旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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4月14日 日曜日    天気は晴れ 

ようやく、タイ正月ソンクラーンの水掛合戦に参加できる日となった。昼近くになって優泰とノートとともにバケツと水鉄砲を持ち出してアパートの前で水掛け合いを行う。そのうちにKカップルも合流し、アパートの住人や職員たちも加勢してきて、ステレオで音楽をガンガン鳴らし始めて、バケツに水を汲むだけではなく、ホースを引っ張り込み水道栓を全開にして、水かめを路上に持ち出し、もうアパート前の道を走る車には容赦なく水をかける。特に無抵抗なオートバイが標的として絶好である。それが若い女の子が乗っていたりした時には、一斉放水するのである。中には「やめて、お願い!」と叫ぶ子もいるが容赦してもらえない。また、ピックアップトラックに水がめと戦闘員を積みこんだ戦車がやってくると、敵味方入り乱れてのバトルとなる。普段がバトルの自主規制が求められている優泰もこの時ばかりは眼を輝かせて戦列に加わる。

昼食はKと2人で小屋がけ食堂へズブ濡れのまま入っていっていつもの定番メニューを注文。Kはここの味も気に入ったようだ。それに値段が安い。昼食後にKカップルはプールで泳ぐと言って一旦ホテルへ引き上げていった。また、1時にはB氏が来ることになっていたが3時を過ぎてもやって来ない。どこかで事故にでも巻き込まれていなければ良いのだが、連絡の取りようがない。水掛のバトルは基本的には、水をかけられてもニコニコ笑って「コープクンカップ(ありがとう)」と言う物なのだが、中には心の狭い輩もいて、時々暴力沙汰のバトルに発展してしまうケースもある。特にタイ人同士であれば、水をぶっ掛けるときも、一応は「サワディーピーマイ(新年おめでとう)」と心の中で祝福しながら水をかけるのだが、この辺の感覚が分からない外国人相手だと、時に時制が効かなくなってしまうのである。はたして、B氏はそんな乱闘に巻き込まれていないだろうか、、。日本でも祭りにケンカはつきものだって言うし、ちょっと心配である。

午後の2時間ほどを休憩に当てて、夕方も7時近くに日没タイムオーバーとなるまで水掛け合いに参加した。優泰は午後の休憩で昼寝をしてそのまま夕食まで眠り、参加せず。お母さんたちは買い物にでかけるといって出ていったが、お母さんは水をかけられたくない一身で頭を追おうフードつきのレインコートにすっぽり覆われていた。ここに在住する日本人の中には、けっこうこの水掛が嫌で、ホテルで避難生活をしたり、チェンマイの外へ亡命したりする家族が多いと聞いている。実はお母さんもそうしたがっている1人なのである。

7時頃にB氏はタイ人のオートバイに3人乗りしてやって来た。既にだいぶアルコールが入っている様子だし、靴どころかサンダルすら履いていない裸足である。だいぶ祭りに参加して興奮状態が長く続いたものと思われる。8時になりKカップルとも合流し、コカへ繰り出してタイスキ鍋をみんなで囲む。B氏は既に酔いが限界まで来ているようで、テーブルを前に前後左右に舟をこいでいる。そして、何度か沈没をした。それも頭からコンクリートの床めがけてダイブをしていたから、きっとかなり痛かっただろう。店の人たちも心配そうに遠巻きにしている。結局9時半頃にお開きとして、引き上げることにしたが、B氏はこれからナイトバザールへ買出しに行くと言っている。果たしてこんな状態で大丈夫だろうか、明日は朝早い飛行機でバンコクに行くと言っていたのだが、、。

朝食

朝一番でタニン市場へ行き、カオニャ・マムアンというココナツミルクで炊いたもち米にマンゴースライスを載せた物を買って来て食べさせる。私は昨日の残りのご飯と味噌汁。

昼食

Kと2人で小屋がけ食堂へ行って挽肉とインゲンのバジル炒めライスを食べる。Kはさらにタイ式ヤキソバのパッタイも平らげた。

夕食

コカへ行ってタイスキを食べる。KカップルにB氏、義姉も加わり総勢7人で鍋を囲む。ビールやメコンウイスキーのリポビタンD割りも盛大に飲む。食事代は1000バーツで私とKが500バーツずつ払った。本来私の方が家族が多いので割増されるべきだろうが、Kは1人で3人前くらい食べるから、これで納得してくれた。

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(2015年5月からのブログ)

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