旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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HPご意見メール

7月13日 土曜日    天気は晴れ

 8時に目を覚まし、宿屋のおじさんに今日出ていくと告げる。「なんだずいぶんと短いなぁ」と言われたが、1人で海辺の小屋に寝泊りしていても退屈だ。昼は海で遊んでも、夜は一人ぼっちである。世界中から来た若者たちの間に入ってはしゃげるほど、もう若くはない。宿の台帳にかかれた宿泊名簿の年齢で30歳代を見つけるのだって難しいくらいだ。それに、やはりこの土地は宗教的に酒が飲めないのが痛い。マレーシアに来て4日目。まだビールだって飲んでいないのだ。電気がないから、このHP用の公開日記だって書いていない。しかたないんだ。

 しかし、海に入ってみると。やはり素晴らしく澄んだ海水で。ひょっとして、一生でもう2度とこんなに綺麗な海で泳ぐ事などないのかもしれないと思ったら、なんだか島を離れるのが辛くなった。ビーチで泳いでいても、熱帯魚が見られるなんて、そん所そこらにはないんだから、、。が、海から上がって、シャワーを浴びたいと思ったが、水浴び場では、やはり真水が出ない。ショッパイ海水をろ過しただけの水もチョボチョボとしか出てこない。やっぱ、お湯でなくても良いから、頭から水を浴びて、石鹸でゴシゴシ身体を洗いたい。昼の船で帰ることにしよう。

 はじめは、真水で水浴びしたいだけだったし、あの巴都旅店1階の食堂で、とおりを眺めながらアイスミルクティーでも飲むのも悪くないから、コタバルにもう一泊してから、明日国境を越えて帰ろうと考えていた。しかし、モーターボートから乗合タクシーに乗り換え、同乗者二人は白人の若い女性であった。彼女たちはバックパッカーズゲストハウスに泊まるのだと言う話しを聞き、「あぁ、あの手の体臭がムンムンする世界は嫌だなぁ」なんて思った。そしてタクシーはそのゲストハウス前で停車し、私もそこで降ろされた。そこから巴都旅店までは歩いても5分ほどの距離だったのだが、途中にバスターミナルがある。そのターミナル前を通りかかったら、ちょうど国境行きのバスが発車するところであった。私は反射的にバスに駆け寄り飛び乗ってしまった。

 バスに乗り込んで、席に着いたら急に眠たくなってきた。国境の町ランタウパンジョンまで、ほとんど眠ったままであった。まだ、マレーシアで食べていない食べ物もあるし、若干ながら未練もある。リンギットもまだ100リンギットほど残っている。でも、流されるままに国境を越えてタイ領内に入った。バイクタクシーに乗って着いたところが亜州旅社(アジアホテル) であった。安くて良いところと言ったら、ここを勧められたのだ。駅からも200メートルと離れていないし便利な立地だ。宿泊料は200バーツのところを180バーツにしてもらう。窓のない部屋だが、シャワーがある。テレビもある。ベッドには白いシーツも枕カバーもある。床はタイル張りで、掃除がされている。蛍光灯の照明がいくつもあって明るい。当たり前の事だが、マレーシアの劣悪な宿泊環境からもどった身には感動すら覚える。冷たく良く冷えた飲み水も持ってきてくれるし、タオルと石鹸も用意されているなんて、、。

 明日のバンコク行きの汽車の切符を買う。午後2時過ぎ発の特急寝台を予約しようと思ったのだが、駅へいったら正午前の快速列車を勧められる。これにも冷房付きの寝台車が付いているそうだ。値段もわずかながら特急より安いし、バンコクまでの所要時間に大差はない。
 マレーシアとタイとの間には川が流れていて、そこには橋がかかっている。長さ200メートルにも満たない橋を歩いて渡れば良いだけなのだが、この橋に平行して鉄道橋もかかっている。15年前にもこの橋を渡ったことがあったが、その時も鉄道橋はあった。長いこと使われていないらしく、橋は半分朽ち果てていた。15年前に持ち歩いたガイドブックには「昔は国際列車も走っていた」と書かれていたが、昔とはいったいいつ頃の事だったのだろうか疑わせるような惨状だった。しかし、それが今回見ると、タイ側だけなのだが、綺麗に整備されている。線路下に敷かれたバラスト(砂利)は白く盛りあがっている。駅に来てみて驚いたのは、税関もイミグレーションもあるのである。ひょっとして、私の知らないうちに、この線路にも国際列車が走っていたのか?たとえばオリエンタルエクスプレスとかの観光列車が走っているとか、、と気になったので、バンコク行きの切符を買う際に駅員さんに聞いてみた。「マレーシアへ行く汽車はあるのですか?」「ない、マレーシアへは駅前からバイクタクシーに乗ればすぐだよ」なんだ、やはりまだらしい。「税関やイミグレーションがあるけど、近々開通するのですか?」「いつになるかわからない」と言う事だそうだ。

