旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月9日 月曜日

優泰は一人でも良く眠ってくれた。
朝ご飯には、昨夜のバタバタで食べ残していたうどんを食べさせる。
外は細かい霧雨が降っているので、優泰をビートルに載せて幼稚園まで送っていく。また、その足で病院に立ち寄りお母さんの見舞いをする。点滴が効いてきたのか顔色も良く、だいぶ元気そうだ。朝食の白粥も残さず食べていた。 また、YMCAへ今日の英語レッスンは欠席させてもらうと連絡に行く。 YMCAの先生によれば、タイの病院はやたらと点滴を打ちたがり、退院をさせたがらないとのことであった。日本のように看護婦不足やベッド不足もない事情から、私立病院としては、点滴を打ったり、一日でも長く入院させているのが、営業上得策なのであろう。

一旦アパートに立ち寄り下着など必要なものをカバンに詰めていたら、旅行代理店から電話が入る。7月26日のチェンマイ〜バンコクのフライトがキャンセルになったが、どうするかと言う。まったく面倒な事が次々と起こるものだ。電話で話しても埒があきそうにないので、そのまま旅行代理店に立ち寄ってみる。欠航の理由ははっきりしないが、とにかくこの便には乗れなくなったようで、前日の7月25日のフライトへ変更させられる。また、私の韓国往復についても、まだソウル〜バンコクの間が予約が取れないで入るようだ。こんな事でいったい大丈夫なのだろうか、、。

再び病院へ行き、下着類を手渡す。今度は果物が食べたいと言い出したので、午後に来るときに買ってくると約束する。

昼前に一旦アパートへ戻り、小屋がけ食堂でカレー汁かけ飯を買って食べる。本来は昼にお母さんにタイ語の家庭教師が来る事になっているが、入院している事の連絡がつかず、代わりに私がレッスンを受けることにした。1時間ではあったが、タイ語で1月から12月まで来週までに覚えておくようにと宿題を出されてしまった。先生はチェンマイ大学の女子学生である。英語は上手なのだが、すぐ英語ではなくタイ語で説明をしてくれて「カウチャイマイ(わかった?)」と聞いてくるので、そのたびに首を横に振らなければならなかった。

日本航空に電話をかけてたまったマイルでソウル〜東京間の特典航空券への引き換えを依頼したかったが、電話口に出たタイ女性の係員は、英語で日本からソウルへの便はすべて満席で、予約ができないと言う。まったく昨日からどうも星のめぐり合わせが良く無いようだ。このマイル特典航空券が使えなければ、今旅行代理店に依頼している韓国往復に変更した航空便の意味がないではないか、、。そんなことなら変更の依頼などするのではなかった、、。

午後、自転車の空気圧が減っていたので、洗濯屋の隣のパンク修理屋でタイヤに空気を入れてもらう。また、東京で履きつぶした革靴を靴の修理に出す。靴底からすべて交換すると言う。それでも人件費の安いタイの事だから大した金額にはならないであろう。お母さんのリクエストであった果物のパイナップルとスイカを買って、病院へ向かう。

4時近くに優泰を幼稚園に迎えに行く。タイ文字の宿題をさせて、階下のノートと遊ばせる。お母さんが入院していても、気丈にふだん通り振舞ってくれるので、助かる。しかし、夕方6時を過ぎても戻ってこない。1階へ捜しに降りたが見当たらず、管理人さんも見かけなかったと言う。まったくどこへ行きやがったのか、、。アパートの周りを一通り探しても見つからないので、部屋へ戻ろうとエレベーターを待つと、開いたドアから優泰とノートが降りてきた。

夕食前に優泰を連れて病院へ行く。病院の中のカフェテリアは夜8時まで営業とあったが、優泰と何か食べようと立ち寄ったが、まだ7時前と言うのに、厨房の火を消してしまったので、何も作れないと言う。しかたなく、隣の売店でお母さんの夜食用にカステラと牛乳を買う。

夕食は、近所の台湾料理屋に入る。いつもは3人で食べるのと同じメニューを2人で注文する。すなわち、水餃子、焼き餃子そしてオムライス。どうせ優泰の事だから、とても食べきれるものではないと考えていたが、難なくきれいに食べてしまったのには驚いた。私は餃子をつまみにビールを飲みたくなり、ビールを所望したが、ビールはないとの事。ビールどころか酒類がメニューにない。あるのは紅茶やコーヒー、ジュース類で、喫茶店のメニューを見ているようだ。アルコールが多少でも含まれているのはアイリッシュコーヒーぐらい。が、この店の料理は、小魚とピーナッツの炒め物、豚の耳と野菜の炒め物など、台湾の居酒屋メニューのオンパレードなのだが、、。店内においてある世界日報という華字紙に眼を通していたら、新しい台湾のコインで20元が登場したとの記事が写真入で出ていた。従来、台湾の通貨の肖像は蒋介石か孫文だったのに、今回は台湾原住民タイヤル族のモーナルーダオが登場した。これだけでも、台湾の台湾化を印象付けるが、モデルが1930年の霧社事件(日本と原住民との衝突事件)の原住民側の首領であったことに、学生時代に霧社事件を調べていた私としては実に感慨深いものであった。是非近いうちに台湾へ立ち寄る機会があれば、このコインを入手したいものだ。

夕食後、久しぶりに優泰へマレー風のクレープを買い与え、私は雑貨屋で米焼酎を一本買う。

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(2015年5月からのブログ)

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