旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月15日 水曜日

タニン市場を回るコースを走り終え、朝食用のパートンコーを買って帰る。

優泰を幼稚園へ送った後、玄関マットをバスタブで洗う。玄関マットは洗ったりすすいだりするよりも、絞るのが大変だ。大きいし厚手だし、まったく骨が折れる。

マットを洗い終えて、お母さんとランプーンへビートルで向かう。ランプーンはチェンマイにランナータイというタイ人の王朝ができる前に、タイ人とは別のモン族のハリプンチャイ王朝があった都で、12世紀には滅んでしまっているのだが、ハリプンチャイ博物館というのがあり、そこに当時の遺品を公開しているそうなのでそれが見たかった。タイ人たちが入ってくる前に、どのような文化がの北タイにあったのか、急に興味が沸いてきたのである。

ランプーン街道は並木道が気持ち良かった。のんびりと時速50キロほどで走っていたら、途中の少し道が広くなったところで、後続車から追越をかけられた。何台もに抜かされたが、中に一台とても乱暴な運転をする四輪駆動車が猛スピードで走ってきて、2重に追越をかけてきた。そして、道路でぐずぐずしていた犬を跳ね飛ばしてしまった。犬は30メートルほど回転しながら道端まで飛んでいき、そこでうつ伏して悲鳴を上げていた。跳ね飛ばした車はスピードを落とすことなく走り去っていった。

ランプーンまであと少しのところで、路面に巨大な水溜りが目立ってきたなと思ったら、そのうち洪水になってしまった。はじめは水位20センチほどの洪水が各所にある程度だったが、その先にはそれ以上の深さの洪水もありそうで、前からくるバスなど、タイヤがすっぽり水につかりながらまるで船のように走ってくるのが見える。これはイカン。とてもこれ以上先に進むのは危険だと判断し、ビートルをUターンさせて、今日のランプーン行きはあきらめることとする。

チェンマイに戻ったら昼近くなっており、そろそろ昼食の心配をする時刻となった。ワロロット市場近くで焼き立ての美味しいパンを売るカセムストアがあるとの情報を仕入れていたので、探してみたが、車を運転しながらだと、なかなか探しきれなかった。結局見つからず仕舞いで、昼食には郊外の刑務所近くにあるタイ料理バイキングの食堂へ行ってみることにした。ここははじめていったのだが、サラダもスープも果物もあり、水やジュースもフリーという大盤振る舞い。数々のタイ料理をお腹一杯詰め込み、それで一人前29バーツという破格値である。私などはさしずめ屋台や小屋がけ食堂で食べても60バーツ分くらい食べてしまった。満腹満腹。

優泰を幼稚園へ迎えに行き、宿題をさせるが、今日から新しい教材となっていた。しかもこの教材は、親が設問を読んでやって、やらせるスタイルで、宿題をやる優泰より、設問に何が書いてあるかを読まなくてはならない私のほうが苦労をする教材であった。

夕食には、まだ昼食で食べたものを胃腸で消化しきれておらず、食欲が沸いてこないのだが、レモンツリーへ行って食べることにした。日本式豚肉の揚げ物、タイ式オムライス、野菜の甘酢炒め、カシューナッツと鶏肉の炒め物を食べる。食欲がない割にはシンハビールと一緒だとずいぶんと食が進むものだ。

夕食の帰りに雑貨屋で米焼酎を一本買い、寝酒にしようと思ったが、やはり満腹で苦しく、これ以上何ものどを通りそうになかったので、今晩も夜は早めに床に入り寝ることにする。

 

 

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