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馬祖島旅行 ③ 歩く南竿
5月14日 月曜日

昨晩は耳栓をして寝ていたたし、寝室もドミトリーという二段ベッドの並ぶ大部屋だったので、目が覚めてもガサゴソさせずに静かにしていた。

7時半に民宿のサンダルをつっかけたまま津沙の集落を歩いて回る。
防波堤の脇に防空壕だろうか、塹壕だろうか、半地下にもぐる入り口があった。
白日章が描かれ、鉄血とある。
そして、反共抗俄、殺朱抜毛と入口の左右に書かれている。
抜毛とは脱毛ではなく、毛沢東のことだろう。
いったいどのくらい前に書かれたものだろう。
それとも、観光用に補修が繰り返されているのだろうか。
壕の中はあまり広くなく、ゴミが散らかっていた。

津沙の鉄血
[反共抗俄、殺朱抜毛は昔話か果たせぬ夢か]

集落の西側の斜面に石の階段が付いているので登ってみる。
古い石の民家が半分朽ち果てかけていたり、またペンションに改装した家屋があったりと、こちらもそれなりに風情がある。
石の階段の途中にはヤギがつながれていた。

津沙集落 廃屋と白ヤギ
[津沙集落の西側には廃屋が目立った]

村の広場のようなところには、大きなガジュマルの木があり、その木の脇に小さな古い茶店があった。
壁に「榕樹下休憩站」と書かれている。
これなんかも1960年代をテーマにした台湾映画のセットに出てきそうな雰囲気を持っている。

津沙 榕樹下休憩站
[そっけない建物だけど、壁にはかわいい模様が付いている]

いったん宿に戻って、朝食は昨晩コンビニで買った維力のカップ炸醤麺。
作り方は日本のカップ焼きそばとほとんど同じで、麺を茹でたお湯でスープも作れるという「焼きそば弁当」や「バゴーン」と同じスタイル。
しかし、一つのカップ麺にカップが二つ重なっており、スープ用の器付きと言うところがミソのようだ。

民宿備え付けのコーヒーメーカーでコーヒーも淹れて、少しのんびりした朝を過ごす。
みんなまだ寝ているのか、ほとんどだれも起き出してこない。
それとも、もうとっくに出かけていってしまっているのだろうか。

民宿の共用キッチン
[カップ麺ではなくパンでも買っとけばよかったかもしれない]

この馬祖南竿島の主だった観光地は昨日のうちに回ってしまった。
どこも景色はいいが、観光地とはほとんどが軍事施設に関するものばかり、あとは青の涙くらいだろうか。
それにスクーターで回ったので、点から点をホッピングしながらの見学で、なんとなく地に足が付いた感じがしない。
そこで、本日はなるべく歩いて島めぐりをしてみようと思う。

さきほど歩いた石の階段を進めば勝天路へ出れそうだったので、勝天路を通って馬港へ出て、そのまま島最北端の夫人澳あたりまで行ってみることにする。

津沙集落 石の階段
[この荒涼とした感じなかなか雰囲気がいい]

階段の足元にイチジクが黒くなったような実がたくさん落ちている。
昨日も牛角の路地や馬港の民家の脇にたくさん散らばっていた。
黒く腐った果皮の中にはたくさんの種が入っている。
果肉のようなものはほとんどなくて、食べられそうにない感じ。

黒くなったイチジクのような実
[石段には黒く変色した実がたくさん落ちている]

上を見上げると、石壁に這いつくように伸びている植物が緑色の実をたくさんつけている。
これは何という植物なのだろうか。

石壁をつたう植物の実らしい
[石壁には青くて丸い実がたくさんなっている]

昨日はスクーターで往復した勝天路も歩いてみると、いろいろなものに出会える。
やはり軍関係の施設が多く、それも目立たないものは現役の施設のようだ。
そうした施設で飼っているのか、ここにもヤギがいた。

勝天路のヤギ
[ヤギの世話をする当番兵とかもいるのだろうか]

今朝は少し霧か靄が出ているらしく、視界が白っぽくかすんでいる。
海上は波も穏やかで、海面には何かを養殖でもしているのか、浮きにつながれた綱が伸びている。

もやった海
[とても亜熱帯の海とは思えない]

海岸線からすこし離れ、奥まったところへ回っていくとダムがあった。
この島の水を貯えるダムのようで、ダムの下は小さな植物園になっていた。

勝天路のダム
[ダムの上は車も通れる道になっている]

木々には植物の名前を記された札の付いているものもある。
「海桐」という植物は別名「七里香」とも言うそうで、華南から日本にかけて分布しているそうだ。
日本にあるとしても、いままで注意していたことがなかったので見た記憶がないが、七里香については、台湾で出版された同名の小説をもらって読んだことが昔ある。

海桐 別名七里香
[七里も香るというのは白髪三千丈とおなじかな]

海桐のつぼみ

このダムの周辺の遊歩道は桜並木になっているようだ。
花が咲いているわけではないので、ほんとうに桜並木かどうかは確信が持てないが、ちいさなサクランボが無数に道端に散らばっていた。
もしこれが本当に桜並木だったとしたら、花の時期はとてもきれいだったのだろうと思うが、観光案内には特別ここの並木のことなど書かれていなかったから、違うのかもしれない。

勝天路の桜並木
[並木はまだ若い木ばかり]

馬港の手前で中央大道に出て、急な下り坂を降りていくと、右手と左手にそれぞれ海が見える。交差点で右手の海の方へ伸びる道に入る。
この道の名前は観海路と言うらしく、道の右側には湾が見えるが左手には何か研究所のような建物が立っている。
施設の説明を見ると第三セクター方式で運営されている海水淡水化施設らしい。
やはりさっきのダムにしろ、島は水の確保に苦労するらしい。

海水淡水化施設
[南竿三期海水淡化廠]

この観海路も臨海道路で、波打ち際は岩場ばかりになっているため、道は崖の上を走っている。
今朝は視界が霧に霞んではいるけれど、眺めの良いところが続く。
そんな観海路からの転落防止用に道端にはガードレールの代わりに大砲の弾が使われているのが最前線の島らしい。

砲弾の再利用
[同じ最前線の島、金門島では砲弾から包丁を作っているそうだ]

この観海路沿いにも貯水ダムがあった。
とても規模の大きなダムで、見晴らしの良いところに休憩のできる東屋があった。
その東屋の名前は秋桂亭と言い、案内板が中国語、日本語、英語、ハングルで書かれていた。
景色は良いが、こんな四か国語で案内するほどの国際的観光地と言うにはほど遠い。
この案内板にはピンク色をした桜の花の写真が付いていた。
先ほどの勝天路のダム周辺には桜並木があったが、このあたりには桜の木を見かけないが、ダムの周りをよく探せば隠れた桜の名所もあるのかもしれない。

秋佳亭案内板
[四ヶ国語の説明はあるがサクラに関することは書かれていなかった]

11時、夫人村に到着。
既に廃村になっているようなことを読んだように思うけれど、人が住んでいる家屋もあり、小さな入り江に面して、小さな祠があり、香炉からは線香の煙が上がっていた。

この夫人村にも子ヤギがいた
[きょうはやたらとヤギに出会う]

岬はやはり軍事施設になっていて、ここは立ち入りが認められていないようだ。
岬の先にある岩礁には小さな灯台が建てられていた。

夫人村の岬
[とてもさびしそうな世界だ]

この夫人村にもカフェがあった。
赤いポインセチア木の向こうに庭へパラソルを立てた伝統建築の家がカフェになっている。
タイでもそうだけれど、世の中どうしてこんなにカフェブームなんだろう。
こんなにカフェがたくさんあるということは、コーヒーの需要が世界的に高まっているはず。

夫人村のカフェ
[このカフェは人気があるらしく、表に車やバイクが何台も止まっていた]

夫人村からさらに観海路を進むと、まるで北海道のはずれでも歩いているような荒涼とした景色になってきた。
そう、適当に起伏があって、霧がかかっていて、納沙布岬へ続く道に似ている気がする。

島の北西端にある西尾村のはずれで、四維路と言う道に出たので、左折して馬港方向へ戻る。
ほとんど集落も民家もない道ばかり歩いてきたが、霧のため遠くはあまり見えず、またときどき小雨もチラついたりする。

この四維路にも街路樹が植えられており、まだ若い木だけれど、実を付けている。
見ると桃のようだ。
果樹園で栽培している桃ではないので、実は小さくてレモンくらいの大きさ。
色はちゃんと桃色をしていて、そろそろ食べごろのように見えるのだが、どれも手に取ってみると虫食いになっている。

街路樹の桃に似た実
[見た目はおいしそうな桃なんだけど食べれそうにない]

この四維路も歩道がよく整備されており、歩道の愛称は「落日歩道」というらしい。
桃の並木だけではなく、ところどころ花壇も整備されていて、ベコニアが花盛りであった。
こんなにたくさんのベコニアを見たのは久しぶりである。

