旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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5月11日 金曜日

汽車はきっと遅れているのだろうと思っていた。昨晩のランパン駅でもずいぶんと長く停車していたし、明け方前にうとうととしながら耳に入ってきたレールの継ぎ目の音もやたら間延びしていて、ノロノロ運転している事がわかった。5時前くらいからもう起き出している人もいたが、私は6時になってもまだベッドの中でぐずぐずしていた。しかし、6時半近くになり、そろそろトイレにでも行くかと起き出すと、汽車はすでにバンコクの街外れを走っているではないか、遅れていると感じたのは、速く走りすぎたため時間調整をしているだけだったのかもしれない。バンコク中央駅にはほぼ定刻の06:52に到着してしまった。

バンコクへ朝早く着いて時間が余っているときは、空港へ行ってのんびりするのが一番だと思っている。24時間エアコン完備で、清潔なトイレをただで使えるのだから、、、。駅前より3.5バーツ払って29番の市内バスに乗り、空港前に到着。空港ターミナルへ入る前に、大きな木下でコーヒーを入れている小屋があったのでそこに立ち寄り、熱いタイ式コーヒー(練乳入り)とパートンコーと呼ばれるタイ式ドーナッツ(中国の油條に似ているが甘い)を朝食代わりに取る。15バーツであったから、バンコクの食事代としては最低クラスであろう。熱いコーヒー(といってもガラスのコップに入り、たっぷりの練乳を入れているのであまり熱くない)には中国茶がサービスでついてきた。以前はよくこのようなコーヒーの小屋を見かけたが、最近は珍しくなっているようだ。

ターミナルへ入り、トイレで着替えや洗面を済ませ、パソコン用に電源を拝借し、十分休憩させていただいた後、韓国大使館に向かう。韓国大使館は新都心のラチャダピセークのあたりだと言う事だが、空港から直通のバスが見当たらず、途中で乗り継ぎながらラチャダピセーク通りを目指す。途中で前回バンコクへ出てきたときに住宅団地が並ぶ一角へ迷い込んだ事があったが、今回もそこへ入り込んだ。場所からするとラチャダピセーク通りまではもうわずかなところにあるはずである。路上に待機しているバイクタクシーに韓国大使館まで行くように言い、後ろに跨る。しかし、このバイクタクシーは韓国大使館の場所を知らないようで、中国大使館へと向かい、結局途中で2回ほど場所を聞きながら、ようやく辿り着いた。

しかし、何たる怠慢か、館内には13:30にならないと入れないと言う。まだ2時間もあるではないか、こんな原野の真中みたいなところで、真昼間2時間も何をしろというのだ。でも、お役所側がそう言うのなら、第三国人である私には抵抗のすべも無い。仕方なく門柱裏のベンチに座って時をじっと待つことにした。

時間になり、ようやく領事課へ入れたが、係員の女性は何人かいるが誰も韓国語を理解できない。英語かタイ語だけだという。韓国語のわかる人はいないかと聞くと「いない」とお答えになられる。仕方なく拙い英語で居住登録しに来た旨を伝え、用紙をもらう。ところが今度は用紙にかかれているのはすべてハングルで、英語がちっとも書かれていない、漢字も無い。とりあえずハングルで用紙に必要と思われて、私にわかる範囲だけを記入して、提出したが、係員は韓国語がわからないので当然ハングルなどわかるはずも無く、記入漏れの有無など確認する事も無く、受理してしまった。

午前中にバンコク週報から電話が来る事になっていたが、午前中には電話はかかってこなかった。そして2時頃になってようやく電話が入り、今日は午後から出かける用事が入ったので、都合がつかなくなったとのこと。まったくチェンマイからわざわざ出てきた広告主相手によくおっしゃると思ったが、まぁこっちも次ぎのアポイントが詰まっているし、韓国大使館で無駄な時間を過ごしてしまったので好都合ではあった。

スクンビット通りで2軒のインターネットカフェに入ったが、どちらも私のノートパソコンではインターネット接続が出来なかった。バンコクでは、モジュラージャックの形は同じでも、モデムと電話線との接続がうまくいかないケースがあるようだ。2軒ともエアコンで涼ましてもらい、結局ただで時間つぶしを指せてもらった事となった。

日本人相手のレンタル屋さんで仕事の話を詰める。大変順調に話も進み、バンコクまでわざわざ出てきた甲斐があった。夕方6時に渋滞するスクンビット通りでエアコンバスに乗る。いつもなら乗車後すぐに車掌が切符を売りにくるのだが、車掌は後ろの座席に座ったまま、乗客も他にひとりしかいない。まぁいいさと、バンコクの日本語情報誌をじっくり眺めることにした。エアコンも効いているし、静かだし、快調快調と思っていたが、情報誌を読みきって、外を眺めるとまだ20メートルと進んでいないではないか!時間はすでに18:50を指しているではないか、汽車の時間まであと50分しかない!これじゃとても間に合わない。バスの運転手にドアを開けてもらい外に出る。結局20メートル分のバス賃は払わずじまい。高架鉄道に乗って渋滞を避けることにした。シーロム通りの入り口まで行けばなんとかなるだろうと考え、とりあえず25バーツの切符を買う。途中、サイヤムと言うところで乗り換えたが、その際外はものすごいスコールとなっていた。シーロム通りの入り口で降りる際に、料金不足であと5バーツ請求された。スクンビットからシーロムまで電車で30バーツとは、バンコクの物価から考えるとずいぶんと高い気がした。

シーロム通りも豪雨だった。通行人は建物の軒先に避難している。しかし、汽車の時間まであと20分しかないので、鉄道駅へ行くバスの走るラーマ4世通りへ急ぎたいが、とても歩道を歩ける状態ではない。思案する事しばし、高架鉄道の橋桁の下は中央分離帯となっており、そこを歩けば雨に濡れずに済みそうだ。
この案は大正解で、渋滞するシーロム通りの中央分離帯を悠々とラーマ4世通りとの交差点まで来ることができ、ほとんど濡れることなく バスにも乗れ、駅へ辿り着けた。時刻は19:35。

しかし、ホームに汽車はいなかった。ホームの雑踏から、まだ汽車は出ていないと判断し、ホームの先端で出入りする列車を眺めた。アナウンスがあり、どうやら遅れていることを告げているらしい。田舎行きの列車はいろいろな車両が連結されていて楽しい。日本の中古ディーゼルカーを冷房付き3等車として使っていたり、マレーシアのオンポロ中古ディーゼルカーがあったり、かと思えばピカピカのイギリス製の特急ディーゼルカーも入って来たりする。

汽車がホームヘ現われたのは8時になってからであったが、ホームに入ってからも何やら工具で客車の修理などをしている。結局バンコクを出発したのは、約1時間遅れの20:40過ぎであった。今日は、体調の事を考え、食堂車へは行かない事にして、さっさと寝ることにした。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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