旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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3月9日 日曜日    天気は晴れ(早朝は濃霧)    

 午前5時にご来光見物に出発。チェンカムからプーチーファーまで地図を見ると約50キロの距離がある。6時には到着できるであろう。最近の日の出は6時半ころだから、十分に間に合うだろう。チェンカムからしばらくは田舎道ながら舗装されていて悪い道ではない。一箇所、橋の架け替えでもしているのか、河原へ迂回するところもあったが、真っ暗でも比較的走りやすかった。街道からプーチーファーへ折れるところに市場が立っていた。まだ真っ暗な中に人があつまり、品物を並べて地面にしゃがみこんでいる。電気がないのか、真っ暗にままである。ろうそくを灯している人もいるが、それでもとても暗い。このあたりの人たちは日の出前に市場で買い物をする習慣があるのであろうか、、。このような光景は以前ビルマのシャン州で見たことがある。

 プーチーファーへの道は悪くなった。舗装は途切れたのか、それとも舗装工事に入るところなのか、路面は土に道になった。道幅は広い。山の斜面に取り付けられた道であるが、路面も斜面も同じ土で、ビートルのライトに照らしても、どこまでが路面で、どこからが崖なのか良くわからない。坂も急だし、とてもスピードの出せる道ではなく、そろそろと慎重な運転を余儀なくされた。

 プーチーファーには6時半近くに到着。空が少しずつ明るくなりだしている。駐車場から山頂まで上ってみるが、風が強い。そしてすごい霧である。山頂には50人ほどの観光客が集まっていた。日の出の時刻を過ぎているが、空に太陽の輪郭さえ見当たらない。プーチーファーはラオスに向いて切り立った崖になっているのだが、崖からラオス側を眺めても視界は白いだけで、何にも見えない。雲海から昇る朝日ではなく、今朝は完全に雲海に埋没してしまった状態になった。山頂は風が強く寒い。何か温かいものでも売れば売れそうなのに、そんなものは売られていない。いるのはポラロイドのインスタント記念写真屋くらいである。しかも、この霧のためちっとも客がついていない。暖かいものは、駐車場脇にはたくさん売りに来ていたのに、まったくどういう了見であろう。7時近くまで待っても霧が晴れそうにないので、下山することにした。

 プーチーファー周辺の木には白い花が咲き、満開である。葉もつけず、咲いているので、遠目にはまるで桜を見ているようである。それが山の斜面いっぱいに広がっているから実に見事な眺めである。ご来光は拝めなかったが、この花を見れただけでも満足できる。あまりにも見事なので、所々にビートルを止めて記念撮影をする。同じ道を帰っても面白くないし、この先の北側にパータンと言う見晴らしの良い場所があると言うので、そこへ行ってみる事にする。そこまでの道もひどい悪路であった。未舗装でワダチも深い。小さなビートルにはちょっと辛い行程であった。

 パータンには立派な展望台があった。ここもラオス側に向かって切り立った崖になっているのだが、ラオス側はやはり深い霧に沈んで何も見えない。霧が崖をラオス側から立ち上ってくるが、タイ側から吹き付ける風で押し戻されている。その霧の動きがとても面白い。この展望台には、すばらしいトイレや広い駐車場があるのだが、観光客の姿は見られなった。売店でもシーズンにはできるのか、バラック風の建物跡がいくつも並んでいたが、営業しているものはひとつもなかった。このあたりは中国の雲南省から人たちが多いのか、漢字が目立つし、朽ちかかった「雲南小吃」などと書かれた看板もあった。麓の集落で朝食を食べたが、ここでは水の代わりに中国茶を出してくれた。

 チェンマイへの帰り道はチェンコンというメコン川に面した町へ出て、チェンセン、チェンライと回って帰ってきた。チェンマイに帰り着いたのは夕方6時。夕食にコカでタイスキを食べて済ませ、早めに寝ることにしたが、外ではカエルが盛んに鳴いている声が聞こえた。そろそろ雨でも降るのであろうか、、、。空気がとても乾燥しているので、雨が待ち遠しい。

朝食

パータンの集落にある雲南人の簡易食堂で鶏肉のクオッティオうどん。

昼食

チェンライの町の食堂で豚挽き肉のバジル炒めご飯。

夕食
コカにてタイスキ。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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