ベコニアの花壇
[こうした道端の花壇の維持管理は大変だろうと思う]

馬港の丘に建つ巨大媽祖像が見えてくる。
しばらくいくと四維路と別れて巨大像のある丘の方へ伸びるハイキングコースのような歩道が現れた。
その道の入り口には観光バスも止まっている。

布袋像と巨大媽祖像
[中国系の人はこの手の布袋さんが大好きらしい]

いままでずっと人気のないところを歩いてきたが、急に俗っぽくなってきた。
そのハイキングコース風の歩道で丘を少し登りかけたところ、左手の斜面に迷彩色を施された壕の入り口のようなものがあった。

山前門
[坑道の入り口は迷彩色]

「山前門」と書かれたその入り口は、衛兵が立っているわけでもなく、扉も閉まっていない。
内部に照明も点いており、特に何も表示がないけれど、観光客でも立ち入りが認められているようなので入ってみる。

壕の中は幅二メートルほどの通路が上りで続いており、階段もある。
照明はLEDでなんだか遊園地の施設のような感じがするが、なかなか深い。
そのうち前方から声が響いてきて、中国語のその声がだんだん大きくなったところで団体観光客とすれ違った。
この団体客はさっきの観光バスに乗る一行なのかもしれない。

LED照明のある坑道内
[ここも元は軍の坑道だったのだろうか]

壕の中は途中で別れ道があり、左の道を進んだらば外に出ることができた。
出たところは巨大な媽祖像の足元近くであった。
媽祖は台湾だけではなく、中国南部から東南アジア一帯の華僑たちに広く信仰を集めているから、このような巨大な媽祖像をこしらえて、媽祖の聖地と言うことにすれば観光客を集めやすいのだろう。

坑道の出口
[坑道の出口は迷彩色ではなかった]

ここの媽祖像は昨日天后宮で祭られていた媽祖像と比べると、かなり現代的な美人顔になっており、スタイルも良くなっている。
この媽祖像の下に展望台風のガラス張りの建物があったのだが、工事中のようで中に入ることができなかった。

巨大な媽祖像
[巨大な媽祖像はなかなかの美人顔でスタイルもよい]

巨大な媽祖像から見た馬港
[ここは見晴らしもよい]

媽祖像を後に、丘の斜面を取り巻くような舗装道路を下って、馬港側へ降りてみることにする。
途中に「媽祖宗教文化園区」というのがあった。
なんだか、入り口の石塀の上に腰かけた媽祖像は、やたらとカラフルで瞳は青く、あんまり御利益を授かれそうにない感じ。
しかし、今の台湾ではこの方が若者受けして、信者獲得に効果があるのかもしれない。

媽祖宗教文化園区
[媽祖にもさまざまなバリエーションがあるものだ]

丘のふもとまで降りてきたが、昨晩夕食を食べた馬港の商店街まであと100メートルと言ったところで、道は左に大きく迂回してしまっていて、かなり遠回りをしてこないと商店街へたどり着けそうにない。
この100メートルの間には、畑と民家があって、人が自由に歩けるようにはなっていないが、回り道をしたくないので、畑の中の畔を突っ切り、民家の裏庭を抜けて、狭い民家と民家の建物の隙間をくぐって馬港観光夜市に出た。

馬港の犬
[この犬、なかなか人懐っこかった]

昨晩も歩いているので、大体どんな店があるのかわかっているつもり。
団体客が入っている店もあるし、営業していないのではないかと思えるような店もある。
昨晩も感じたのだけれど、一人客向けの食堂はあんまりないようだ。
何を食べようかと考えたが、馬祖の名物に「馬祖漢堡(馬祖バーガー)」というのがあるそうだ。
これは馬祖の伝統的な「継光餅」というベーグルに似たパンをハンバーガーに仕立てたものだそうで、馬祖の人たちはこれにカキ野菜などを入れて食べると案内に書いてあった。

馬港の民家と白百合
[商店街のすぐ裏は民家になっている]

商店街の中の食堂でもこの「継光餅」をメニューに載せている店がいくつかあったけれど、メニューとともに貼りだされている写真を見ると、大皿に海産物などの炒め物を盛り付け、その周りに継光餅をぐるりと並べているようなもので、大人数で食べるための料理のようだ。
食べてみたいが、とても食べきれそうにない。
商店街の周りを行ったり来たりしているうちに、馬祖漢堡を食べさせてくれるローカルなハンバーガーショップを発見。
店の前にも馬祖漢堡や継光餅の紹介がデカデカと張り出されている。

馬祖バーガーショップ
[台湾では朝食屋にこのスタイルの店が多い]

早速一つ注文してみる。
馬祖バーガーはひとつ45元であったので、台湾の街中にあるローカルなハンバーガーなどとだいたい同じくらいの価格帯のようだ。

さて、その馬祖バーガーだけれども、カキや野菜炒めなどは入っておらず、薄い豚肉のパテと玉子が挟んであった。
つまり街中にあるローカルなハンバーガーと同じで、ただバンズが継光餅になっているというものであった。

馬祖バーガー
[これが名物の馬祖バーガー]

味の方は、もともとハンバーガーなどほとんど食べたことがないので比較できないが、継光餅は素朴な小麦粉の味がして、朝食用に豆乳と食べたらおいしそうな感じがした。

食べかけ馬祖バーガー

民宿への帰り道は天后宮裏の天后宮歩道と言うの歩いてみる。
これもハイキングコースのようによく整備されており、途中から勝天路に合流した。
この勝天路、ところどころに植物を紹介する札がある。
朝歩いた時にイチジクのような実が落ちていて気になったが、たぶんその植物のことだろうと思われる案内板もあった。
「薜荔」という名の桑科の植物だそうで、果実は飲料になるという。
別名が石壁蓮というらしく、確かに民家の石壁に這っていた。

薜荔
[黒い実の正体判明]

午後1時少し前に津沙の集落に戻って来た。
昨日は防波堤のところでむき身の貝を干していたけれど、今日は細くて白い麺を干していた。
麺線と呼ばれるこの麺は、島の名物の「老酒麺」にも使われているもののようで、今晩あたり老酒麺とやらを食べてみようかと言う気になる。

手作り麺線
[土産用だろうか自家用だろうか]

シャワーを浴びて、一休みしたところで、こんどはスクーターに乗って出かけてみる。
これまで海沿いばかりだったので、こんどは山を巡ってみようと思う。
一番最初に港から民宿へ来る時に通った津沙路を行く。
坂道が続く途中にコスモスが咲き乱れているところがあった。
日本なら秋の花だけれども、亜熱帯の馬祖では今の季節が盛りのようだ。
このコスモスは自然に群生しているわけではなく、花壇のように整備されたもののようで、コスモスの花畑の先には軍の施設があった。

5月のコスモス
[コスモスが秋しか咲かなくなるのは北緯何度からだろう]

中央大路に出てすぐに標高250メートルの「雲台山」へ登る脇道があったのでスクーターを進めてみる。
ほどなく到着してみると山頂は当然ながら軍の施設となっており、軍用車両なども止まっている。
しかし、立ち入り禁止と言うわけではなく、観光客向けの案内看板が用意されている。
ここも日本語を含めた四か国語の説明であった。

雲台山の案内板

それによると馬祖南竿島で一番高いところだそうで、中国大陸の半島まで見えるとのことであったが、展望台から眺めたが海と空の境目あたりは霧に霞んでいるのか、見えるという方角に陸地を目にすることはできなかった。

雲台山の展望台より
[この方角に大陸が見えるらしいのだけど、、]

ここの軍事施設も観光客に開放されているようだけれど、建物内にはなんとなく入りづらい雰囲気があり、展望台からの景色を眺めただけにとどめる。

この蒋介石はまだ若い
[施設の壁には巨大なレリーフ]

次に清水と言う集落方向へ進む。
下り坂が続く道で、その途中に中国宮殿風の堂々とした建物が二棟並んでいた。
ひとつは経国紀念堂で、もう一つは民族文物館となっていた。
建物は立派だけれども、あんまり関心がないので素通りしてしまう。
案内もなしで下勉強もしないで見学したところで、なんのことやらさっぱり理解できないだろうと最初から匙を投げてしまった。
しかし、あとになって考えると経国紀念堂は見ておいても良かったかもしれない。
この島はどこへ行っても蒋介石ばかりで、蒋経国の影がとても薄く感じた。
その蒋経国の紀念堂ではどのような取り扱いをしていたのかと島を離れてから興味を持ち始めた。

