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6月9日 土曜日

今日はタイに来て初めての泊りがけでの家族旅行。
チェンマイのとなりメーホンソンへ行く。メーホンソンはタイでもっとも僻地にある県として知られていて、チェンマイからでさえバスで8時間もかかるのです。

朝6時に起きて、6時半前には家を出てバスターミナルへ向かう。
メーホンソンへは18年前に行った事があるが、当時は道路も未舗装で、雨季には通行止めとなっていたが、現在では直通のバスも運転されていると情報誌に出ていた。メーサリアン経由の南回りルートは350kmの距離でエアコンバスも走っているが、パイ経由の北回りルートのバスに乗る。こちらはエアコンなしのバスしかないが距離は250kmと100kmも近いのである。

バスターミナルの奥にパイ経由のメーホンソン行きのバスが止まっていた。しかし、これが小型のオンボロで、見るからに乗り心地が悪そうである。しかも車内はほぼ満席。なんとか3人ばらばらに席を見つけたが、前方の若い男性が席を譲ってくれて、優泰は最前の一人用座席、お母さんはその後ろの座席に着く事ができた。そして私は彼等のとなり、エンジンカバーの上の荷物置き場に座る事となった。

午前7時にバスは満員のお客を乗せて走り出し、快調にメーリム・ファーン方面のハイウエイ(チェンマイから北へ伸びている)を走り、30分ほどでハイウェイから左折して離れたらば、突然田舎道となり、沿道で拾うお客も民族衣装を着た山岳少数民族のおばさんが増えてきた。もう狭い通路にも人が立つようになり、運賃を払わない優泰をひとり座席にふんぞり返って座らせておくのに気が引けてきた頃、バスは山道に入り、のん気にウルトラマンの絵本など見ていた優泰の顔が青ざめてきた。そして、災難は突然エンジンの振動を必至で耐えている私にまさしく降りかかってきた。私が珍しく履いていた長ズボンの膝をめがけて、優泰がさっき食べたばかりのあんまんと豆乳を吐いてくれた。

2時間ほど走って山間の集落で小休止がある。私は水道のあるところへ走り、ズボンを履いたまま、ジャブジャブと脚に水をかけて吐しゃ物を流し、手ぬぐいを洗う。バスから降りて、元気を取り戻した優泰は性懲りも無く今度はキャンディーを食べたいと言い出す。ふたつで2バーツのキャンディーのストロベリー味とコーラ味を購入。10分停車といっていたが30分ほど停車し、濡れたズボンもほとんど乾いたところで出発。山道で通路に立つ人も辛そうなので、エンジンカバー席(?)は、立っている人に進呈し、私は優泰の席に座り、優泰を膝の上に座らせる。もっともとても窮屈な席なので、性格には、太ももの付け根に跨らせたといった表現の方が正しい。が、しかし、はじめこそウルトラマンの歌など一緒に歌ってやり、優泰の気分を紛らわさせていたが、狭くて硬い座席と重い優泰の体重で、腰がとても痛くなってきたところで、再度優泰は嘔吐をしてくれた。今度はビニール袋を手元に用意しておいたので、被害は最小限に食い止められたが、ビニール袋の内容物にはさっき舐めていたストロベリーのキャンディーの色が着いていた。

走ること1時間ほどでパイという比較的大きな集落で、ふたたび休憩。私はおなかが空いてきたので特大のツナサンドウィッチを食べる。35バーツもしたが大きなパサパサのコペパンに野菜とツナを挟み、食べ応えも十分にあった。このパイでは下車する乗客も多く、車内には空席もでき始めたが、優泰をひとりで座らせてまた吐かれては大変と、この後も引き続き私は優泰を抱えたままの苦痛に耐えることとなった。

メーホンソンには結局3時近くに到着した。なんとも8時間の難行苦行であった。下車してすぐに優泰はアイスクリームを食べたいと言い、お母さんもおなかが空いたというので、道端の食堂に入り、チャーハンやあんかけヤキソバなどを注文。アイスコーヒーを注文したらできないとのこと、仕方なくコーラを頼んだが、氷はないという。しばらくして店の主人が氷を大きな袋に入れてモーターバイクで帰ってきた。

