旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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0月12日  火曜日    天気は晴れ 

 汽車のバンコク空港前(ドンムアン)駅到着予定時刻は午前5時頃だったので、私は4時半に目覚ましをかけておいた。しかし、まだ真っ暗な車窓からの眺めは、どうもまだバンコクの近くと言った感じではない。どの辺を走っているのだろうか、、。窓の外へ目を凝らしても、さっぱりわからない。到着予定時間の5時を過ぎた頃、ようやくアユタヤ駅に到着。ここからはまだ30分以上かかるはずである。汽車は遅れているらしい。朝の飛行機に乗るために、夜行列車を利用するのは便利な方法だが、汽車は遅れがあるので怖い。

 台北行きの中華航空のカウンターでは約3分の1が日本人であった。搭乗手続きを終えて、出国手続きカウンターで出国スタンプをもらう。今回は再入国許可を取りつけていないので、この出国スタンプによって私たちのタイでの滞在資格も失われることになる。この3年半、タイでの合法的な長期滞在資格を得るためにずいぶんと苦労と努力を重ねてきたが、あっけないものである。もちろん、再入国許可を取って出国すれば、資格は消えないが、そんなことをしたらいつまでもチェンマイから抜け出せなくなってしまう。

 中華航空の機内食は美味しかったし、サービスも良かった。ドリンクサービスではシンハビールをもらったが、このシンハビールもしばらくは飲むことが無いだろう。

 台北に到着し、大きな荷物は保税預けとする。荷物三つの預かり賃は800元であった。安くは無いが、これからの5日間、これほど大きな荷物を入れるコインロッカーなどもないし、通関手続きをして、荷物預かり場所を探すのも面倒である。
 台北空港からは、台中まで国光号と言う高速バスに乗る。タイの24席VIPバスと同様の席配列で実にゆったりしている。以前は公営のバスで、座席も狭かったが、民営になり、さらにバス会社間の競争もあって、サービスが向上している。ただし、昔は女性の車掌が乗っていて、お茶のサービスをしてくれていたのだが、今はそれが無くなっている。

 台中の町外れにあるバスターミナルで降ろされた。そして、3時10分発の埔里行きのバスに乗りかえる。この乗り換えたバスも国光号で、このバスは更に豪華版であった。各座席にはマルチチャンネルのビデオモニターがあり、ゲームのコントローラーも用意されていた。優泰などは埔里に到着するまでの1時間半ずっとビデオゲームに熱中していた。我が家ではこの手のゲームで遊ばせていないのに、いったいどこでこんなゲームの遊び方を覚えたのであろうか、、。

 埔里の街並みも以前とはまるで異なってしまった。以前はどうしようもないくらいの田舎町だったのに、おしゃれな店が軒を連ねている。道行く人も、服装からして山から出てきた山岳民と一目でわかる人は見られなくなった。
 ここで、温泉行きのバスの待ち時間が1時間少々あり、路地裏の食堂で夕食にする。場末の食堂なのだが、麺類の丼が、以前ならいかにも安物でふちがかけたような丼を平気で出していたのに、この路地裏食堂でさえ、日本のちょっとセンスの良いラーメン屋が出すような、すり鉢風で、ちょっと大きめで真っ黒な陶器製の丼を使っていた。台湾から「貧しさ」は一艘されてしまったのかもしれない。

 埔里から温泉に行く南投バスも変わっていた。以前は超オンボロで旧式の田舎バスだったのが、台北市内バスの中古改造とは言え、エアコン付き、更にリクライニングシートまで備えたバスとなっていた。まぁ、その分だけ運賃も20年前と比べて2倍半ほど高くなっていた。

 廬山温泉もすっかり変わってしまった。日本風の露天風呂などをウリにする派手な写真入り看板を多く見かける。そして山奥の「鄙の湯治場」と言った印象だったのが、一大温泉保養地になっている。まぁ救われるのは、温泉歓楽街になっていないことである。
 私の定宿「碧華荘旅社」も様変わりしていた。木造で、畳の部屋もあった旧館のあった場所は、温泉客相手の屋台村のようになっていした。亡くなられた宿の主人の奥さんは、その中の一軒、臭豆腐の店をやっていた。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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