旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

このページ「チェンマイ通信」はIIJ4Uサービスのホームページ機能が2016年3月31日(木)をもって終了した関係で、chiangmaikk.comのサーバへ引っ越ししてきました。設定不備もあるかと思います。

 

HPご意見メール

4月5日 金曜日    天気は晴れ 

たとえ寝台車と言えども、やはり夜行列車では良く寝つけない。ウトウトしてはすぐに「どこまで来ただろうか」と気になるし、外を見たところで、真っ暗だから、時計を見てみる。なんだ、まだ、「午前1時じゃないか」と、また目をつむるが、またしばらくして同じ事を繰り返す。ナコンサワンあたりで夜が明けたが、どうやら1時間ほど遅れているようだ。睡眠不足を感じるので、寝台から起き出さず、そのまま横になっている。ロッブリーを過ぎた頃より日が高くなってきたのか、だいぶ暑くなってきた。私は窓から埃が入りこむのが嫌なので、ガラス窓を閉め切ったままにしているので、風も入らずとても暑い。アユタヤを過ぎたあたりでギブアッブして窓を開けて、寝台を座席に変えてもらう。時刻は11時近くなっている。窓から風は吹き込むようになったが、それ以上に埃も入りこむ。沿線の土埃だけではなく、ディーゼル機関車の煤煙や、レールと車輪が擦れて出る金属粉まで容赦無く吹きこんでくる。この寝台車は旧式なので水シャワーが付いている。汗と埃をシャワーで流そうとシャワー室に入ったが、もう水は尽きたのかシャワーからは水が出なかった。かろうじて洗面台からチョロチョロと水滴が滴るので、これでタオルを濡らして、身体を拭うことにした。

結局到着予定時間よりも2時間近く遅れて、12時半にバンコク中央駅に到着した。やはり、この快速列車は鈍い。チェンマイから16時間近くもかかったのだから。夜行バスの約倍の所要時間に相当する。時間がかかるのはどうせ今日は急ぎの用事などないのだから気になら無いが、暑さだけはまったく閉口してしまった。今日バンコクでやるべき用事はただひとつ、NECへ行ってパソコンを受け取るだけ。市内バスに乗り、NECあるアソーク通りに行く。バスを降りたところにスーパーがあったので、そこのクーポン食堂に入って、チャーシュー麺を食べる。日本のチャーシュー麺と異なり、汁無しである。でも、これはこれなりに美味しい。特に本日の目玉メニューとなっており、通常価格が35バーツのところ20バーツで、別皿にスープまで付く。

NECでは担当者が現れるまでにちょっと待たされたが、パソコンはちゃんと直っていた。スピーカーの配線が切れていたという信じられない原因だったそうだが、スピーカーを交換してもらい、きちんと音が出るようになった。保証期間内なので修理代は無料。こうした海外保証をするサービスは大変良い事だと思うし、販売するときの大きなセールスツールになりそうだが、でも、私をはじめ意外と知られていないのではないだろうか。もったいない話しだ。

さぁ、あとは空港へ向かうだけ。私の記憶では、アソークの交差点のあるスクムビット通りを走る13番エアコンバスが空港へ向かうはずだった。交差点脇のバス停で13番バスを待つが、なかなかやってこない。11番などと言うバスは頻繁に来るのだが、バンコクの市内バスだから、どうせ来ないときはしばらく来ず、来るときはダンゴになっているだろうと、タカをくくっていたが。本当に来ない。そのうちエアポートバスなんかもやってくる。これに乗れば便利なのだが、以前バンコクの空港で運賃を聞いて70バーツと聞いた記憶があったので、パスする。30分待ったが、来ない。そろそろ空港に向かわないと危ない時間になってきた。し方が無い。今度空港バスが来たら、もう迷わず乗ってしまおうと考えた。それから更に20分過ぎた。飛行機の出発まで後2時間半だ。そろそろ市内も渋滞してきた。あと5分待ってバスが来なければ、タクシーに乗るしかない。こんな形で散財するなんて不本意だなぁと思っていたところへ、エアポートバスがやって来てくれた。あー、これで一安心。高速道路経由だし、間に合うだろう。そして、なんと運賃は30バーツであった。市内のエアコンバスの約倍だが、大した金額じゃない。はじめのバスに乗っておくのだったと後悔する。そして、高速道路を流れる車を見ていたら、13番バスが頻繁に走っているではないか、、。どうやら13番バスはルート変更があって、渋滞するアソーク交差点を通らず、高速道路でもっと先まで行ってしまうようになったようだ。そう言えば以前に、空港から同じくスクムビット通りのエカマイまで13番に乗ったら、高速道路をガンガン走って、エカマイのずっと先まで連れて行かれてしまった事があった。その時の経験を忘れていた。

中華航空は快適であった。食事も悪くないし、ちゃんと金属製のナイフとフォークを出す。今やどこの航空会社も、ハイジャックを恐れて食器類は全て味気ないプラスチック製になっていると言うのに、これはちょっとした感動ものだ。機内誌で、台北空港の空港税が航空券に切り込みになっている事を確認する。これなら、台北で入国手続きをしてしまい、再び羽田行きの乗り継ぐ時に空港税を取られずに済みそうだと楽観した。そして、よる10時過ぎの台北郊外の中正空港に到着。まんまと台湾への入国を果たす事ができた。

台北市内では学生当時良く利用していた下町の旅社「亜細亜旅社」に止まって見たいと考えた。市内行きのバスに乗り、市内の北側にある民権路で下車、旅社のある圓環へ向かって歩く。台北の街の概観はだいぶ変った。綺麗になったし、歩道の整備が見違えるほどだ。段差ばかりだった歩道が、ほとんどバリアフリーになっている。車道を走るバイクも少なくなったし、それに排ガス対策が進んだのか、ほとんどが4サイクルエンジンの単車だ。しかし、圓環は無くなっていた。以前は下町の大食堂街で、賑やかだったのだが、ロータリー式の交差点もなくなり、ただの寂しい四辻に成り果てていた。そして亜細亜旅社も消えていた。旅社の入っていた建物は取り壊しの最中で、壁面を剥がされ、浴室が剥き出しになっているのが確認できる。いったいどれほどこの旅社に通ったのだろうか、沢山の思い出が詰まった旅社だったのに、、、。

取り壊し中の建物に隣接する圓環旅社というところに宿を取る。一晩500元と言う部屋は狭く、清潔ではなかったが゜、止まることにした。フロントのオバちゃんはちょっとアダっぽくて日本語を話した。荷物を置き、餃子を食べに外へ出た。

朝食

汽車に持ちこんだ調理パン。

昼食

クーポン食堂で汁無しチャーシュー麺。

夕食

深夜の台北の屋台街で水餃子と焼き餃子(鍋貼)。

前日へ  翌日へ

 

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

チェンマイ帰り就活日記

求む!ピョン子の情報