旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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4月4日 木曜日    天気は晴れ 

さて、最後の東京参りに出発する日となった。中華航空の予約もちゃんと取れてきたし、バンコクのNECに修理に出していたパソコンも修理が完了したと連絡が入った。しかし、今晩も夜行列車だし、明日は台北空港での夜明かしの可能性もある。つまり、2晩はベッドでゆっくり眠る事ができないわけだ。だから、出発までの間はベッドでゴロゴロしてすごそうかと思っていた。しかし、それでも、別に身体が疲れているわけでもないので、昼寝をする事もできない。

午前中、お母さんが韓国人の友達の家へ行くと言うので、その家までビートルで送る。このところ私はビートルへの給油を200バーツずつで給油しているのだが、この1週間ほどでガソリン代がリッターあたり1バーツほど値上がりしている。200バーツで13リットルほどしかならないので、1週間でまたガソリンを補給しなくてはならない。エアコンは必需だし、ガソリンは高くなるし、懐が寂しくなるばかりだ

朝、少し寝坊をしたために、あろうことか家族3人とも朝食がコーンフレークとなってしまった。そして朝も11時近くなるともうお腹が空いてきてしまい、昨夜作ったスパゲティーミートソースをまた食べる。ちょっと早いがこれを昼食とする。NHKをつけると春の選抜高校野球をやっていた。野球をはじめスポーツ全般に興味のない私としては、たとえ高校野球でも、テレビの通常番組が崩れてしまうのは、あまり嬉しくない。私はまたサッカーのワールドカップにも興味が無いのだが、どうせNHKは前回のソルトレイク・オリンピック同様に、国際放送への放映権を持っていない筈だから、ワールドカップ中は、きっと昔の名作ドラマなどを放映してくれるのではないかと、期待している。

午後、お母さんを迎えに行く。お母さんは韓国風に調理したサバをご馳走になったそうだ。とても美味しく、普段の倍以上食べてしまったと言っていた。しかし、ふだんお母さんは青い魚を嫌がって食べないのに、たまの韓国風の料理だと食べるのだろうか、、。私は魚は青い魚のほうが好きなのだ。サバは当地でも焼きサバが人気でスーパーでも売られている。アジに似た魚もあるのだが、是非とも開いて干物にしてもらいたいものだと思っている。まぁ、換気扇も無い我が家のキッチンでは魚など焼いた日にはとんでもない事になるだろうけど、、。

夕食を済ませて、夜8時に鉄道駅に向かう。今晩の汽車は8時40分にチェンマイを出る。それもランパーンまでは鈍行の3等車で、ランパーンに着いたら、快速のバンコク行きの寝台車にありつけると言ったものである。3両編成のディーゼルカーは満席だった。私は何とか座席を確保できたが、暑いし、開け放たれた窓からは埃っぽい風が吹き込んでくる。座席も固いプラスチック製で、狭く座り心地も良くない。でも、鈍行だと聞いていたが、途中停車駅はランプン、クンタンの2駅だけであった。チェンマイで切符を買うときには、ランパーンに着くのは11時半頃だろうと言われていたが、実際にはそれよりも1時間も早く、10時半前にはランパーンに到着。向かいのホームに止まっている、バンコク行きの快速に乗りこむ。旧式の2等寝台でエアコンもない。硬くて歪んだ寝台に敷かれたマットは昼間の熱気を保ったままなのか、とても暑い。まるで電気マットをつけているようだった。11時前にはバンコクへ向けて出発した。バンコク到着予定時刻は明朝の10時40分となっている。まったく鈍足だ。

 

朝食

コーンフレーク。

昼食

昨夜の残りのスパゲティーミートソース。

夕食

お母さんが作ったトン汁に豆腐の厚揚げに大根おろしと生姜を載せ、一昨日の残りの福建麺のヤキソバ。

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(2015年5月からのブログ)

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