題ではないのだが、彼は当地でまだ10代の女性との間に子どもまでもうけていて、よくエレベーターで、その子どもを抱いている姿を見かけたものであった。見た目では「孫(ひ孫)を抱いたおじいちゃん」と言った感じであったが、その子どもと母親を残して蒸発してしまったと言う。また、調べてみたらこの母親とも正式に結婚などの法的手続きをしていなかったと言う。
 チェンマイには元教員をしていたと言う年金生活者が結構滞在している。教職ならばタイ政府が求める必要年金額もクリアできるだろうが、40〜50歳も歳の離れた現地女性と生活している人も少なくない。この人たちの教え子たちが見たらどんなに思うことであろうか、、。とにかく、この方には早く母親と子供の元へもどってほしいものである。

朝食

ご飯と白菜の味噌汁。ハム少々と生野菜。

昼食
巨大スーパーBIG−Cのクーポン食堂。野菜のグリーンカレーとワンタン入りのバミー(中華麺)。
夕食

アパート前のコカでタイスキ。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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