旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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7月6日 金曜日

夜明け前の午前2時頃に寝苦しくて目が覚めてしまった。飲み過ぎの症状と、暑さによるものらしい。汗をだいぶかいていたのでシャワーを浴びて再び床に入るが、明け方まで寝つけなかった。

6時半にベッドから抜け出して、運動にひとりで出る。ちょっと寝不足気味だが汗をシャワーで流したらすっきりとした。朝食には日本から買ってきた山芋ソバを茹でて食べる。2束茹でたが、3人で食べるにはちょっと量が多すぎたようだ。それとはじめは「おソバ大好き」とか言っていた優泰も、ほんの少ししか食べず、もっとちゃんと食べなさいと言ったら「食べたくない」とか言い出し、目に涙まで浮かべる始末。情けない。

朝食を食べ終わるや否や、またもノートが部屋へ上がり込んでくる。今日は2泊3日でスコタイ遺跡へドライブ旅行をする予定。私はビートルの気になるところを確認するべく、駐車場で工具を広げる。ドロ除けのネジが緩んでいたので締め上げ、小物入れのフックを調整する。

調整が終わり部屋へ戻るとノートはノートのお母さんに連れられて部屋から出てくるところであった。どうやらノートは目が覚めると、トイレにも行かず、朝食も食べずに優泰のところへ遊びに来たそうだ。旅支度をして、アパートを出たのは10時を過ぎていた。ガソリンがほとんど無いので500バーツほど入れる。ガソリンが先月と比べてリッターあたり1バーツほど安くなっているようだ。1リットルが15.27バーツとなっていた。

チェンマイ市外へ向かう道に出たのは、10時半を回っていた。急ぐ旅行ではないのでハイウェイではなく旧道を行くことにした。ランプーン街道は狭くて、民家も多くスピードは出せないが巨木の並木が続き大変気に入っている街道のひとつで、のんびりとドライブをする。

ランプーンの市街地に入り、そのまま街道を直進していたが市街を過ぎてだんだん鄙びてきたので、左折をししばらく走って橋を渡る。ますます田舎道らしくなってきたが、委細かまわず走っていく。道はイングランド風の農場を抜け、牧歌的な農村を過ぎ、川に沿って走ったかと思ったら、どこかで見た川である。そうそう、今から15分前に通り過ぎた川ではないか、良く見るとさっきと同じ道を周回していることに気付き、慌ててさっきとは別方向に折れてしばらく走るとバイパス道路のような広い通りに出て、そのままスパーハイウェイへ入ることにした。タイの田舎道はのどかだがどこをどう走っているのかわからなくなるので怖い。

結局だいぶ時間をロスしたが、スーパーハイウェイはさすがバンコクとチェンマイを結ぶ国道だけあってよく整備されている。峠道をひとつ越えてランパーンまでは約1時間ほどで到達。時刻は12時半になっていたが、優泰は昼寝中であったのでそのままビートルを走らせる。ランパーンでスーパーハイウェイと離れ、一般国道に入る。ここからはデンチャイ方向へ走る山道があり、スコータイへは距離的にこの道のほうが近いようである。バスは峠の少ないスーパーハイウェイをターク経由で走るようだが、田舎道のほうが性分にあっているのでデンチャイ経由の国道を進む。

そろそろ昼ご飯にしたいと思うのだが、食堂はおろか集落のひとつさえ現れない。デンチャイまではまだ60キロと出ているし、あと1時間は食事にありつけそうに無い。峠道はくねくねと続き、坂を登ったり下ったりしながら先を進む。優泰は以前眠ったままである。

デンチャイまであと10キロほどの所で道路は二股に分かれ、右へ行くとデンチャイ、左へ行くとシーサッチャナライ、目的地のスコタイへの近道のようだ。ここでは迷わず右折したが、これによってあと60キロは食堂を見かける事はできなくなった。とにかく、まったくの山道である。途中スコールにも見舞われた。

山道を走っていたら、道の真中で大きな黒い虫が仰向けにひっくり返って足をバタバタさせているのを見かけた。このままにしておいたら後続の車に踏み潰されそうなので、救助してあげる事にしてビートルを止めて、虫のところに駆け寄る。
大きなカミキリ虫であった。日本のゴマダラカミキリやシロスジカミキリとは比較にならないほど大きく、カブトムシくらいの大きさであろうか、そしてノコギリクワガタのような巨大なアゴを持っている。このなのに食いつかれたら指の一本くらいあっけなくもぎ取られそうなので、近くに落ちていた木の枝を差し伸べて、救出する。そしてしばらくすると羽を広げてユラユラと舞い上がった。飛んでいる姿は、見た目の精悍さとは裏腹に頼りの無い飛び方であった。

結局食堂はシーサッチャナライの町まで無かった。時刻は既に3時を回っていた。通り沿いの食堂にかけ込み、ありあわせのメニューを3点注文する。田舎の食堂の割にはメニューの料金は高めであった。そして味はやはり田舎の食堂並であった。

シーサッチャナーライの町も郊外にスコタイ時代の遺跡群が残っていて、世界遺産に登録されているそうなので、遺跡群の近くをゆっくりと車で流して見学する。崩れかけたレンガの台座などが無造作に草叢にあり、またその周囲には民家もあったりする。ひょっとして遺跡などと言うものは、保存したりするものではなく、朽ち果てるに任せておくべきなのではないだろうか、今この遺跡の横の民家も何百年後かには21世紀の遺跡となりかねないと思った。まぁ、竹で編んだ民家など何百年後どころか何十年後にはもう跡形も無くなっているだろうが、、。

スコタイの街には6時に到着した。ヨム川沿いのリバービューホテルという中級クラスのホテルに宿を取る。川に面した部屋で、エアコンのある広い部屋に、衛星テレビも映るが、バスタブと冷蔵庫が無い。シャワーを浴びてすっきりしたところで、日本のガイドブックにスコタイ遺跡は「一部夜間ライトアップされる」といった記述があったので、さっそく日没を待って夜の遺跡見物に出かけた。遺跡はスコタイ市街から約14キロ離れたところにある。広いハイウェイを快調にはしって遺跡公園内へ乗り入れたが、真っ暗であった。どこにもライトアップされている遺跡など見当たらない。一応遺跡公園内をゆっくりと一周して、「地球の歩き方」にまたしてもだまされた事に気付き、再びホテルへ戻る。

時刻は8時になっていた。これから食堂捜しは面倒なのでホテルの食堂に入る。この食堂にはステージがあり、エレクトーンがあって、10人ほどの歌手たちがとっかえひっかえステージに立って歌を歌うのだが、お世辞にもプロの歌手と呼べそうな歌手は2、3人ほどしかいなかった。料理は優泰に注文したマカロニ炒めが好評であった。長さ10センチほどの穴のあいたマカロニをパイナップル、ネギ、玉子、エビなどとケチャップで炒めたもので、赤く色の着いた長さ10センチほどのマカロニが皿に盛られた様は、なんとなくミミズを想像させるものがあった。ほかに野菜のオイスターソース炒めも絹さやがたっぷりはいっていて美味しかったが、タイ式の牛肉サラダ(ヤムヌア)は味は良くて私には美味しかったのだが、やはりタイの牛肉だけあったとても硬く、フィレであってもスジ肉並の硬さのため、お母さんは一切れ食べてギブアップをしてしまった。

 

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(2015年5月からのブログ)

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