清水の集落は津沙や牛角のような伝統家屋はあまりないようで、ここも素通りして、最初にフェリーから降りた時に見えた「枕戈待旦」の丘へ上がってみる。

枕戈待旦

この巨大な碑は蒋介石の死後だいぶたった1988年に作られたもののようで、1968年に蒋介石がこの地を訪れて「枕戈待旦」と軍民に檄を飛ばしたことを記念するものらしい。
なお1988年と言ったらば蒋経国が死んだ年でもある。

枕戈待旦の裏面

この碑の下は建物になっていて、島の特産品などを売っている。
海産物の加工品や老酒などが売られており、老酒は試飲もさせてくれるらしい。
しかしスクーターを運転しているので、試飲は遠慮させてもらう。
この建物内で「これは収蔵品で販売品ではない」と書かれた棚に紹興酒の瓶が並んでいた。
なんの変哲もない紹興酒にすぎず、何のための収蔵品か理解できないのだけれど、販売対象でないのに、値札が付いていて、それがやたらと高い。
普通の紹興酒800元、陳年紹興酒900元、花雕は1000元。
通常の市販価格の五倍ほどになっている。
どういう意図なのかますますもって理解できない。

紹興酒コレクション?
[なぞの紹興酒コレクション]

ここの売店の一角で軽食を売っていた。
伝統点心とあり、郷土のおやつみたいなものだろう。
ちょうどお好み焼き風に捏ねたものを大きな油鍋で揚げていた。
ひとつ40元と言う。

ティーピンの材料
[捏ねるまではお好み焼きとよく似ている]

刻んだキャベツ、カキや豚肉を水溶きした小麦粉で捏ねたものを油で揚げたもののようで、ここの郷土料理なのだそうだ。

ティーピンを揚げる
[こうなるとかき揚げにも似ている]

名前を「ティーピン」と言うそうで、漢字は"虫"偏に旁は"弟"でティー、ピンは"餅"て゜ある。
これを一つ購入して食べてみる。
40元也。
具材がお好み焼きに似ていることもあり、味はお好み焼きをフライにしたような感じで、齧るとキャベツの甘みとカキや豚肉のうまみがジュワジュワと出てきて美味しい。
高い温度の油で揚げているのか表面はかなり固くて煎餅をかじるような食感もある。

ティーピン完成品
[ティーピン]

このティーピン以外に、他の見学客たちは陳年老酒冰沙と言うものを注文していた。
これはジューサーに凍った老酒を入れてかき回したもので、出来上がって蓋を開けたらあたりに老酒の香りが漂ってきた。

陳年老酒冰沙
[陳年老酒冰沙は老酒入りのシェイク]

明日の基隆行きの船は、今日の午後からチェックインができると案内されていたので、福澳港のターミナルへ行ってみる。
この時間は船の発着がないからか、船会社のカウンターには誰もいなかった。
ターミナル内を清掃している係の人にチェックインのことを尋ねたら、二階にある船会社の事務所で受け付けているとのこと。

チェックインは簡単で、予約確認書を見せるだけですぐに乗船券を出してもらった。
帰りはCデッキ1号室2番寝台となっていた。
復路は昼間の航行なので寝台など不要なのだが、寝台が満員にならない限りイス席は販売しないシステムらしい。

港でも眺めようかとターミナルから歩き出したところ、前方から同宿のSさんが歩いてきた。
今日は朝から北竿島へ行っていたそうなのだが、楽しみにしていた石造りの伝統建築群がすごい霧でほとんど見えなかったとこぼしていた。

南竿も午前中は霧がかかっていたが、午後からは良く晴れてくれた。
まだ午後3時でもう少し島めぐりを楽しもうと、馬祖酒廠前のロータリーへ行く。
このロータリーから「摩天嶺歩道」という山道があり、そこを登ると南竿で2番目に高い山へ登れるらしい。
その登山道の入り口に「毎天運動三十分」と書かれた立札があり、それによるとこの摩天嶺歩道の所要時間は20~30分、消費カロリーは90~115カロリーとある。
急な石の階段が続く坂道であるが、よく整備されてて、歩きやすい。

毎天運動三十分
[摩天嶺歩道の立て札]

摩天嶺歩道

しかし、この摩天嶺歩道は全長400メートルにも満たず、10分とかからず登ることができた。摩天嶺歩道の終点近くからは牛角の集落が一望できた。

摩天嶺歩道からの牛角
[木々の間から牛角の集落が見える]

摩天嶺歩道は途中から車の走れる道と合流した。
この道を進むと軍の施設になっており、ここは観光客にはまだ開放されていない施設のようで門は閉じられたままであった。

丘の上の軍施設
[民間人は入れないようだけど衛兵が監視しているわけでもない]

あんまりにもあっけなく南竿第二の山を登ってしまったので、下りは摩天嶺歩道ではなく車の走れる道を歩いてみようと思う。
この道もさっきの馬祖酒廠前のロータリーへ出るように地図に示されている。

下り始めてしばらくすると、南側の海の方へ飛行機が飛んでいくのが見えた。
南側の麓は飛行場になっているようで、またしばらくすると飛行機のプロペラが唸る音が聞こえてきた。
台湾本島との間に船は毎日一往復だけれど、飛行機は頻繁に飛んでいるようだ。

島を飛び立つ飛行機
[飛行機なら台北まで1時間とかからない]

最前線の島で、どこもかしこも軍事施設ばかりであるけれど、この飛行場には軍用機の姿は見られないようだ。飛行場は山を下りて来る道から丸見えだし、それに写真撮影を禁止する警告も見当たらない。
監視する兵隊の姿も見当たらない。
この道で出会ったのはヤギ一匹だけである。

ヤギ

飛行機と並んでヘリコプターも飛来してきた。
軍のものではなく、民間のヘリコプターでお客を乗せているようだ。
この馬祖諸島で飛行場があるのは南竿と北竿の二つの島だけで、それ以外の島へはヘリコプターが飛んでいると案内に書かれていた。

民間のヘリコプター
[飛行機の隣に降りてきたヘリコプター]

やがて飛行場の正面に道は出た。
飛んでる飛行機は小さなプロペラ機だけれど、空港ターミナルは堂々としたものである。

馬祖南竿航空站

この飛行場を過ぎるとまた道は少し上り坂となり、昨日訪れた八八坑道の前を通って馬祖酒廠前のロータリーへ戻ってくることができた。
全行程1時間と言うことになる。

介壽沃口公園と言うのが島の繁華街介壽路のはずれにあり、海に面している。
芝生に覆われたグランドのような公園で、一角に児童公園があって遊具が並んでいた。
公園近くの商店で「老酒冰棒」なるアイスキャンディーを売っていた。
これも老酒の入ったアイスキャンディーなのだろう。
汗もかいたし、食べたくなるが、スクーターで宿へ戻れなくなるので、ペットボトルのぬるい水で我慢する。

老酒アイスキャンディー
[老酒冰棒]

宿へは少し遠回りをして、濵海大道を使って戻ることにした。
先ほどの清水の集落を過ぎると大きな発電所があった。
この道もあちこちに迷彩色の建物があったが、発電所にしても飛行場にしても、最前線にありながら、まったく無防備で驚いてしまう。
大陸からたくさんの観光客が訪れ、重要な防衛拠点をさらけ出していて、まるでもう開き直っているかのような印象を受ける。
もうここまで来ると丘の上の「枕戈待旦」などはなんだかパロディーのような感じがする。

右には発電所
[写真には写っていないけれど右手側に大きな火力発電所]

馬港の入り口から中央大路に入り、山側から津沙へ戻る。
中山門と言うバス停の前に中山服を着た蒋介石の銅像が立っていた。
台座には「永懐領袖」とある。
いま台湾本島ではあちこちで蒋介石像が撤去されているという。
台湾本島の人にとっての蒋介石と、この馬祖の人たちにとっての蒋介石では、印象がだいぶ違うのだろう。

蒋介石像
[ここの蒋介石像はまだまだ健在だろう]

中山門のバス停前には若い兵隊がバスを待っているのか、数人たむろっていた。
馬祖の路線バスは夕方6時には終バスとなってしまうようだ。
島の人たちは日が暮れたら出歩いたりできない時代からの名残であろうか。

5時、宿に戻って、ビールが無性に飲みたい。
冷蔵庫に冷やしておいた缶ビールを手にして、津板路を鉄板村方向に向かって歩く。
55拠点と言う要塞を改装した民宿を過ぎ、昨晩青の涙を見に来た崖の上で缶ビールのプルトップを引く。

台湾ビールクラシック
[欄干には何匹もの毛虫が行き交っていた]

海を眺めながらベンチに腰かけてビールを飲む。
まだ夕日が沈むまでは時間がありそうだけれど、ビールを飲み干したら、そのまま鉄板の集落まで歩いて、そこで夕食を食べてくることにしよう。

そんなことを考えていたらまたまたSさんが鉄板村の方角から歩いてきた。
足を蚊に刺されて痒いとぼやいていた。
缶ビールをもう一本持ってきていたら分けてあげたいところだったけれど、この一本もほとんど飲み干していたので、まったく失礼をしてしまった。

