旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月10日 木曜日    天気は曇り 4時前後チェンライで大雨

 朝は5時頃に目を覚ます。あまりにもビートルが汚いのでせめて泥だけでもと雑巾で車体を拭き、カーペットをはたく。ワックスはおろか洗車さえもう何ヶ月もしていないような気がする。

 7時にゲストハウスを抜け出してチェンセンへ向かう。走り出してすぐに今日会う予定の中国人から携帯電話に電話が入る。「もう、チェンセンに着いてますからね」と言う。昨晩バンコクを出た夜行バスで、午前6時過ぎにはバスガはチェンセンに到着してしまったと言うのである。土地の人間ではないから、こちらがチェンマイからチェンセンへ行くのにどのくらい遠いのかを想像できないのであろう。日本でも、広島と岡山などは隣同士で、すぐ近くだと思っている人が結構いるのではないだろうか、、。しかし、実際には新幹線にでも乗らないと、とても隣とは言えないくらい遠いし、ましてこちらはその倍くらいの距離があって、しかも山越えである。その後も、10分おきくらいに、「今どの辺ですか、あとどのくらいですか」と電話が入る。そして「慢慢来(ゆっくり来てよ)」と言ってくれるのだが、こうしばしば電話が入ったら、「さっさと来いよ」と催促されているように感じてしまう。

 朝8時にチェンセンに到着。お相手は中国人が3人。台湾出身のLさん、香港出身で北京在住のSさん、そしてメーサロン出身のCさんとそれぞれ出身地が異なる。ここでの主導権はやはりチェンライ・メーサロン出身のCさんが握って独壇場である。悪い人ではないが、中国人特有の性格のなのかアクが強い。まぁ、こっちはビジネスの相談にやって来たわけだし、アクが強くても何ら困ることはない。チェンセンの町の小さなメインストリートにあるCさんの知人と言う仏具屋さんで朝食をいただく。完全に中国式の家庭料理である。中国の家庭料理は炒め物でもかなり汁気が多く、また肉類などは煮物が多い。味付けはあっさりしていて、たまにはこんな食事も悪くない。優泰も同席させてもらい、優泰も喜んで食べていた。

 チェンセン周辺のメコン川沿いで、中国へ向かう船の状況を確認する。現在のところ、貨物船ばかりで、荷揚げに下ろしともに人がダンボール箱を担いでおこなっている。今後はここに中国シーサンパンナから客船も入ることになるのだそうだが、現在の薄汚れた貨物船を見ていると、国際航路としての華やかさなどはまるでない。日本人のツアー客をターゲットにするには、もう少し演出が必要な気がする。来月完成予定の新チェンセン港も見学する。こちらは桟橋もあり、税関などの設備もあって、多少は見栄えがする。本当は少し北にあるゴールデントライアングルに本格的な客船ターミナル風の建物があり、そちらがメインになりそうな気もするが、昨年あたりに完成しているはずなのに、その後使われていないためか、すでに老朽化が進み、廃墟のような雰囲気が漂ってくる。

 今回の旅行ビジネスの件で、方針としては、チェンライに入ってくる団体客をターゲットにして、日本人も、中国人も、みんな取り扱うと言うことになっている。それはそれで結構なのだが、日本人客と中国人客の志向の違いは大きく、同様の取扱いをすることは不可能であると実感した。あれこれと説明してもらったのだが、いずれも中国人客を対象にした発想で、日本人には歓迎されそうにないプランである。日本人は「景勝地」と言われる景色を見たい。中国人は「名物だ」と言われているものを買いたい。食事も日本人は良いサービスを受けたい。中国人は口に合うものを食べたい。中国人はみんなでカラオケをしたりして騒ぐのを喜ぶが、日本人はプライベートの時間を確保しておかないと不満が出る。つまり、中国の人たちが日本人ツアー客に対して良かれと思っておこなったことの多くが日本人客にはマイナスに作用してしまうと言う経験を私は過去に嫌と言うほど見てきている。今回もそんなことになりそうな予感がする。しかも今回はその狭間に立たされる可能性まである。これは早いところ先手を打って、中国系のツアーを扱う部門と日本人を扱う部門を分離して行くように仕向けないと、まずそうだ。ただし、相手側にそのことを理解させることは非常に神経を使いそうだ。率直に言うと角が立つことである。

