旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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2月6日 木曜日    天気は晴れ    

 今日は、パソコンから離れて、Isさんとビルマ国境まで行く。Isさんのタイでの滞在許可が今週末で切れてしまう。そこで、滞在延長の手続きをとるか、いったん国外へ退去するかのどちらかなのだが、今回は国外退去を選択した。朝7時にIsさんの車でアパートを出発。国境までは交代で運転していくこととし、はじめはIsさんがハンドルを握る。チェンライへの国道は快調なのだが、Isさんは山道の運転は得意ではないらしく、1時間も運転しないうちに、「いゃー疲れた。ネェーどっかにドライブインかなんかないの、、、。ちょっと休憩していかない? 俺さぁ休憩って大好きなんだよね。」などと言い出す。ドライブインと言っても、日本のような近代的でスムースなドライブインと言ったものが、こんな北タイの山奥にあるわけないのだが、峠をひとつ越えたところに温泉が沸いており、そこはチェンマイからチェンライ方面へ向かう旅行者たちがよく立ち寄る場所で、みやげ物や簡単な飲食施設がある。そこまで行って一呼吸入れることにした。
 温泉には沢山の観光バスや小グループを乗せたバンが沢山止まっていた。みやげ物屋が並ぶ路地を先に進む。タイの観光地にあるみやげ物やは、どうしたわけかTシャツやが多い、そして山岳民族風刺繍の付いた小物類、さらにインチキ臭い宝石類を売る店が多い。中ほどにコーヒースタンドのような施設があり、フレッシュコーヒーを飲ませると書かれている。周辺の猥雑なみやげ物屋や前近代的な簡易食堂と比較すると、よほど洒落た作りである。フレッシュと言っても、豆から挽いてくれるのではなく、コーヒーメーカーのコーヒーであった。Isさんはアラビカコーヒーを注文し、30バーツを支払う。私はアイスコーヒーを注文するが、「フリー(無料)」だと言う。どうやら私をツアーガイドとでも勘違いしているようだ。私は国境を越えるのでワイシャツを着用していたから、そう思われたのかもしれない。ありがたくいただく。Isさんはコーヒーが口に合わなかったのか、ほんの少し口をつけただけで、大半を飲み残していた。

 温泉からは私がハンドルを握り、チェンライまで走る。今は乾季のまっ最中なので、毎日のように快晴が続くのだが、どうしたことか今朝は9時近くになっても太陽が顔を出さず、どんよりと曇っている。それのみならず、路面がちょっと雨が濡れている。雨でも降ったのだろうか、、、。チェンライの町でガソリンスタンドに立ち寄る。このところガソリンの値上がりが激しい。今年になってもう2割位高くなっているのではないだろうか、ハイオクでリッター18バーツ、レギュラーで17バーツほどになっている。ガソリンを600バーツほど入れたが、このスタンドではペットボトル入り飲料水などのプレゼントもなかった。

 ガソリンスタンドを出てから再びIsさんがハンドルを握る。私は助手席でナビゲーターをするのだが、ここから国境までは一直線で60キロほどだから、らくらく出ある。しかし、どんよりとした空から小雨が降り始めてきた。国境に到着した時もまだ霧雨が降っている。我々は傘を持ち合わせておらず、そのまま雨に濡れながら国境の橋を渡る。Isさんは歩いて国境を越えるのがはじめてらしく、少し上気しているようだ。橋の中央あたりへ来て「この辺が国境線かなぁ」なんて言って、足元を見つめながら一歩一歩確かめるようにして歩く。

