旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月10日 火曜日

今朝は6時に日本米を磨ぎ、7時には炊きあげ、ほうれん草の味噌汁と、炒り玉子を作って朝食とする。つまりありあわせのメニュー。特にほうれん草は冷蔵庫の中でしなびかかっていた。

優泰を幼稚園に送り、その足で病院へ向かう。お母さんの症状はかなり良くなってきていた。今日退院させる事にする。お医者さんはもう2、3日入院して様子を見てからなどと言ってくれるが、ここは私立病院であり、入院患者とはすなわちお医者さんにとってお客様なわけで、すこしでも長く入院して欲しいと言うことだろう。朝食にはフレンチトーストを注文していた様だが、なぜか普通の食パンも2枚皿に載って来ている。

しばらく、病室にいて、退職に当って返却しなければならない健康保険証を東京の会社に航空書留便で送るために郵便局へ向かう。郵便局は堀の内側でワットプラシンという大きな寺院の近くにあったことを覚えていたので、記憶を頼りに自転車をこいだ。

郵便物を無事に発送し、病室へ戻ったが、同室の女の子が寝ていたので、邪魔しては悪いとしばらくして退室することにした。
病院の次ぎに、飛行機の予約のことが気になったので、旅行代理店へまた立ち寄ってみる。私の韓国からの戻りの飛行機の予約はやはり未だできていないようだ。しかし、ここの女性マネージャーはなかなか切れ者で、「任せておいて、今週中には必ずOKにしてみせる」と大変頼もしい一言をいただく。私はこんな言葉が欲しかったのだ。

アパートへ戻り、ふたたび日本航空のバンコク支店へ電話をかけ、韓国から日本へのマイレージサービスを使った特典予約のお願いをする。そしたらば、なんと昨日は埒があかなかった8月2日の東京〜ソウルの飛行機が大阪経由で予約できるという。早速、予約手続きを依頼し、特典航空券申請のファックスをする。なんか今日は星のめぐり合わせが良いようだ。

昼食に朝の残りご飯にふりかけ(かつお味とゆかり)をかけて食べ、しばらくするとお母さんから電話が入る。「退院するから迎えに来て欲しい」と言う。すぐ行くと伝え、ビートルで退院用の衣類を持ってかけつける。

退院手続きは至って簡単であった。ただ金を払い、飲み薬をもらえば良いだけである。しかし、入院費用はこちらの物価から考えてちょっと高かった。2泊3日の入院で約6000バーツ。日本円にして1万7千円ほどである。点滴ばかりで大した治療を受けていないが、処置料が結構な額を占めている。まぁ、約2日間でお母さんをここまで元気にしてくれたのだから、感謝しなければ、、。でも、やっぱり私立病院だけあって、「別の個所の治療(手術)も是非、当病院へ」と売り込みがあった。金額は手術費用が2万バーツほどと言っていたから、日本の治療費と比べたら格段に安い。日本の生命保険の手術・入院特約を使って賄えそうだ。是非秋にでも手術してもらおうかと思う。

お母さんが家に戻ったら、なんだか急に疲れが出てきてしまって、お母さんと2人1時間ほど昼寝をしてしまった。この1週間は本当に色々とあってバタバタの1週間であった。

午後、優泰を幼稚園へ迎えに行く。お母さんはベッドで横になっていたので、優泰に「お母さんの周りにまとわりつくな」と言い聞かせておいた。そうしたら、きちんとひとりで幼稚園の宿題に取り組み、仕上げていた。

夕食は、お母さんも病みあがりだし、故郷の料理を食べたいだろうと思って、韓国料理を食べに行こうと提案する。今回は、ランナパレスホテルの近くにある「韓国食堂」という名の食堂である。外観は韓国の大衆食堂風であった。以前行った事のあるソウルガーデンレストランは前庭のある造りであったのとはちょっと対照的であった。メニューはハングル、日本語そしてタイ語で書かれており、だいたい一人前が120バーツ位からとなっていたので、値段的にはソウルガーデンと同じようだ。ここまでビートルに乗って来たので、今日はビールはオアズケである。注文した料理はビビンバとワカメスープ定食。韓国の食堂らしく、キムチなどの惣菜が6品ほどテーブルに並べられる。キムチの味はソウルガーデンより良いようだが、私のキムチに対する味覚など当てにならない。ビビンバもワカメスープも透明なガラスの器に盛られてきた。ビビンバに入れるコチュジャンは水あめの入れ過ぎかやたらと甘かった。もっと辛くしようと追加でコチュジャンをもらって、ビビンバに投入したら更に甘ったるい味になってしまった。色だけは真っ赤に染まったのだが、、。

店に来ている客層は、韓国人駐在員とその家族のようなグループと韓国人とタイ人の仕事上の関係のような2人組みが盛大に食べていたが、食事中の会話の声がやたらと大きい。ちょっとしたカルチャーショックを受けてしまった。タイでは食事中に大きな声で話している人をほとんど見かけないからである。しかし、良く考えてみると日本でも焼肉店だけでなく、居酒屋でもみんな大声で話しているわけだから、こんなことでカルチャーショックを受けると言う事は、自分がタイ文化に染まってきた証拠であろうか?後になって、日本人の駐在員風(工場の制服を着用)が2人入ってきた。

ふたたび、ビートルを運転して家路につく。途中、一方通行を逆送しようとしてしまった。チェンマイの道は一方通行がやたらと多く、そのくせ標識が消えかかっていたり、物陰にあったりしてとても見ずらい。幸い、おまわりさんに捕まることなく無事にアパートまで帰りつけた。

 

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(2015年5月からのブログ)

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