旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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5月5日 月曜日    天気は晴れ 国王即位記念日

 日本ならば子供の日であるが、当地では国王即位記念日で、祝日である。タイでの子供の日はすでに済ませているので、我が家では「子供の日」としての特別の行事はない。鯉のぼりの歌を歌ったりすることもない。

 優泰と2人で修理屋へ再びビートルを預けに行く。修理屋に入れた時間が遅かったからか、修理台はすでに他の車で埋まっており、工員たちもそれぞれの車に張り付いている。こりゃ横に立って作業を監視していてもいつ順番が回ってくるかなどわかったものではない。かと言ってこのままアパートヘ戻っても優泰のお守りを一日中させられるだけだから、帰る気にもなれない。そこで修理屋から比較的近い県外行きのバスターミナルへ行ってどこか近郊まで出かけてみることにした。

 午前10時前のバスターミナルはバンコク方面行きの豪華で華やかなバスはほとんどなく、隣接県行きの比較的地味なバスばかりが並んでいる。さてどこへ行ったものだろうか、、。チェンライ方面行き緑色の車体の大型バスは満員のようで、切符売り場にも長い行列ができている。白い車体に黄緑色を配した中型のバスは隣のランプーン県のリーと言う郡まで行く。これが比較的空いていて快適そうだ。バスの車体に途中経由する主な町の名前が書かれていたので、そのなかのひとつパーサーンと言う町まで行ってみることにした。

 スーパーハイウェイをランプーン近くまで走り、途中から旧街道に入る。車掌さんが車内で運賃を集めに来たが、チェンマイからパーサンまでの運賃は25バーツで、優泰も10バーツ取られた。こうしたローカルバスで優泰の運賃まで取られたのはこれが始めての経験で、いままで優泰は無賃扱いだった。優泰もそれだけ大きくなったと言うことだろうか、、。
 バスの中では優泰が学校で覚えてきたと思われる手遊びの相手をさせられる。インターの学校だからであろうか、私の知っている手遊びとはずいぶんと違った種類のもので、言葉もやはり英語である。

 ランプーンの町で10分ほどの休憩があり、優泰とバスから降りて近くのコンビニに入る。いまやタイは日本以上にコンビニが乱立気味である。田舎町へ行ってもコンビニはあるし、二、三軒並んでいるなんてのも良く見る光景である。ここのコンビニでミニアンパン(5個入り)と牛乳、スナック菓子を買う。私は間違って砂糖入りの牛乳パックを買ってしまった。それに気づいたのは再び走り出したバスの車内でのことである。

 ランプーンを出て30分ほどで、車掌さんが「パーサーンのどのあたりで降りるの」と聞いてきた。しかし、別に目的があってきたわけではないので、どこでと言われても困ってしまう。どこでも良いから適当に降ろしてほしいと伝えたら、小さな市場の前で降ろされた。正面には寺もあるが、これと言って見所が在りそうにない。観光案内所も見当たらない。付近の道路を歩いていたところ「ダーマギャラリーはこの先300メートル」と描かれた看板を発見。ダーマとは日本で言うダルマのことで、仏法のことであるから、きっと仏教関係の美術館なのだろう。矢印に従って歩いていく。のどかな民家の続く道なのだが、民家が実に立派で良く整っている。チェンマイ周辺でよく見られる建売住宅の安っぽい豪華さではなく、しっかりとした北タイ風高床式の木造建築である。しかも、非常によく手入れがされていて、庭も綺麗にしている。きっとこのあたりはかなり豊かな村なのだろう。庭にはバナナやマンゴー、パパイヤなどの果樹が植えられているし、テーブルをだして食堂のようなことをしている家もある。
 ダーマギャラリーは閉まっていた。広い敷地に緑の芝が美しく、奥に小さなギャラリーが見えるのだが、営業は土日のみで、平日は予約が必要と入り口の看板にかかれていた。

 パーサンからの帰りにはランプーンでローカルバスを乗り継ぎながらチェンマイへ戻った。修理屋でビートルは作業台に載せられ、前輪部分がはずされていた。どうやら作業に取り掛かってくれたらしい。しかし、汗もかいているし、暑い修理屋で優泰と修理状況を監視しているのは耐えがたいので、アパートへ引き上げることにした。

 

朝食
信州八割そば。
昼食

修理屋近くの簡易食堂にてバジル炒め。

夕食
昨夜の残りの空芯菜炒め。

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(2015年5月からのブログ)

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