この津板路の終点、鉄板の集落入口に「海龍蛙兵」というフロッグマン部隊の駐屯地がある。
たぶん台湾でもっとも強い兵隊たちの集団のはず。
心なしかこの駐屯地の衛兵にはオーラが出ているように感じた。

海龍蛙兵の像
[駐屯地前には海龍蛙兵の像が建っていた]

そんなフロッグマン部隊のすぐわきの鉄板海岸はのどかで、犬の散歩をさせている人などもいる。
鉄板の集落は津沙よりも少し大きいくらいで、期待していたほど店がない。
民家は伝統家屋も半分くらい。

鉄板の集落
[静かで平和な浜辺]

最初に見つけた食堂はすでに「完売」してしまったようで店じまいをしていた。
図書室のようなカフェがあった。
白い室内の壁一面に本棚があり、たくさんの本が並んでいて、なかなか上品そうに店であったが、カフェなんかで夕食を食べる気にはならないので他を探してみる。

図書室風のカフェ
[どんな本を並べているのか覗いてみたかったが、扉を開けるには気恥ずかしかった]

黒猫とポンプ
[このポンプはまだ現役のようだ]

「黒熊&猫の店」と書かれた食堂があった。
この名前にひかれて店に入る。
壁には「古早味老酒麺線好吃」と貼りだされている。
ちょうど島の名物と言いう老酒麺線も一度は食べてみようと思っていたので好都合。
家族三代で経営しているような店内は私のほかにお客さんはいなかったが、途中から若い女性が二人入ってきて、名物料理について主人に質問をしていた。

老酒麺線

出てきた老酒麺線はスープに老酒でも入っているのか、老酒の香りがプーンとしてきた。
丼の中には、玉子のフライが入っていて、ネギが散らしてある。
玉子はかき揚げ風に見えたが、とき卵を油で揚げただけのようだった。
他にスープをすくってみると、小粒のカキや野菜が少し入っていた。
麺線はビーフンくらいに細い麺で、老酒でも浸みこんでいるのか茶色い色をしていた。
カキも入っているし、老酒で香りとコクをだしているが、パンチの利いた味ではない。

老酒麺線
[極細の麺は老酒色]

ちょっと豆板醬でも入れて味を引き締めようと思って店の人に豆板醬を所望したらば、「これには豆板醬なんか入れないんだよ」と女主人に叱られてしまった。
老酒が島の名物なのはわかるが、島の人たちの日常生活に老酒が溶け込んでいるようにはあまり感じられなかった。
むしろ「老酒なんとか」とあるのは観光客向けの名物に多いような気がした。

この老酒麺線、お代は150元也。
昨晩の大衆飲食店のメニューでは老酒麺線は100元だったので、これで150元と言うのは、ちょっと高い気がする。
値段を確認しないで注文した私のミスのようだ。

なお、「店には黒熊もネコもいなかったなぁ」と思いながら店を出て、もう一度店の看板をよく見たらば、「黒熊&"猫"の店」ではなく「黒熊&"喵"の店」となっていた。

黒熊&喵の店
[喵とは猫の鳴き声の"ニャー"を意味するのではあるが、、、]

すっかり日が暮れた夜道をとぼとぼと歩いて民宿へ戻る。
鉄堡の要塞入り口には、青の涙を写真に撮ろうと大きなカメラをセットしている人たちがたくさんいた。

夜の鉄板村

今夜も主人と青の涙の見学ツアーに出かける。
昨晩より多少は海が青白くなっているところが見えた。
昨日入れたアプリの「星撮りくん」を使って撮影したら、ほんの少しだけだけれど、真っ暗な画像の中に青白くなっている部分が映っていた。

星撮りくんでの青の涙
[よく見れば崖下の波打ち際が青白くなっている]

一眼レフカメラでも、写ってくれるかどうかわからないけど、何枚かシャッターを切ったらフィルムが終わってしまった。
二晩続けて参加しながらちょっとも期待通りの写真が取れない私を憐れんで、宿の主人が一眼レフの大型デジカメで私と青の涙の写真を撮ってくれた。
ただ、超スロー撮影で、3分間くらい動かないようにと言われ、ポーズをとっているのがなかなか大変だった。

藍眼涙
[民宿主人のカメラで撮影してもらいました]

見学ツアーから宿に戻り、まだ基隆で買った紹興酒が残っていたので、それを持って防波堤の上へ登ってみる。
夜の海風に吹かれながら、紹興酒を飲む。
老酒の本場である馬祖に来て、老酒を飲まず紹興酒を飲むというのも興のない話であるが、それでも紹興酒は美味しい。

この防波堤の上にも青の涙を見に来ている観光客がたくさんいた。
写真が趣味で、カメラの先生から指導を受けている人もいる。
私も防波堤下の岩場を覗き込んでみたらば、青の涙を結構はっきり見ることができた。
携帯電話で撮影してみたら、いままでとは違って青さがはっきり写ってくれた。

津沙の防波堤から
[だいぶ青く写せました]

それでも写真好きの人には、さっきの断崖と夜の海で光る青の涙の方が構図として面白いと思うのだろう。
私の撮った青の涙は、景色にはまり込んだものではなく、ただ黒い画像の一部が青くなっているだけに過ぎない。

津沙の岩場
[多少青くても、説明なしではなんだかわからないだろう]

空には星もたくさんでていた。
アプリの名前が「星撮りくん」と言うくらいだから、星空の撮影にも挑戦してみる。
画像を確認してみると北斗七星らしきものが写っている。
しかし、昨晩もそうだったが、本当の星明り以外に、デジタルノイズや埃で光っているものも含まれていそうだ。

北斗七星
[さてどれが星で、どれがノイズでしょうか]

昨晩のように砂浜で光るプランクトンをもう一度見てみたかったけれど、今夜は満潮の終わりの時刻が遅くなっているのか、砂浜はすっかり潮に埋まっていた。
昨晩より青の涙が見やすかったのは、今夜の方が潮が大きかったからだろうか。

夜11時過ぎ、紹興酒も飲み干し、いい気分となったので民宿へ引き上げて寝ることとする。

つづく

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馬祖島旅行 ➁ スクーターで回る南竿
5月13日 日曜日

夜中に何度か目を覚ました。
ベッドから抜け出して船内の廊下を歩いてみたりもした。
しかし、途中の寄港地に寄ったことは記憶にない。
この船では馬祖の南竿まで行くことになっているが、途中の東引という島を経由することになっている。
東引も馬祖諸島の1つらしいが、少し離れたところにある。
なにやら下船する人のガサゴソと言う物音は寝ぼけながらも聞こえたような気がするが、私はベッドから起き出すことはなく、海上の朝日を見ることも、台湾領最北端の島影も見ることなく、7時半頃までベッドの中にいた。

船内のインフォメーション
[船内のインフォメーションも無人]

この船室には窓がないので、時計を見ないと朝になったのかどうかもわからない。
ようやくベッドから抜け出してみると、出港時は満員だった船室の中はほとんど空になっていた。
どうやら途中の寄港地でほとんど下船してしまったらしい。
船首側の"餐庁展望室"へ行ってみると、前方の窓からは眩しい光が差し込んできている。
確かに朝になっている。
そして、昨晩はあまり人のいなかった餐庁内はほぼ満員で、荷物を持った人たちがリクライニングシートを倒して眠り込んでいる。
どうせ寝るなら船室の2段ベッドで休めば良さそうだけれど、たぶんベッドの予約のない途中の東引から南竿までの短区間の利用者たちなのだろう。
早朝の船に乗るため、そうとう早くから起き出していて、ぐったりしているところだろうと想像する。
しかし、テーブルを囲んでジャラジャラやっているグループもいる。
麻雀だろうかと思ったが、パイは四角くなく、丸いパイであったから、何か別のゲームなのだろう。
朝食は餐庁で販売していなかったけれど、仮に販売していても、どのテーブルも塞がっていて餐庁では食べられそうにない。

満員の展望餐庁
[途中の東引から乗船してきたのだろうかほぼ満席の餐庁]

後部のデッキに出てみる。
すこし靄がかかっているようで、島影などはまるで見えない。
あと1時間くらいで到着するはずだし、携帯電話のGPSを見ると中国大陸がすぐ近くになっている。

携帯電話のGPS
[携帯電話の位置情報]

8時半、薄ぼんやりと島影が見えてくる。
小型のタンカーだろうか、船が航行しているのも見える。
やがてぼんやりとだけれど、船の右舷側にも、左舷側にも島影が見えてくる。
右舷側が北竿で左舷が南竿だろう。

馬祖の島影見え始める
[薄く靄がかかっていてはっきりしないが、島までの距離は近いはず]