 ツアーのモデルプランにしても、日本人の行ってみたいところと、中国系の人たちが行ってみたいところでは大きく異なる。どうしても、中国系の人たちは「特産物」とされているものを買いたがるが、日本人に人気のあるメーサイのビルマ国境あたりは、国境市場で販売されているものが、ほとんど中国製品なので、中国人にはあまり関心を示さない。日本人も別にそれほど市場に並ぶ中国製品に関心などないのだが、そうした国境市場の雰囲気と言ったものを楽しいと感じるのである。そのため、日本人客にこの手もポイントは見逃せないものと思う。

 午後からはメーサロンまで登ってみる。Cさんの地元と言うことで、Cさんも熱が入る。メーサロンは山岳リゾートとしては、悪くないものを持っている。もともとが中国国民党雲南軍の前線基地であった場所で、ここの在留者のほとんどが中国系である。町と言うより集落に過ぎないのだが、雰囲気は完全に中国の山間部にある集落である。特産のお茶を売ったり、飲ませたりする店が並ぶあたりは、台湾の山間部によく似ている。が、あまりに中国ムード、それも高級な中国ではなく、ドロ臭い方の中国ムードが強く漂いすぎるために、リゾートとして日本人が求めるものとのギャップが大きい。「中国風リゾート」とすれば高級感が伴うが、現状は「中国人向けリゾート」と言った感じで、日本人にとってプラスイメージには働かない。売り込みの方法は、中国ムードをある程度抑えておき、むしろ軽く流して、中国の近現代史の一部の勉強をかねて滞在してもらうと言った線が良さそうである。そして、年中暑いタイにあって、ここは本当に涼しい気候なので、静養を兼ねた滞在とすれば悪くなさそうである。

 昼食をメーサロンの中国人的リゾートホテルで食べる。以前家族で滞在したこともあるリゾートホテルで、部屋は悪くなかったが、ユーティリティーレベルに問題のあるホテルであった。あれから月日もたったが、諸問題は解決されてはいなかったようである。特に当時最大の問題は、食事のサービスにあった。食堂が殺風景なのである。中国の歌謡曲が日本人の耳には騒音と思えるくらいの音量で流され、料理は中国家庭料理風。山間部の珍味を使ったものもあるが、日本人の口に合うとは限らないし、値段も高い。無難な料理を注文してその時は夕食としたが、団体客向けなのか料理は大皿で、食器はエボナイト、皿の並べ方も、ただ置いて行くだけ、取り分けもしてくれなければ、取り分け用の小皿もない。各自が飯茶碗に惣菜をのせて、ご飯ごと掻き込むといった中国庶民式の食べ方をすることになる。私は個人的には、丼物とかが好きなので抵抗はないが、ホテルでの食事としての雰囲気もない。
 今回も、残念ながら、食事のサービスレベルは向上していなかった。飯屋の雰囲気である。料理の味付けは悪くないが、日本人は口で食べずに目で味を見ると言うことを、こうした飲食関係施設にも指導をしていかないと行けなさそうだ。むしろ、食事関連施設については、サービスという点で、中国式よりもタイ式のサービス精神の方が日本人の感覚に近い気がする。

 食事を食べ終えて、料理がテーブルに残った。包んで持ち帰れそうな料理は包まれ、湯飲みに茶も少し残っていた。Cさんが、「お茶を残したら、お茶がかわいそう」ともらした。日本ではこうしたことを言う人は少ないだろう。中国人の中には、お茶を単なる飲み物として考えず、感情の対象となるような存在のようだ。そういう発想嫌いではない。

 本日はラジオのある日なので、彼らと終日付き合うわけに行かず、3時半にはメーサロンの山から下りる。本来ならわざわざバンコクからチェンライまで来てくださっているのだから、見てまわるべきところをすべて同行するのが私の義務だとも思うのだが、Cさんは、「いいから、いいから、あとは大丈夫」と言って、私たちを先に帰してくれた。そればかりか、途中何度も電話を下さって、「番組には間に合うか」と心配までしてくれた。中国人は、アクの強さと言うか、日本人には押しの強さが気になる性格に感じられるのだが、彼らには彼らなりの「情」がある。日本人のウワベだけの親切心とは厚みが違う。タイ人も親切だが、タイ人の親切さとも違う。

 チェンライへの帰り道、チェンライ周辺でものすごい雨になった。これほどひどい雨の中を走るのは初めてで、ワイパーを動かしても、何にも前が見えない。視界は20メートル程度しかない。道路上もほとんど冠水してしまっている状態であった。そんな中でもモーターバイクが走っているのだから、驚きである。チェンマイの放送局には7時に到着。

朝食
チェンセンにて中国風の家庭料理。
昼食
メーサロンのホテルにて雲南料理。
夕食
食事を取る暇なし、アラレを少しかじる。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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