12月11 火曜日

朝6時過ぎに自転車でタニン市場まで出かけて、優泰の弁当用のパンを買ってくる。さすがに朝早すぎたためか、市場内はまだほとんど店開きをしていなかった。パンはカレーパン風の揚げパンとソーセージパンを買う。

アパートに戻って、夕べの残りのお粥を食べる。何も入っていない白粥にシソのユカリを振りかけて食べる。優泰はスワニーさんからもらった中華まんを2個食べる。お母さんは昨日より疲れているようだ。食欲もあまりなさそうだし、顔色も良くない。それでも、朝9時半には教会での英会話教室に行かなくてはいけないと言う。何やら今日はお菓子を持っていく当番だと言う。

優泰を学校に送って戻ってきても、お母さんの顔色は優れないままだったので、当番で用意しなくてはならないお菓子だけを私が持っていく事として、今日は休ませることにした。9時半までと言う事だったので、自転車に乗ってナワリット橋の対岸まで届けに行く。距離にして3キロ半くらいだろうか、ちょっとした運動になるし、このところ日中の日差しが強いので、汗もかいた。

10時からはいつものようにYMCAで英語のクラス。前回の中間テストの成績発表があり、私は50点満点で45点であったそうだ。そして、来週の木曜日にはまた終了テストが待っている。そのため授業進行スピードが早まっている。現在完了形の個所はなかなか理解しづらいところなので、時間をかけて教えて欲しいところなのだが、しかたがない。明後日の英語は午後3時まで延長授業となるそうだし、来週の火曜日は朝9時開始だそうだ。

昼に授業が終わり、お母さんでも食べられるようにとピーノートの店でクオッティオうどんを買ってくる。クオッティオの太麺は日本のうどんよりも柔らかく、消化に良さそうなので安心である。お母さんは午後からのお菓子教室も届けなくてはいけないものがあると言うので、これも私がひきうけて鉄道駅の先まで自転車で届けに行って来る。これも片道5キロほどだから、今日は本当によく自転車に乗ったものだ。帰り道で古いホンダのモーターバイクを売っている店へ回ってみる。明日から古いホンダを捜しにチェンマイまで来る人がいるので、ちゃんと店を開けているか確認したかったのである。特にこの数日間はずっと店を閉めていたから、私としても気になっていた。どうやら仲間内でバイク旅行に出ていたそうだ。

アパートに戻ると汗だらけになったので、シャワーを浴びる。そして、ふたたび優泰を迎えに学校へ向かう。こんどは自転車ではなくビートルで向かう。ビートルの左後ろのタイヤの消耗が、他のタイヤよりも多いので、タイヤのローテーションをしたいと思っている。タイの道路は路面がかまぼこ型になっており、路肩が低くなっている。そしてビートルは後ろにエンジンを積んでるから、どうしても左後ろのタイヤの負担が大きいのだろう。空気圧もいつも左後ろが先に減っている。

優泰を学校から連れかえると、お母さんはまだベッドで横になっていた。そっと起こさないように優泰の算数の宿題を見てやる。今日の宿題は算数だけであり、比較的簡単に終わった。算数そのものは優泰にとって簡単なものだが、英語で書かれた問題を理解するのに優泰だけでなく私も苦労する。

夕方、同じアパートに住む日本人女性が訪ねてきて、オーストラリアとニュージーランド旅行のスナップ写真を持ってきた。そして、写真の色がちゃんと出ないとボヤいていた。確かにチェンマイの写真屋さんでプロラボのようなところは無いようだし、ほとんどが自動現像・焼き付け機を使っているから、変に暗かったり、白っぽくなったりするケースは多い。しかし、今回の原因は印画紙にコダックの物を使っていることが原因のようだ。写真の色合いがどこか黄色くなっている。旅行中にオーストラリアやニュージーランドは日本人の長期滞在者の受け入れ態勢が整っていると感心してこられたそうだ。チェンマイももっと整備しなくてはと張り切っておられたが、確かにチェンマイは住むのに良いところだけれど、タイなどの風俗習慣は日本に似ているようで、異質なところがとても多いから、知らずに定年後の生活の場としてチェンマイに来られると、苦労されるだろうなぁ、、。それと、受け入れの整備が進むと、日本人とタイ人摩擦も出てくるのじゃないかと要らぬ心配までしてしまう。

夕食の支度をしたり、買出しに行くのも面倒なので、コカでタイスキを食べることにした。私は先日ビルマ国境で買ったスペインの葡萄酒を飲もうとコルク抜き持参で持ちこんだが、チャーンビール1本飲んだところで、良い気分になってしまい、結局栓を抜かずに持ち帰ってしまった。

 

前日へ  翌日へ