 駅からの戻り道でサンダルがバカになった。サンダルのそこがベロリと剥がれてしまったのだ。ペルヘティアン島でサンゴの欠片の上を歩いたり、砂浜の上を歩いたりしたので、サンダルがだめになったらしい。去年からずっと履きつづけているサンダルで、もう相当にくたびれていた。でも、まだ、右方はしっかりしているので、捨てるには忍びない。靴の修理屋に持ち込むと「新しいの買いなよ」と言われた。そこを「後2・3日履ければイイから直せないかなぁ」と言ったらば、太いナイロン糸で靴底を縫って直してくれた。アリガタヤ、アリガタヤ、「いくら」と聞いたら、「糸代なんか大した事ないから、金なんか要らないよ」と言ってくれた。靴の修理屋が材料費がかかってないから修理賃を取らないなんて、なんて人の良い修理屋なのだろう。

 亜州旅社の部屋にこもってHP用の日記を書く。貯め込んでしまっているから、何日分もある。書き終えたら7時半になってしまった。これをどこかのネット屋にでも行ってアップしなくては、、それとメールも確認しなくては、、。日記を書いている間、外はスコールが来ていたようだ。窓のない部屋なので外の様子がわからなかったが、雷の音だけは盛んに鳴り響いていた。電気屋に併設されたネット屋を見つけて、LANで私のノートパソコンをネット接続させる。辺境の地にありながらDHCP対応で、簡単に接続が出来た。ホームページのアップを済ませ、メールを受信すると山のように来ている。こりゃとても返事を書ききれない。急ぎのものだけを簡単に書いておく事にする。それに56Kのダイヤルアップ回線をルーターで10台ほどのパソコンに振り分けているから、作業効率が悪い。これだけの作業に1時間以上かかってしまった。

 夜9時を回って、「さてタイに帰ってきたからビールで夕食だ!」と張りきって町をうろつくが、スンガイコロクの町の住人の大半がイスラム教徒である。食堂の厨房を眺めるとベールを巻いた女性が、包丁を握っていたりする。客もミルクセーキなんか飲みながら、雑談している。食堂にありがちなシンハビールやチャーンビールの看板もコカコーラやペプシコーラくらいしか見かけない。ネオンチカチカの店があり、ここで初めてビールの看板を見かけたが、なんとなくキャバレー風の店で、遠慮させてもらった。歩いて歩いて、ようやく見つけたのが華僑経営の店。メニューはなく、食べたいものを注文すれば中華鍋で何でもこしらえてしまう類の店だ。店の奥にはビールを飲んでいる客も1組ある。店の親父さんに「ビールは飲めるの?」と恐る恐る聞くと、「シンハビールでもハイネッケンでもあるよ」と言ってくれた。

 空芯菜の炒め物と豚挽き肉と唐辛子の炒め物をツマミにリオビールをグビグビと飲む。「う・ま・い」ビールと豚肉がこんなに相性がイイとは知らなかった。隣のテーブルの客のうちの1人が中国語で話しかけてきた。「タイはドウだ?」と、、。「ビールも飲めるし、タイの食い物は旨いね」と答えると嬉しそうにしていた。明らかに華僑のおじさんなのだが、タイの華僑はタイへの愛国心が強いようだ。東南アジアではどこでも華僑が多いが、タイのように華僑でも住んでいる国に対して愛着の強い国は他にないのではないだろうか?相方の方は中国語はわからないようであったが、私が片言のタイ語が話せるとわかると、いろいろと質問してきた。まぁどこへ行ってもまず言われるのは、「サッカー・ワールドカップを見たか」である。

 ビールからセンソンと言うアルコール度の強い酒にスイッチして飲みつづけ、11時頃にいい加減酔っ払って席を立った。静まり返った町を千鳥足で歩いていると、先ほどのタイ語の方のおじさんがバイクで追いかけてきてくれて、宿屋まで送ってくれた。マレーシアの人も親切だが、タイの人は押しつけがましいくらいに親切だ。

 

朝食
きのうマレー風の朝食、ナシレマックを2リンギットにしてくれたトシーカフェへまた行くと、店のおばさんは「ナシレマック?」と聞いてきた。そうだと言うとまた嬉しそうな顔をする。今朝も会計は2リンギットだった。
昼食
マレーシア側の国境の町、ランタウパンジョンの食堂で、最後のミーゴレンを食べる。
夕食

スンガイコロクの華僑経営の食堂で空芯菜の炒めものと豚挽き肉の炒め物、そしてビールとセンソンのソーダ割り。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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