いったん見え始めると、みるみると近づいてきて、島影もくっきりしてくる。
島の港からオレンジ色と白の大きな船が出てくるのも見える。
今乗船しているこの台馬之星号が就航する以前に台湾本島と馬祖諸島を結んでいた台馬輪のようだ。

台馬輪
[台馬輪はこれから東引へ向かうのだろう]

そろそろ接岸だから、下船の準備をしに船室へ戻る。
船室内はもうすでに清掃作業が始まっていた。
急いで荷物をまとめて船室を出る。

福澳港
[埋め立てで拡張したような福澳港]

下船は車両甲板へ誘導され、船首の車両搬入口から外に出された。
この船はこれからまたすぐに基隆へ向かうので、このような下船のさせ方が時間がかからず都合がよいのだろう。
午前10時ちょうどに馬祖南竿島へ上陸。

車両搬入ゲート
[車両搬入ゲートが開き光が差し込んでくる]

馬祖南竿島上陸第一歩
[上陸第一歩、天気も穏やかで晴れがましい気分]

この島では馬祖青年民宿という宿に世話になることになっている。
この宿、名前は青年民宿だけれども、特別若者専用と言うわけでもないらしい。
しかし、宿泊料金は格安で、ドミトリーの部屋ながら1泊900元。
しかも、この料金にはスクーターのレンタル料金まで含まれている。
島でスクーターのレンタル料金がいくらが相場かわからないが、これはとてもお得な料金であることは間違いない。

枕戈待旦
[港を見下ろす丘の上に「枕戈待旦」、鉾(戈)を枕に暁(旦)を待つ]

その民宿の主人とは港の入り口にあるコンビニの前で待ち合わせとなっている。
私の方が先に来てしまったようで、しばらく待つことになる。
都合よく無料のWiFiもキャッチでき、民宿の主人に電話をかけようと電話番号を探しているところへ主人はやってきた。

台馬之星
[こうして見ると台馬之星も堂々とした船に見える]

迎えに出てきてくれているが、民宿まで車で送ってくれるというものではなく、民宿までの行き方を地図を見ながら説明をしてくれる。
民宿までは貸し出してくれるスクーターで向かうことになっており、荷物だけは車で運んでくれる。

スクーターの程度はまずまずと言ったところで、スピードメーターが動かないこと以外は問題なさそうである。
燃料はあまり入っていないので、途中のガソリンスタンドに立ち寄って、80元だけ給油をする。
ガソリン代も台湾本島と同じようでリッター28元程度になっていた。

島の小さな給油所
[輸送コストもかかるだろうにガソリン代は台湾本島と変わらないようだ]

民宿までの道は完全舗装され、とてもよく整備されているが、起伏がやたらときつい。
上り坂を登ったかと思うと、急な下りとなる。
ラビットスクーター以外ほとんどスクーターに乗ったことがないので、どうも運転していて違和感を感じてしまう。
自転車のようにハンドルの両側にブレーキレバーが付いているし、急な下り坂でのエンジンブレーキが効いてほしい時に効かず、緩やかな下りではエンジンブレーキがかかってしまうので、スロットル回してエンジンをふかさないと適当なスピードが出ない。

中央大道からの眺め
[島のメイン通り中央大道は山の稜線を走っているようだ]

港から30分くらいかかって、民宿のある津沙村が見えてくる。
ちいさな入り江に面して、明るい黄土色に統一された家並が集まっているなかなかいい感じの集落だ。

津沙村入口
[いい天気でいい季節に来たようだ]

海岸と集落の間には大きな防波堤で仕切られているが、防波堤の壁面いっぱいに海の絵が描かれていることもあり、閉塞感は感じない。
バイク置き場の前には、ムール貝と浅利が大きな笊に入れられて干されていた。

防波堤の壁画
[津沙村で漁業が盛んだったころの絵だろうか]

天日干しされる貝
[この浜で捕れた貝だろうかなかなか上モノの感じがする]

この村の家屋の外壁は花崗岩の石組で、堅牢そうに見えるし、色彩的にも統一されて、台湾本島のゴチャゴチャしたところがない。
それに目障りな看板などもほとんど目立たない。

津沙の路地裏
[集落の中には細い路地が走っている]

これから二晩お世話になる青年民宿はすぐに見つかった。
若いアルバイトのような男の子が留守番をしていた。
外壁は石組ながら、建物内部は木造で、窓が小さいため屋内は昼間でも少し薄暗く感じる。
宿賃二泊分1,800元を支払い、宿の注意事項を読まされているうちに、主人たちも民宿に帰ってきた。

馬祖青年民宿
[この村、絵になる建物が多い、これから泊まる民宿もいい感じ]

この民宿の部屋はドミトリーで、二段ベッドが並んでいる。
午後3時までにはベッドを整えておくが、それまではベッドに入れないとのこと。
トイレは中庭にある別棟で、シャワーは建物の外、路地を少し行ったところにある別の建物内で、24時間使えるとのこと。
門限は夜10時だけれど、裏口からは出入り可能。
キッチンは自由に使っていいし、コーヒーや紅茶もセルフサービス。

民宿の受付台
[受付台には宿泊料が掲示されている]

WiFiも使えるのでパソコンを取り出して、メールのチェックなどをしていたら、民宿の奥さんが台中銘菓「太陽餅」とお茶を出してくれた。
太陽餅なんて食べるのは何十年ぶりだろうか。
餅とはいっても、パイ生地のようで、かじるとパラパラと剥がれ落ちてしまい、床にこぼしてしまった。

民宿の黒板にいくつかの食堂と料理名が書き出されていた。
そういえば、朝食もまだ食べていないし、お腹もすいている。
書かれているリストの中に「三六九炸醤面ー介壽路」というのがあった。
三六九と言うのが食堂の名前で、炸醤面とはジャージャー麺に間違いない。
介壽路は店のある通りの名前だろう。
炸醤麺は大好きである。
是非ともこれを食べたい。
介壽路はさっき船を降りた港の少し先にある馬祖随一の繁華街の通りの名前であることは知っていた。

おすすめ食堂一覧
[青年民宿がお勧めするのだから値段もお手頃なんだろう]

宿から外へ出て、すぐにスクーターに乗らずに、この津沙の集落の雰囲気が良いので、フラフラと路地裏を歩いていたら、宿の主人に「おーい、日本人の朋友が来たぞー」と呼び戻された。
宿の主人が言うところの日本人の朋友とは、私と面識があるわけではなく、ただたまたま日本人だというだけのことであるが、女性の一人旅のようである。
以後Sさんと言うことにしておきます。
中国語はあまり得意ではないようで、また主人も日本語はチンプンカンプンのため、主人に変わって宿の注意事項を彼女に説明するよう申し付かる。
彼女はブッキングドットコムというオンラインサイトで予約をしていたようで、スクーターなしの素泊まりと言うことだった。

隣の木造建築も民宿らしい
[青年民宿の隣も民宿でカフェを兼ねてるようだ]

宿に関する諸注意事項を説明し、今後のスケジュールに関する相談のお手伝いを終えてから一人でスクーターで介壽の町へ向かう。
宿に来る時とは別のルートで、津板路と言う臨海道路を使ってみる。

津沙の物産販売店
[特産品販売店もどっしりした木造建築]

こちらもアップダウンが激しい道路だが、自動車道と言うよりハイキングコースのような道で、岩場が続く海岸線よりも少し高いところを通っているので景色も良い。
少し行くと鉄堡という小さな岬に作られた要塞が現れた。

鉄堡要塞
[迷彩色でなければただの景勝地になっていただろう]

もともと軍事施設であるが、観光用に開放されており、道から階段を下って行けばたどり着けるようになっている。
壕の中は通路の幅が1メートル弱ほどで、高さは2メートル少々あり、湿度が100%なのか、コンクリートの壁面は湿気で汗をかいている。
壕の中の通路に並行してコンクリートの2段ベッドがあり、兵隊たちの生活空間にもなっていたようだ。
また、窓のように四角く外が見える空間があり、機銃があった場所のようだ。
岩場にはガラス片がたくさん埋め込まれている。
かつては大陸側から共産党軍の兵士が島へ侵入してきたのだろうけど、渡ってくる方も迎え撃つ方も、辛いことだろう。

コンクリートの二段ベッド
[いまは白いペンキをきれいに塗られているが、兵隊さんたちがいた頃はどんなだったのだろう]

鉄堡から見た鉄板の集落
[ガラス片を埋め込まれた岩場の先に鉄板の集落が見える]

介壽の町に着いたらば11時半になっていた。
お目当ての三六九という食堂はすぐに見つかったが、なんだか入りづらい印象の店である。
食堂なのはわかるが、木のドアで、なんとなく「一見さんお断り」のような雰囲気も漂う。
勇を奮ってドアを開けてみたら、団体客なのだろうか、大きな長テーブルが並ぶ店内は満席であった。
店員さんも私が入ってきたことなど気にもかけていないようだ。
「うーむ」もう少しこのあたり歩き回ってみるとするか、、、。

