旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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HPご意見メール

11月12日 月曜日

週が明けた。このところ1週間経つのがものすごく早い。何もしていないと以前は時間が過ぎるのが長く感じたものだが、この何ヶ月か仕事もせずにいるのに、時が経つのが今まで経験した事のないほど早く過ぎていってしまう。

コーンフレークの朝食を食べて優泰を学校に送り、郵便局へお母さんに頼まれた手紙(封書)を出しに行く。日本まで送って14バーツであった。たしか前回ハガキを出した時は15バーツだったから、ハガキのほうが封書より高いようだ。そして、お母さんが来月韓国の釜山での姪の結婚式に行く件で、お母さんは結婚式は12月5日と言っていたが、確認したら3日であったため、往復の飛行機の変更の依頼を旅行会社へしに行く。まだ、時刻は9時前だからか、その場での予約変更ができず、変更の結果は後で電話連絡をしてもらう事にした。

アパートに戻って、タイ語の復習をしていると旅行会社から電話が入り、満席であると言う。ウエイティングも100人以上あると言う。代案で取ってきたのは、予定日より早く出発し、遅く帰国すると言うもので、チェンマイ発は朝の7時だそうだ。金額も約1000バーツ高くなって1万7千バーツほどもする。しかも、水曜日までに払込をして切符を発券しないと更に600バーツ高くなると言う。これではキャンセル待ちもできない。うーん、参った。後でまた旅行会社へ行って善後策を協議することにする。

YMCAのタイ語のクラスを前回欠席したので、授業について行けるか心配だったけれど、進み具合はスローテンポだったようで、難なくこなせた。ロールプレーで「週末にはどこどこへ行って何をしてどうだったか」といった練習をしたが、受講生の日本人の中の多くがチェンライ県へ行っていたようだ。中には今朝チェンライを出て、今しがた戻ってきたと言うツワモノまでいる。偶然が重なったのか、みんなよくチェンライへ行くのか知らないけれど、私が土曜日に優泰と行った温泉も確かチェンライ県になるのではなかっただろうか。

しかし、このところアパートのエレベーターの中で会う日本人から「HPを作ってる人か」と聞かれることが多くなったので、アパート住人の話題は書きづらくなってきたし、今日はYMCAでも同じような事を言われたので、前回のようにタイ語のクラスで皆の発音が悪いなどと言った事は書かない方が良さそうだ。それにお母さんからも「私のことを日記に書かないでよ」とクレームがついている。まったく、こんなに書くことに規制がついていたら、日記が書けないじゃないか、、、。まぁ、それを口実に日記をサボると言うのも良い手だと思い始めている。

YMCAのクラスの後、旅行会社に回り、韓国行き航空券の話をするが、埒があかない。とにかくもう一度安い切符を探ってもらうように依頼をして、ひとまずアパートへ戻ることにする。アパートへ戻ると1時になっていた。昨日の残りのスパゲティーを食べるともう2時である。お母さんから毛布を洗うのでコインランドリーへ持っていくように言われていたが、今からでは時間が足りない。それに韓国行きの航空券を明後日までに買わなければならないので、銀行で旅行小切手を両替する。しかし、今月もほんとに色々と物入りだ。いったい月に何度銀行で両替すれば良いのだろうか、、。

優泰を学校に迎え、月曜日なのでそのまま優泰を日本語補習校へ送りこむ。優泰が補習校を受けている間に、来週来る東京のオフクロさんのバンコク〜チェンマイの汽車の切符を鉄道駅に買いに行く。寝台券はかろうじて確保できたものの、希望した新型特急のナコンピン号は売り切れであった。広いベッドで快適な乗り心地のナコンピン号も一般の寝台車も値段が同じ出し、時間帯もナコンピン号のほうが良いので、どうしてもこっちから先に埋まってしまうのだろう。

切符を買っても、優泰を迎えるまでまだしばらく時間があるので、急ぎアパートへ戻る。今のうちに毛布をコインランドリーを放り込めば、優泰を連れかえってくる頃には洗いあがっているだろうと考えた。コインランドリーに毛布を入れ、20バーツを投入、スイッチを入れて、補習校へ。補習校では先生が紙芝居を読んで聞かせているところであった。珍しく優泰が紙芝居の前に座って、真剣に見入っている。いつもは落ち着きなくしているのに、、と感心していたら、読んでくれている紙芝居の内容は優泰が好きな「恐竜もの」であった。優泰は怪獣や恐竜、ウルトラマンに目がない。

アパートへの戻り道は渋滞していた。時間がかかりそうだったし、優泰が眠たそうにしているので、アパートに着くまで助手席で寝かせた。コインランドリーの毛布も洗い終わっていた。

5時少し前に旅行会社へ再び行き、シンガポール航空ならソウル行きで格安ものがあるとの情報をもらい、予約を入れてもらう。希望の日付はキャンセル待ちながら、前後の日付では一応確保できた。安いと言っても大して安くはない(1000バーツ安い)のだが、時間帯が良いのが気に入った。バンコク発深夜で、帰国時のバンコク到着は夕方である。しかも直行便だから早い。これでまずは一安心だ。

夕食に優泰が餃子を食べたいというので、6時に台湾食堂へ行く。前回から従業員が変っているが、料理人も変っているようで、メニューこそ同じ物を使っているが、餃子の味が変っているようだ。それに店内も脂の染み込んだような匂いが染み込んでいる。餃子にはニラがずいぶんと入っているようだし、少しだがニンニクも入っているようで、口に含むとムワッとくるものがある。以前のはあっさりした淡白な餃子で好きだったのだが、、残念だ。

夜、優泰が寝てから米焼酎とソーダ水を買って、ソーダ割を楽しむ。夜風がとても涼しくなってきた。ニューヨークでまた飛行機が落ちたとNHKニュースでやっていた。テロではなく事故らしいが、事故だから安心と言う事もないだろう。事故こそ防がなくてはいけないものじゃないか。

 

 

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(2015年5月からのブログ)

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