 時間は11時半になり、そろそろ昼食を食べたいのだが、ビルマ側の町「タチレク」には、小奇麗な食堂と言ったものが見当たらない。国境近くの丘の上にホテルが見えたので、そこへ行けばまともなものが食べられるだろうと期待して丘の斜面を登る。Isさんは「ビルマ料理なんて初めてだなぁ」なんて言いながら、ホテルまでたどり着いたが、どうも様子がおかしい。営業をしていないのか、ホテルに人の気配がない。ビアテラスと書かれた展望のよさそうな場所も、もぬけの殻である。どうやら、本当に営業していないらしい。仕方なく霧雨に濡れながら、丘を下り、町中で食堂を探す。Isさんは、ビルマの女性たちが頬に白い粉末を塗っているのが不思議そうで、「どうして、あんなもの塗ってんのかねぇ」などと言う。「そりゃ、ここの人にとっては、それを塗るのが美的感覚にもあっているからじゃないですか」と答えたら、「そんでも、ビルマには美人がいないね」と違う方向に話しが流れた。そりゃ、こんな辺境の小雨降る街頭で、美人を見かけるのは、タイでもビルマでも、そして日本でも難しいだろう。ところが、美人はいたのである。散々歩いても、露店程度の飲食店しか見つからない中、なんとか店構えのある食事施設を発見。食堂ではなくカラオケと書いてあるが、食べ物があると言う。そう答えた店の女性が美人であった。彼女だけではなく、客のいない店内で、暇そうにテーブルでおしゃべりをしている何人かのウエイトレスたちもみんな美人顔である。で、何が食べられるのかと質問したら、チャーハンだけだと言う。私は他を探そうかとも思ったが、さっきまでビルマ料理なんて言っていたIsさんが、「俺、チャーハン大好きなんだよね」なんて言い出す。
 席につくと、ウエイトレスが菓子パンとタバコを盛り合わせた籠を持ってくる。暑いお茶の入ったポットも持ってくる。ひょっとして、彼女たちはウエイトレスではなく、ホステスではないだろうかとも思ったが、籠とポットを運んできては、またもとのテーブルへ戻っておしゃべりをしている。良く判らない店だ。運ばれてきたのは、目玉焼きののっかった鶏肉入りのチャーハンとキャベツの千切りに大甘のドレッシングをかけたもの、ナスと大根のスープ。注文したのはチャーハンだけなのに、、、。こうして次々に何か持ってきてしまうのは、ひょっとして会計の段になって、怖いお兄さんが出てくるのではないか、、と気にはなったが、まぁそれでもブルジョワのIsさんと一緒だから平気かな。チャーハンは結構美味しかったし、スープも味噌汁風でなかなかの味である。これは正解だったのかもしれない。そして、支払いの段になって、金額は一人前30バーツと言う。なんだ、値段も高くないじゃないか。

 2時にはタイに戻って、せっかくここまできたのだからと私が誘って、ゴールデントライアングルでも見ていこうと言うことにした。ゴールデントライアングルは外国人観光客でいっぱいであった。ヨーロッパ人たちにとって、国境の川なんてちっとも珍しいものでもないのだろうに、すごい人出で、記念撮影なんかをしている。土産物屋も多い。オピウム博物館に20バーツの入場料(またも私はタダ)を払って見学する。外国人観光客が期待するのは、単なる国境なんかではなく、マリファナの一大中心地として知られたゴールデントライアングルと言うオドロオドロしさに、怖いもの見たさの好奇心が加わってのことであろう。この博物館こそ、それを代表していそうだと中に入ってみるが、実物のマリファナがあったり、芥子の畑があったりと言うものではなく、何点かのマリファナを吸っている山岳民族の写真や、蝋人形、それとマリファナを吸うためのキセル類のコレクションが並ぶだけで、ちょっとも好奇心を満足させる展示物はなかった。Isさんがもっとも関心を示したのは、首長族の写真パネルの展示であった。

 3時にゴールデントライアングルを出て、チェンマイへ向かう。また、Isさんと交代でハンドルを握り合う。帰り道も順調で、休憩を取ることもなく、7時前にはアパートに到着した。バンコクのH部長のところの社長さんから電話があって、「今夕にチェンマイに行くから、是非私とあって話がしたい」と言っていた。宿泊先はメーピンホテルなので、そこに来てほしいと言う。8時にホテルまで言ってみるが、外出中のようであった。ロビーで10時近くまで待たされ、もうこれだけ待ったんだからと、メッセージを残して帰ろうと思い、席を立ったところで、社長さんはブレザー姿でロビーに現れた。私の計画中のビジネスについてやけに関心があるようで、ずいぶんと色々質問をしてきた。私も社長の会社が今後どうなって行くのか気になるので、質問をしたいのだが、私が質問する数倍の勢いで、いろいろと聞かれてしまう。結局11時すぎまで、ホテルロビーでお茶も飲まずに、質問攻めに会う。

 

朝食
ご飯と豆腐のソボロ。
昼食
チャーハンとナスと大根のスープ。
夕食
牛肉サラダ冷やしシャブシャブ風。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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