三六九食堂
[台湾本島の安食堂のような開放感はあまりない]

すぐ近くに県庁があり、そこにスクーターを止めさせてもらう。
このあたりがこの馬祖島の中心地、つまり馬祖銀座とも言えそうなところなのだが、なんと県庁の真ん前は広々とした畑で、「蔬菜公園」となっている。
公園と言っても、野菜畑なのだが、たぶん傾斜地ばかりで平地の少ない馬祖では貴重な平地はこうして銀座のど真ん中でも畑にしてしまうのだろう。
この野菜畑公園を囲むようにして商店や食堂が取り巻いている。

連江県庁前の蔬菜公園(野菜公園)
[連江県庁前に広がる蔬菜公園]

馬祖の銀座通り介壽路
[島一番の繁華街、静かな介壽路は坂道になっている]

この馬祖の食堂は、どうも台湾本島の安食堂と違って、どこも入りにくい雰囲気があるようで、先ほどの三六九食堂が特別と言うわけではなさそうだ。
台湾本島の安食堂は大体が通りに面して調理場があり、大きな中華鍋で料理をしているのが丸見えなのだが、ここは調理場は外から見えない。
しかも、営業しているのかいないのかわからないような食堂も多いので、ますます入りにくい。
営業していないのかと思われるような食堂に、大陸からの団体客だろうかガイドに先導された一団がゾロゾロと吸い込まれていったりもしてる。

しかし、こうして三六九食堂が特別「一見さんお断り」をしているわけではないことが理解できたので、ふたたび三六九食堂へ行ってみる。
30分ほど時間が経過したからか、店内にも空席が目立ち始めている。
席に着いたらメニューが運ばれてきた。
郷土料理風のものが多数並んでいるが、どれも一人で食べるには向いていないような感じ。
それにお目当ては炸醤麺である。
メニューのなかから炸醤麺を探し出して注文をする。

三六九小館店内
[店内は台湾本島の安食堂と大差なしかな]

出てきた炸醤麺は日本の味噌を使っているかのように茶色い色の肉味噌餡がかかっている。
台湾本島では一般的に黒い色をしているので、違いがあるようだ。
黒い大きめの丼に、麺は白く、うどん風で、チンゲン菜が添えてあり、色彩的にも美しい。
味の方も裏切らず、なんとなく日本のジャージャー麵に近いような感じがした。

三六九の炸醤麺
[炸醤麺に豆板醬をたっぷり入れていただきました]

お値段はこれで70元也。
まずまずリーズナブルな価格帯で、心配していた食べ物が観光客料金ではないかと言う不安は払しょくされた。

馬祖の銀座通りとも言うべき介壽路の坂道を登りつめたところに、小さなロータリー式の交差点があり、馬祖酒廠と言う酒造工場がある。
ここは工場見学ができるということだったので、入り口の守衛さんに見学許可を取ろうとしたら、見学時間は1時40分からと言われる。
まだ1時間少々ある。

馬祖酒廠
[午後の見学は1時40分から、守衛さんは昼の弁当を食べていた]

ロータリー交差点の介壽路とは反対側へ下っていくと「牛角」という集落になっている。
この集落も馬祖の伝統的な家屋が多いようなので、そちらへ向かって歩き出してみる。

馬祖南竿島の牛角
[牛角村の入り口]

宿のある津沙の集落よりも少し大きいようで、建物が密集しているが、すべての建物が伝統建築と言うわけではなく、新しい建物やコンクリート打ちっぱなしの家屋もあったりする。
また、ちょっと雰囲気の良いカフェのような食堂もあったりした。

牛角の洒落た食堂
[石造りの伝統建築ながら大きなガラス窓のカフェのような食堂]

牛角の集落も小さな入り江に面しており、海岸沿いに左手へ進むと少し大きな廟があった。
台湾本島の廟と同じように、石でできた丸い柱はレリーフの龍が巻き付いている。
廟の中庭にはたくさんの赤い提灯がぶら下げられており、青空の下でコントラストが映えていた。

牛角村全景
[入り江の斜面に伝統建築が並んでいる]

廟中庭の赤い提灯

牛角村の廟
[牛峰境五霊公の額、右の入り口には国泰、左は民安]

廟の先にも岬へ続く歩道が伸びており、そのまま歩いて行ってみる。
少し離れたところから眺めた牛角の集落もなかなか被写体として様になっている。
集落とは反対側を眺めると海を隔てて北竿島が見える。
北竿島の方が石造りの伝統建築がより多く残っているそうで、台湾のエーゲ海などとも称されているそうである。

牛角村の砂浜
[夏には海水浴もできそうな素敵な入り江]

この岬の突端は刺鳥と言う場所で、やはり軍の要塞になっていたようなのだが、おしゃれなカフェになっていた。
海にせり出し、眺めも良さそうだが、カフェにはあんまり興味がないので素通りする。

要塞改装のカフェ
[迷彩色のカフェ、やはり眺めは抜群]

牛角からもどっても酒造見学までにはまだ少し時間がある。
ロータリー交差点から山手へ伸びる道を少し進んだところにある八八坑道を先に見学してみることにする。
この八八坑道と言うのは、もともとは戦車を隠すために山の斜面に掘られたトンネルだったものを、酒を熟成させるための貯蔵庫として使っているものだそうだ。
ここも無料で開放しているそうなのだが、見学時間はやはり午後1時40分からで、トンネル入り口の扉は閉じられていた。
しかし、あと十分ほどなので、トンネル前で扉が開くのを待つ。

八八坑道
[ここも見学は1時40分からでまだ入れない]

このトンネルの扉の隙間からはヒンヤリした空気が出てくる。
そして、甘い酒の香りも漂ってくる。

予定時刻より数分早く扉が開かれる。
トンネル内部はエアコンが効いているかのように涼しい。
またやはりとても湿度が高い。
トンネル側面に沿って古い酒甕が無数に並んでいるが、甕は苔でも生えているようだ。
じっかり栓がしてあるから、甕の中の酒は問題なのだろう。

八八坑道内部
[壁面に並んだ酒の甕は年季が入っているように見える きっとすごい酒になっているんだろう]

苔だらけの甕だけではなく、銀色に光る巨大なステンレス製貯蔵タンクも並んでいる。
タンク一つに4千リットルの酒が入っているそうで、高粱酒は20年以上ここで寝かせるらしい。
台湾の空港免税店でも、透明な瓶に白いラベルを付けた八八坑道という高粱酒を売っていたことを思い出した。

坑道内のステンレスタンク
[入桶日期88.7とあるのは中華民国88年(西暦1999年)7月からで、そろそろ出荷かな]

13時50分に馬祖酒廠に戻って工場見学をさせてもらう。
酒造工場見学と言っても、別に案内人が付いて説明させてくれるわけではなく、また今日は日曜日だからか、生産ラインも止まっていて、工場内は無人の状態。
他に見学に来ている人もいない。
工場の建物も設備も古めかしく、しかも稼働していないため、まるで閉鎖された工場へ迷い込んでしまったかのような印象を受ける。
しかし、敷地内はお酒の発酵臭が漂っていることから、きっと平日は稼働しているのだろうと想像がつく。

無人の馬祖酒廠構内
[1960年代の映画に出てきそうな古めかしい工場]

ここでは高粱酒を造っているのか、麹で赤く染まった高粱の搾りかすが大きな容器に入れられている。
発酵槽が並ぶ部屋もあったが、すぐ横で作業着が干してあったりして、どこもあんまり清潔な感じは受けなかった。
ここにもお酒の入った大きな甕がたくさんあったが、酒瓶にお酒を詰める工程もここでやっているのかわからないが、見学できなかった。
たぶん出荷用の段ボールは山積みされていたので、ここでボトリングまでしているだろうとは思う。

工場内の酒甕と作業着
[あんまり見せない方が良いところも丸見えになっています]

ふたたびスクーターに乗って、次は北海坑道を目指す。
先ほどの八八坑道が戦車を隠すために山の斜面に掘られたトンネルならば、北海坑道は船を隠すために、海に面した崖に掘られたトンネルと言うことらしい。
この北海坑道も観光客に開放されており、周辺は公園のように整備されている。
立派なビジターセンターもあった。
現在でも駐屯地にはなっているようなのだが、張り詰めた雰囲気はない。

北海坑道入り口の遊歩道
[とても最前線の軍事施設とは思えない明るい雰囲気]

北海坑道も入場料を取られるわけでもなかった。
入り口には古い高射砲が二基設置されていた。
案内板があり、12センチ砲だそうで、日本海軍の工廠で昭和18年に作られたものとある。
戦前は台湾にあったものを、国共戦争で前線基地へ運んできたものだろうとは思う。
が、製造年は台湾の使っている中華民国暦でもなければ、西暦でもなく、「昭和」の元号で記されている。
どうして日本の元号を使っているのかよくわからない。

