旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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2月13日 水曜日    天気は晴れ 

現在のタイ滞在のビザが切れるまであと一ヶ月半になった。このビザはとても使い勝手の良いビザで、このビザを持っていなければできないことが結構ある。車を買うことも、銀行の口座を開設するにも、このビザの有無でだいぶ違う。が、次回もすんなりこのビザをもらえるとは限らないので、今のうちにこのビザの特典を使おうと考えた。日本で発行した国際運転免許は有効期間が1年であり、これも来月には失効してしまう。となれば、ここタイでタイの運転免許を取得してしまえば、何の不自由もない。そこで、今日はタイの運転免許を申請してみる事にする。これもビザの特典のひとつだ。

優泰を学校へ送ったその足で、空港近くのイミグレーション事務所に行く。ここで在留証明書を作ってもらう。この証明書にはパスポートのコピーと写真が2枚必要になる。コピーと写真で104バーツ、そして証明書の作成料が100バーツであった。ここで係員から運転免許には健康診断書も必要だと教えてもらう。健康診断書は病院へ行かなくてはならないが、いつもお母さんたちが行っているチェンマイ・ラム病院は便利なのだが、健康診断書1枚にいくら請求されるかわかったものではない。何百バーツも取られることだって覚悟しなくてはならないし、そんなに金額がかかるら、日本で再度国際免許を取ってくるほうが安い。そこで、今回はラム病院ではなく、公立病院へ行ってみる事にする。行ったのはスアンドーク門近くのマハナコン・チェンマイ病院。兎に角巨大な病院であった。大学のキャンパスくらいの敷地に、建物がいくつも点在している。どこへ行けば良いかわからず、まぁ外来なら通りに面した建物だろうと目星をつけて飛びこむ。図星であった。

ラム病院と異なり、広いロビーは人で溢れかえっていた。患者や付き添いの人たちの身なりはラム病院と比べてかなり見劣りがする。が、年寄りが多いところなどはむしろ日本の病院の待合室そっくりである。受付に「健康診断書が欲しい」と言ったらば、番号札をもらって、外来診察室の前で待たされた。これが朝9時半の事である。待合室のテレビでは台湾のドラマをタイ語に吹き代えて放送していた。漢字の字幕付なので内容がわかりやすい。そしてひたすら待った。私の名前を呼ばれたのが11時半。簡単な問診と診察が行われ、「異常なし」との診断書を書いてもらう。これを受け取るには会計の窓口にお金を払い込まなくてはならない。これも長い行列で、1人1人に要する時間も長い。結局診断書をもらったのは、12時半になっていた。待たされる時間は長かったが、診断書は50バーツで済んだ。時間も午後になったので、今日は運転免許の申請を諦める。

夕方、私がアパートへ戻ってみると、お母さんがヘソを曲げていた。訳を聞くと、どうやら優泰が原因らしい。お母さんが優泰に韓国語で話し掛けるのが気に入らないと言って、優泰が反抗したようなのだが、それにお母さんが腹を立ててヘソを曲げているそうだ。こう言うときは私にもとばっちりが来そうなので、先手を打って通りでガラス細工のバラの花を1輪買ってプレゼントする。私はこれでお母さんの機嫌が直ればと思ったのだが、お母さんに笑われてしまった。このバラは明日のバレンタインデーのために売っているもので、男の人が買う物ではないそうだ、、。

 

朝食
クロワッサンとスクランブルエッグ風のグチャグチャオムレツ。
昼食

ワイワイブランドの即席麺豚挽き肉味。麺はいつものママーブランドよりもしっかりしていた。食べたりないので残ったスープに冷やご飯を入れて食べる。

夕食

お母さんの手料理、ご飯に大根の味噌汁、キャベツと豚肉の炒め物、ほうれん草のナムル。あと、小屋がけ食堂からの一品で、鶏肉とタマネギの炒め物。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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