旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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4月6日 土曜日    天気は晴れ 

旅社裏の朝食屋で台湾での定番の朝食を食べる。油条と言うあげパン風。これはタイのパトンコーと同じだが、タイのものよりもだいぶ大きくそして長い。焼餅、これは塩味の少し効いたパイ生地。丼に入った豆乳。味は台北下町の味であったが、金額は49元であった。ちょっと高いかな。8時過ぎに旅社を出て空港へ向かう事にする。空港直通バスに乗れば簡単だが、それではこの短時間の台湾滞在がちょっと寂しい。たった一晩の滞在でも120パーセント以上楽しまなくては損をした気になる私としては、鉄道駅へ向かった。空港までの直通の鉄道路線は無いが、空港に近い桃園までは縦貫鉄道が通っている。わずかな滞在も汽車に乗ることでかなり楽しめると考えた。

台北の駅前には古いディーゼルカーが展示されていた。何かの展示室を兼ねて置かれているようだが、内部には淡水線と言って台北と北部の淡水を結んでいた支線に関する資料が展示されていた。この線は10年以上前に廃止され、現在は近代的な鉄道が走っているのだが、以前は古い客車を機関車が引っ張るローカル線ムードいっぱいの支線であった。この古いディーゼルカーもその支線を走っていたものだろうが、外観のデザインから言って、相当に古いものであった。たぶんオリジナルは日本統治時代のガソリンカーであろう。

台北駅で列車の出発時刻を確認してみたら、08:43発の自強号特急があった。切符は自動販売機で買える。自強号は台湾随一の特急列車である。運賃は桃園まで60元少々。せっかく来たのだし、是非自強号に乗ってみようと、自販機で切符を購入。ホームへ降りた。間もなく銀色にオレンジ色の綺麗な車体を光らせながら自強号が入ってきた。私は何のためらいも無く乗りこむ。6割くらいの乗車率だろうか、ゆったりした座席で快適だぁなんて思っているうちに車内アナウンスが入る。「本日はご乗車ありがとうございます」的なアナウンスに続いて、停車駅の案内が続いて、私は青くなった。そう、自強号とは特急で、日本で言えば新幹線ひかり号に相当する。そして桃園駅は熱海駅にでも相当するだろうか、、、。当然のことながら、ほとんどのひかり号は熱海なんかには停車しない。したがってこの自強号も桃園駅には停車しないようだ。名古屋に相当するのは台中駅だ。そこまで行ったら、この列車に乗っているうちに飛行機の出発時刻が過ぎてしまう、、。私は血相を変えてデッキへ出て時刻表を確認した。時刻表には沿線の各駅を通過する「レ」印が上から下まで並んでいる。こりゃ困った事になった。車内電話で中華航空へ便変更の依頼をしようかと考えているうちに、地下トンネルの中にある板橋駅に停車し、ドアが開いた。私は荷物を引っ担いで急いでホームへ降りた。ひかり号でも新横浜に止まるのがあるように、自強号も松山駅に停車するのが結構あったようだ。ホームの駅員に「桃園へはどの汽車に乗るのが早いか?」と聞いたら「09:07発の自強号」との答えが返ってきた。それなら桃園駅にも停車するようだ。

後続の自強号は旧式の特急で、車内は通路に人が立つほど混んでいたが、9時半には桃園駅に到着した。桃園駅に降り立つのは何年ぶりだろう、、。駅前はずいぶんと変ってしまった。空港行きのバス乗り場もわからない。バス停を尋ねながら駅前を歩き回り、ようやく辿り着いてバスの時刻表を見ると、どうやらバスは行ったばかりで、次のバスまで40分もある。今度は散財も止む無しと思いタクシーに手を上げた。

空港へはタクシーでも30分ほどかかった。運賃は445元。安くはないが、なんとかチェックインの締め切りには間に合った。しかし、散財はこれにとどまらなかった。カウンターでチケットを確認していたスタッフは、「この切符には空港税が入っていないから、払いなさい」と言うではないか、私は「24時間以内の乗り継ぎだから免除じゃないのか」と抵抗したが、台北の空港は、兎に角入国したら空港税を払わなくてはいけないそうだ。ここでまた300元散財してしまった。

羽田空港へは3時半過ぎに到着。蒲田へ出て、それからJRと西武線を乗り継いで大泉の家へ向かう。

 

朝食

油条に豆乳と言った台湾の朝食。

昼食

中華航空の機内食。

夕食

実家でカツを食べる。

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(2015年5月からのブログ)

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