旧日本海軍の高射砲
[昭和十八年製造の高射砲]

この高射砲の周りで団体の観光客たちが大声で話しながら、記念写真を撮り合っている。
引率しているガイドも拡声器を使っている。
たぶん対岸の中国大陸からの団体観光客たちなのだろう。

北海坑道入口
[なんだかトンネルの迷彩色も遊園地のように感じてしまう]

巨大なトンネルである北海坑道の中は、船を引き入れるために海水が満ちており、素掘りの壁面に張り付くように通路が設置されている。
通路を伝わって坑道内を見学できるようになっており、また有料で中国語のガイド付きボートも用意されている。

坑道内案内用ボート
[夜間は「青の涙」見学ボートツアーも用意されている]

私はボートではなく、通路を歩いた。
ここでも団体客が何組も入っており、トンネル内で声がずっと反響していた。

北海坑道内部
[満潮になると壁面の通路は水没し見学できないそうだ]

ほとんど機械を使わずに兵隊たちが岩盤を砕きながら掘ったと言う言うことだけれど、そうした若い兵隊たちの苦労した北海坑道に、共産中国側の観光客が押し寄せてきているとは、まったく皮肉なものに感じる。

坑道を掘る作業
[当時の作業風景を人形で再現していた]

北海坑道のすぐ近くに大漢拠点という午前中に見学した鉄堡の要塞よりも大規模な要塞があり、そこも観光客に開放されていた。

大漢拠点
[この島の岬と言う岬はほとんどが要塞になっているようだ]

岩をくりぬいて坑道が続き、またいくつもの部屋があり、軍務施設などになっていた。
海に向って開かれた小部屋には機銃だけではなく、90ミリ砲も設置されており、ここでも大陸側の観光客が大勢詰めかけていた。

90ミリ砲
[敵艦識別と壁に描かれているが、この砲で敵艦を沈めたことはあるのだろうか]

中山室や作戦室、通信室などは資料展示に使われており、抗戦当時の写真などを展示していたが、そのなかの写真を思わず見入ってしまった。
「小女子献身報国」と書かれ地下壕の前にジープが止まっている写真である。
その壕の入り口には「特約茶室」と書かれており、その隣の写真にはノースリーブのワンピースを着た若い女性が入り口の扉の前で微笑みながら立っている。
その女性の上には「侍応生」とあり、つまり軍の慰安所とその慰安婦の写真であることがわかる。
そしてこれが「小女子献身報国」なんですね。

小女子献身報国特約茶室
[何年に撮影したものかわからないが、この写真の女性はいまはどうされているのだろうか]

5時にいったん宿へ引き上げ、東京へ電話を入れる。
今日は母の日でもあり、しゃぶしゃぶを食べに雨の中出かけたが、満席で順番待ちをしているところだとのこと。

さて、夕食は何を食べようか?
この津沙の集落ただ一軒の食堂は本日営業をしていないようなので、どこか他の集落へ行って夕食を食べてこなくてはならない。
宿で食事の提供はしていない。
宿の主人から、夜8時に「青の涙を見に行くから、それまでに戻って来るんだぞ」と声を掛けられて外へ出る。

静かな夕方の津沙
[この集落、とても情緒がある]

この津沙から勝天路と言う遊歩道のような臨海道路を北へ向かうと、馬港という大きな村があり、そこへ行けば食堂も複数あるらしい。
スクーターに乗って、進むと海沿いの崖の上から夕日が見えた。

勝天路から眺めた夕日
[海に沈む夕日を見るとついつい写真に撮ってしまうが、写った写真の色がいつも実物と違う]

馬港はもともとこの島の玄関口だったそうで、村の名前を馬祖村というらしい。
ここは台湾をはじめ、南洋華僑たちの侵攻を集める「媽祖信仰」の聖地のようで、海で死んだ媽祖の遺体が流れ着いた場所とされている。
馬祖の名前の由来も媽祖から来ているのかもしれない。
この媽祖信仰はなかなか深く浸透しており、海の守り神のようにしてあがめられている。
その媽祖が巨大な観音像のように馬港の村を見下ろす丘の上に聳えているのが見える。

丘の上の媽祖像
[媽祖が夕日を見下ろしている構図になった]

村に入ると、「天后宮」という大きな廟があった。
この廟の前にスクーターを止めさせてもらう。
この廟もやはり媽祖を祭っている廟であった。
そしてやはり龍の彫刻が石板や石柱に彫られている。
廟のご本尊様は媽祖であり、女神である。
豪華な着物を何重にも重ね着して、着ぶくれされている。
化粧っ気のない丸顔をされており、頭上には龍の飾り物を載せられている。

天后宮の媽祖像
[祭壇前に囲まれているのは媽祖の遺体を安置した石棺だそうです]

廟の前は砂浜になっており何隻もの上陸用舟艇が並んでいる。
これらは観光客に開放されている施設ではなく、現役の防衛戦力らしい。
この島の兵隊さんたちは、大陸からの侵攻に備えて、日夜訓練に励まれているのだろうけれど、あまりに観光開放しすぎて、兵隊さんたちはどんな気持ちでいるのだろうか。

馬港の上陸用舟艇
[軍船があっても民間人の立ち入りが禁止されているわけではないようです]

馬港観光夜市という食堂をはじめとした店舗が並ぶ商店街があった。
夕食はその中の「大衆飲食店」という名の大衆食堂風の店に入った。
ここも観光客でほぼ満席であったが、小さなテーブルに席を見つけることができた。

大衆飲食店
[店の名前が大衆飲食店と言うのも少し変わっている]

この店の名物は「老酒麺」と宿の黒板に出ていたような気がするが、昼も麺を食べているので、ご飯ものが食べたい。
馬祖名物に「紅糟炒飯」という発酵されてお酒を造るときに出る赤い粕を入れて作ったチャーハンがあると聞いていたので、その紅糟炒飯と炒青菜を注文する。
なるほど紅糟炒飯は赤い酒粕が入っているからか赤い色をしており、独特のコクがあるように感じた。
具はネギと玉子くらいだけで、豚肉は入っていないシンプルな炒飯であった。
炒青菜はキャベツ炒めであった。
この2品で今夜の夕食は150元也。

紅糟炒飯
[馬祖名物の紅糟炒飯]

他のテーブルは小グループの観光客で、ムール貝や魚のスープなど海産物をテーブル一杯に並べて盛大に食べていた。

大衆飲食店の店内
[台湾の人は一人旅をしないのか一人で食べている人は見かけなかった]

時刻は7時を過ぎており、そろそろ宿に戻らなくては。
ここの商店街の中にあるコンビニに立ち寄って缶ビールを3本とカップ緬(維力炸醤麺)を購入する。
これで107元。
台湾ビールは三本買うと85折、つまり15%割引となっていたので、まとめ買い。
カップ麺は明日の朝食用である。

馬港のコンビニ
[コンビニは便利だけと周囲に溶け込んでない]

さて、急いで戻らねばと思っていたら、このコンビニで宿の主人一家と遭遇。
主人たちも買い物らしい。
青の涙見学へ引率してくれる宿の主人がまだここにいるのなら、なにもそんなに慌てる必要もなさそうだ。

宿に戻ってからカメラの準備。
今回のためにバンコクのパンティーププラザで三脚も買ってある。
もっとも、本格的なカメラ用三脚ではなく、スマートフォン用の三脚で、おもちゃのようなものを350バーツで買ってきた。
これに一眼レフカメラを固定して青の涙を撮影しようというのだから無理がある。
まず、カメラを固定して三脚の足を延ばすと、カメラの重さに三脚の足が耐えきれない。
また、カメラの固定そのものも、重さに耐えられず、下を向いてしまうので、手で支えてやらなくてはならないようだ。
つまりほとんど三脚としての役に立ちそうにない代物。

また、夜間の撮影をどうしたらよいかわからなかったので、本格的な一眼レフカメラを持っている同宿者に教えてもらった。
「まず、絞りはオートを外してf1.4にする。」
「それからシャッタースピードはなるべく遅く。」
とのことで、昨晩撮ったという写真を見せてもらう。
おぉっ、すごい。
青さが際立っている。
「これはシャッタースピードを6分にしたもの」という。
6分?
私のカメラには最大2秒までしかシャッタースピードがない。
どうしたら6分になるのかまた質問。
「シャッタースピードのメモリを"B"に合わせて、そのままシャッターを開いたままにするんだよ」
なるほど、"B"でシャッターボタンを押し続けるのかぁ、でも手振れが心配。
本格的一眼の同宿者は頑丈そうな三脚だけではなく、シャッターにつなぐケーブルまで用意していた。

