旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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5月9日 木曜日    天気は晴れ タイの祝日です 

 お母さんの韓国人の友人のところの男の子を1日預かる。別にそこの家で何かあるので預かるのではなく、ただ我が家へ遊びに行かせたいだけのようである。お母さんとしては優泰に韓国語に接しさせるよいチャンスと考えているようだし、両者の利害が一致しての事のようだ。午前10時にビートルでその子を迎えに行く。

 この子は10歳で、韓国人の子供としてはおとなしいタイプと見えた。優泰が6歳だから、ちょっと大きいお兄さんにあたるだろうか、それでも優泰の話す片言の韓国語でコミュニケーションが取れている。もっとも、コミュニケーションの媒体は言葉ではなく、オモチャを介しての事だから、韓国語でも、タイ語でもなんでも同じなのだろう。

 昼食にはYMCAの食堂へ行く。電信柱に張られたチラシにYMCAの食堂で29バーツバイキングをしているとあった。ここなら歩いて行けるしバイキングは楽しい。炎天下の中4人で歩いていった。しかし、時刻は午後の1時。バイキングはやはり早めに行くべきであった。オカズがほとんど残っていない。残っていたのは、白菜の煮込み、青唐辛子の炒め物、タケノコの細切りと玉子の炒め物、厚揚げ豆腐の煮物、ライス。少なすぎる。炒飯もない。デザートも早々に無くなっている。これでは私でも元が取れない。そして、数少ないオカズも間もなく食べ尽くされて追加される事無く、姿を消してしまった。「麺類ならまだあるよ」と声をかけられて、麺類をすする。まったく寂しい限りのバイキングであった。やはりバイキングは刑務所並びの食堂に限る。あそこなら車で食べに行く価値も十分にある。

 午後、ナイトバザールにある東京堂へ行ってタイ語のテキストを探す。昨日は近くのショッピングセンターに入っている東京堂へ探しに行ったが、ここは規模が小さくて、私が探しているテキストが見当たらなかった。ナイトバザールの東京堂は規模が大きいので、こっちならばと探しに来た。そして、たった一冊ながら探していたテキストが置いてあった。タイの書籍の金額としてはちょっと割高の気もしたが、私がタイで見たタイ語学習のテキストとしては良くできていると思っているテキストだ。出版元はバンコクの小林さんで、テキストの題名が「テープで学ぶタイ語」となっている。テープで学ぶとあるが、タイ語の発音に関しては、ひらがなカタカナそして独特の記号まで駆使して日本人にも何とかタイ語の発音を理解させようとしているところが気に入っている。タイ語の発音は日本語では分類できない音が多いが、ローマ字式の発音記号だと、やはり日本人にはなじみにくい。他にもチェンマイの小此木さんのテキストが多数あったが、発音の詳細さでは小林さんに及ばない。カタカナの棒読みではまずタイ語は通じないのだから、、、。

 東京堂の後、お母さんに頼まれた買い物をするためにタニン市場へ回る。鶏肉や野菜類を買い込んだのだが、私一人で買い物をするよりも、お母さんと一緒のときのほうが、市場の人たちの愛想が良い。私が相手だと値引きもしてくれないし、量的なおまけもしてもらえない。お母さんはタイ語もほとんど判らないくせに、市場の人たちに声をかけるときは必ずワイ(合掌)して「サワディーカ」と声をかけるし、買ってお金を払うときにもワイをして「コーブクンカ」と礼を言うからだろうか、、。

 夕食を食べてから、韓国の男の子を自宅まで送る。優泰も一緒に送っていきたいとタダを捏ねたが、もう優泰は寝る時間であり、駐車場まで見送らせるだけにした。

朝食

お粥を作って食べる。優泰とお母さんはコーンフレーク。

昼食
YMCAの食堂で食べる。
夕食

お母さんがインスタントのルーを使ってクリームシチューを作る。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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