旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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8月10日 金曜日

5時少し前にお母さんに起こされる。義姉親子を空港まで送り届けなくては、、。しかし、まだ眠いし、夕べの酔いがまだ身体全体に残っているようでだるい。そしてやたらと水が飲みたくなる。

5時少し過ぎにビートルでオーキッドホテルへ迎えに行き、まだ暗い道を走って空港へ向かう。早朝のためか空港内も深閑としており、搭乗手続きも待たされることも無くスムースにおこなえた。出国審査場は6時半にならないと開かないというので、出発ロビーのベンチに座って、開くのを待つ。やはり、こんな形で義姉親子を送り出すのは、心に引っかかるものを感じる。トシもせっかくチェンマイへ来てくれて、この週末にはあちこち連れていってあげたいと思っていたところだったのに、、。

アパートへ戻り、まだまだ身体がだるいので、ベットに横になる。だらだらしていたらお母さんがさっさと優泰を幼稚園へ送ってくれてしまった。9時過ぎにお母さんも誘って、Y氏夫妻とビートルでウモン寺へ行く。ウモン寺の池にはナマズたちがゴニョゴニョと泳ぎまわっているのが水面からも確認できたが、魚のえさ売りもおらず、また平日の午前中ということもあって、人影も少なかった。ウモン寺の後、お母さんをいったんアパートへ戻し、Y氏夫妻とチェンマイの古オートバイ屋めぐりをする。Y氏は古いオートバイマニアなのだが、奥さんはオートバイには関心も無く、ちょっとオートバイ屋めぐりに引っ張り出すのは申し訳無いような気もしたが、ひとりホテルで待っていていただくわけにも行かず、何軒かの古オートバイ屋にお付き合いいただく。Y氏持参のオートバイの古雑誌をバイク屋のアンちゃんたちは涎を垂らさんばかりにかぶりつきながら、時にため息か叫び声かわからないような声を口元から漏らしていた。彼らは一冊300バーツで売ってほしいと懇願したところ、気の好いY氏は何冊ものオートバイ雑誌をタダで彼らにあげてしまった。

バイク屋めぐりをしているうちに昼になり、道端のラーメン屋に飛び込む。チャーシューとワンタンの入ったラーメンを注文し、3人ですする。なかなか美味しいラーメンであった。特にチャーシューはほんのりと甘く、肉は柔らかく、とても美味しかった。
昼食後、二人をロイコー通りのマッサージ屋に届け、夕方6時に再会することとし、私はアパートへ戻る。

アパートに戻ったところ、お母さんは外出中であった。きっとシュッピングセンターのスーパーに買い物をかねて出ているのだろうと予想し、お姉さんも帰ってしまい、ひとりでお昼を食べるのはさぞやさびしいことだろうと思って、ショッピングセンターへ探しに行ったがどこにも見当たらず、結局3時頃になって戻ってきた。ショッピングセンターの中にいたそうなのだが、私が探したスーパーのある地階ではなく、上の階で食事をしていたそうだ。が、案の定、目を赤く腫らしていて、ときどき涙を浮かべているので、やはり寂しいのであろう。

夕食はY氏夫妻を交えて、我が家と合同でコカでタイスキを囲む。Y氏たちはもっぱらビールを飲み、私はメコンのリポビタン割りをすする。ここのメコンは特に美味しいので、Y氏に勧めたが、メコンは飲まれずにもっぱらビールを飲まれていた。その後、アパート脇の道端バーにY氏夫妻と立ち寄り、米焼酎(ラオカオ)をソーダ割にして飲む。Y氏はこの素朴で、田舎くさい酒を気に入ってくれたようだが、奥さんは臭いが気になるしく、口をつけられないようであった。

アパートへ戻ると英語の先生が来ていた。トシがレッスンを予約を残したままいなくなってしまったので、代わりにお母さんがレッスンを受けることにしたようだ。レッスンの後、先生とメコンで一献する。

 

 

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(2015年5月からのブログ)

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