今夜の宿は決めていないが、最近は西洋人たちが秘境めぐりでよくメーホンソンに来ると聞いていたので、ゲストハウスなどの施設は多いだろうと考え、通りから少し入ったところにある大きな沼の近くまで行ってみる。この沼のほとりにはビルマ風のお寺が立ち、タイ式の金色の仏塔とビルマ式の銀色の寺院が並び、それが静かな緑色の沼に映って美しい。メーホンソンの金閣寺と銀閣寺だ。また、沼のほとりには外国人目当てのレストランやオープンバーがあり、そしてこぎれいなコテージ式のゲストハウスがあった。庭に手入れされた芝があり、果物か何か実をつけた木が茂るゲストハウスが感じがよさそうであったので、部屋を見せてもらうと、室内は質素だが清潔で、家具調度も比較的新しく、何よりもエアコンとホットシャワーがでるコテージあったので、即断でそこに泊まることにする。宿泊料は500バーツと言う。部屋は狭くはないがそれほど広くもなく、一泊で泊まるには適当である。

早速、シャワーを浴びてから、このメーホンソンでの足であるモーターバイクを借りにひとり外へ出る。表通りを少し探すと、ホンダの新車が貸し出されていた。まさに新車でナンバープレートすら着いていない。店主に聞くと一日200バーツと言う。明日の12時までで良いから負けて欲しいと言うと、150バーツにしてくれた。ナンバープレートが無くても大丈夫かと聞けば、警察に勤めている自分が貸すのだから大丈夫だと、なんとも心強いお答え。

コテージに戻ると二人はまだ裸のままでベッドでゴロゴロしていたので、叱咤激励して、探検に行く準備をさせるが、いつも通り時間がかかる。結局3人で出発したのは4時半過ぎとなってしまっていた。
メーホンソンの南10キロにある村に温泉が湧いていると言うので、温泉に行く事にする。森の中に伸びるハイウェイは良く整備されていて、大きな木が茂る様は北海道の大雪山系の道を走っているようであった。しかし、ちょっと開けたところでは、田んぼがあり苗代があって、山里の雰囲気となる。

温泉は浴場などの施設が工事中であった。巨大な貯水池にお湯がためてあり、工事の人たちはこのお湯を浴びろというが、濁っているわけではないが、こんな工事現場でお湯を浴びる気になれず、今回は温泉浴を諦める。

温泉から戻る途中、看板にこの先2キロに滝ありとかかれていたので、右折して滝見物に向かう。しかし、これがとんでもない悪路で、ワダチは深く、坂は急で、路上には大きな石がゴロゴロしており、小さなモーターバイクの3人乗りにはちょっと過酷な道であった。 が、終点の滝の落差は20メートルほどあり、タイの滝の落差としては大きいほうなのだろうが、肝心の水がほとんど流れていない。チョロチョロと滴り落ちているていどで、本来滝壷となるべきところは、ただの水溜り程度であった。

再びメーホンソンの町に戻り、沼のほとりのレストランで休憩をする。お母さんはコーヒーシェーク、優泰はバナナシェーク、私はチャーンビール。ふだんあまり美味しいと思っていないチャーンビールだが、よく冷えていて今日は美味しく感じる。お母さんもコーヒーシェークがすごく美味しいと言う。しかし、優泰はバナナシェークがあまり甘くないから飲まないと言い出す始末。私の感覚からすれば、バナナ本来の甘さでさっぱりしていて美味しいと思うのだが、30バーツもするバナナシェークを一口飲んだだけで投出されるのはあまりにもったいない。ウエイトレスさんにお願いしてビニール袋へバナナシェークの残りを入れてもらうことにする。

沼のほとりを一周して、ゲストハウスお勧めのバイフェーンというレストランへ向かう。ハイウェイにつながる通りに面したそのレストランは入り口は至って普通のレストランであったが、奥行きが広い高床式建物のちょっと高級なレストランであった。ウエイトレスたちもこぎれいな服装をしており、調度類も嗜好を凝らしている。どうやらフェーンリゾートホテルというリゾート施設の一部らしい。
鶏肉の香草揚げやカシューナッツ炒め、野菜のオイスターソース炒めなどを注文。私はシンハビールの小瓶を貰い、お母さんはさっきのバナナシェークをグラスに移し、氷を浮かべて飲むことにする。
ウエイトレスたちのサービスも良く、料理も美味しかった。野菜炒めに入っている野菜の切り方も凝っていて、にんじんすら、ひとつずつ花模様や魚の形に切ったものを炒めてある。このレストランにもビール会社のキャンペーンガールは入っており、運良くシンハビールの娘であった。

食事を美味しく食べて、コテージへ戻り、8時半には床についた。このところ連日ネションベンをしている優泰に、ここでもオネショをされてはかなわないので、夜中12時に一度起こし、トイレへ行かせる。

 

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