8時過ぎに宿の主人に引率されて青の涙見学に出発。
夜道をスクーター連ねて走る。
私の後ろには日本人のSさん。

目的地は津板路の崖の上。
「さぁここだ、どうだい青く光っているのが見えるだろ」
と宿の主人。
え?
どこに光っているんだろ、眼下に広がるのは夜の暗い海に、岩場に砕ける波が白く見える程度。
Sさんは、「はぁ、そういえばなんとなくぅ」と言っている。
歳をとると夜目が効かなくなるから、プランクトンが放つかすかな光など見えなくなってしまっているのだろう。
一眼レフ氏がいま撮ったばかりの写真を見せてくれた。
うん、確かに青く光っている。
肉眼でははっきり見えなくても、カメラなら写せるらしい。
私も一眼レフカメラを用意して、不安定な三脚を取り付けて、長いシャッターを押す。
1,2,3,4,・・・・98.99,100と数えてシャッターから指を離す。
100まででは2分くらいにしかならないか、よし次は200まで。
と、時間ばかりかけて何度もシャッターを押す。
しかし、悲しいかな私のフィルム式カメラでは、ちゃんと映っているのかその場で確認できない。
現像に出してみたら、真っ黒な写真ばからりプリントされてくるかもしれない。

携帯電話でも写真を撮ってみる。
こちらは絞りもシャッタースピードも自動なのだけれど、何枚か撮影してみたが、どれも真っ黒で何にも写っていない。

携帯で撮った夜の海
[なんにも写っていない]

この馬祖島の観光宣伝で青の涙の写真を随分と見てきた。
そして、大勢の人が青の涙のために島へやってきている。
しかし、実態としては肉眼ではほとんど見えないもののようだ。
午後に立ち寄った北海坑道でも、夜間はボートに乗って青の涙見学をさせているそうだけれど、揺れるボートでは本格的カメラでもとらえられないのではないだろうか。

スクーターで鉄堡まで進んでみる。
ここにはたくさんの人が青の涙を見に来ていた。
海面や波打ち際に近いせいか、さっきの崖の上よりかは、なんとなく海面が青く光っているのが分かった。

1時間ほどで宿へ戻る。
しかし、どうにも悔しい。
私はもっとはっきりと海が青く光っているものと思っていたし、それにフィルムカメラなので写っているかもすぐわからず、フラストレーションが溜まってしまう。
なんとかデジカメで撮れないかと考えたが、マニュアル設定機能のないカメラなので無理の様だった。
しかし、スマートフォンならば、こんな夜間でも撮影できるアプリがあるのではないかと、ネットで検索してみる。
あった、いろいろとありました。
そのなかから「星撮りくん」という無料アプリをダウンロードして敗者復活戦に臨もうと思う。
このアプリを使えば携帯電話でも最大30秒までシャッタースピードを調節できるらしい。

さっそく津沙の集落前の防波堤へ登ってみて、試し撮りをしてみる。
まずは無難な集落の夜景から。
うん、一応三脚で固定もしてあるので、結構きれいに写っている。

続いて海岸線。
これはほとんどダメであった。
よくみると確かにほんのりと青く光っている部分も写って入るけど、指摘されなければわからないくらいだ。
もともと肉眼で見てもほとんど青く光って見えていないのに、シャッタースピードを30秒くらいにしたところで、ちゃんと写っているわけもないだろう。

微かに青く光っている
[よく見れば黒い中でもほのかに青くなっているところがあるのがわかる]

夜11時になり「今夜は特別なものを見せてあげよう」と集落前の砂浜へ連れ出してくれた。
ちょうど満潮から潮が引き始めたところであった。
波打ち際近くを歩いていると足元がキラキラと小さな光が点滅している。
水たまりの水面を手でパシャパシャと叩くと、やはり無数のキラキラが。
これはなかなかすごい。
ちゃんとはっきりと肉眼でも見えている。
よし、さっそくさっきのアプリを使って写真を撮ってみよう。

深夜の津沙の浜辺
[プランクトンがキラキラと光を放っている?]

うおぅ!
凄いじゃないか。
真っ黒な画面にキラキラが散らばっている。
そう、こんな写真を撮りたかったんだ。
それから何枚もの写真を撮ったのだけれども、なんか変な感じがする。
携帯電話をあちこちに向けて様々な角度から撮影しているのに、表示される画像に映っているキラキラはどれもほとんど同じ位置で、同じように光っている。
これって、ひょっとして光るフランクトンがはなく、単なるデジタルノイズか、携帯電話かレンズに付着した埃のようである。
まったくの興覚めである。
しかし、波打ち際で光るプランクトンたちはとてもきれいであった。
海水と一緒に手ですくい上げても光っているし、大きさは1ミリ前後だろうか、こんなちっさなプランクトンのどこにこんなに光を放つ力を秘めているのだろうか。
写真の方は残念だったけれど、良いものを見せてもらった。

津沙の浜辺にて
[夜の浜辺に立つ宿の主人と女性客二名]

つづく

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馬祖島旅行 ① 基隆出港まで
5月12日 土曜日

朝一番の中華航空に乗るためにアパートから空港へ向かう。
しかし、今回はいつもの一時帰国ではなく、日本へは行かない。
今回の目的地は、台湾海峡を渡った馬祖島。
まだ行ったことのない場所である。

インターネットでチェックインを済ませてあったが、荷物を預けたり搭乗券を受け取るためにカンンターに寄る。
今回はカメラをいくつも持って行く。
カメラは今回初めて使うキヤノンAE1と言う40年前の一眼レフ。
もちろんフィルム式。
もともと妻のものであるが、妻はただ持っていただけで、使い込まれた形跡はない。
つまり新品みたいなもの。
実際に使えるかどうかわからないが、馬祖島で「青の涙」という現象を撮影するには、一眼レフは必須とのことなので今回引っ張り出してみた次第。
そのほかにも古い光学ズーム機能のあるデジカメも2台。

キヤノンAE-1
[バンコクではフィルムや専用電池購入も簡単ではなかった]

馬祖島は寒いこともあるというのでジャンパーも持って行く。
帰りに冷凍食品も買ってきたいので保冷用の発泡スチロールも持って行く。

チェックインカウンターでは、搭乗券と一緒にイミグレーション用のファーストトラックチケットまでもらってしまった。

ファーストトラックチケット
[せっかくもらったけど、通関が混んでいなかったで今回は使わなかった]

いつも台湾が目的地の時は、中華航空に乗らず、格安航空会社のノックスクートを毎度利用させてもらってきた。
はじめは往復で三千バーツ台と激安であったのだけれど、だんだんと値段も上がってきて、前回はなんだかんだで六千バーツを越えてしまっていた。
中華航空との差額も小さくなってきたが、中華航空で受けられるサービスや特典も含めて比較すると、利用価値も小さくなってきている。
と言うことで、今回は中華航空の切符を買った。

馬祖島へ行く計画を思い立ったのは一年前。
台湾山脈を越えて、花蓮を経由して、夜遅く基隆に到着。
無謀にも基隆で宿賃を惜しんで、港町で夜明かしした際に、港で馬祖島への連絡船が出ていることを発見したのが始まり。
もともと、台湾海峡の向こう側、馬祖島や金門島などは、徴兵された若者たちが送り込まれるところと言った認識しかなかった。
30年以上前、学生の頃に台湾へ遊びに行き、そこで知り合った同世代たちは、みんなこれらの島で厳しい二年間の兵役に就いていた。
そこは民間人が簡単に行けるところではなく、外国人の立ち入りも禁止されていたし、それに観光目的で行くべきところとも思っていなかった。
それが、時代が変わって、島は外国人でもいけるようになり、小三通とか言って、島には中国大陸からの観光客がたくさん来ているということは聞き知っていた。
しかし、基隆の港から、夜の連絡船で渡れるとは知らなかった。
もともと船旅は大好きなので、島へ渡ってみたいという気になってきた。
もともとは昨年の11月に行こうと思っていたのだが、そのころはどうも時期が悪いらしく、季節風の影響で連絡船の欠航が続いていた。
そこで、もう少し良い時期にと計画の練り直しをしたところ、5月には霧が出て、飛行機は欠航することもあるが、船はほぼ運行しているらしいと判明。
しかも、この時期には「青の涙」が見られるシーズンと言うことだ。

スカイチーム塗装
[今日機材はスカイチーム塗装]

台北行の機内では、私が勝手に指定席と思い込んでいるシート、いつもの8Dに座る。
エコノミークラスの8割がたの席はふさがっているが、このシートのある列は4席とも丸々空席のまま。
前に座席もなく、足元広々。
やはりノックスクートよりちょっと高くても、それだけのことはある。
それに、ラウンジで朝からしこたまお酒や食事もいただいているのでご満悦である。
音楽プログラムの日本金曲(ニッポンゴールド)は、先月とまた内容が変わっていた。
残念ながらキャンディーズは含まれておらず、私の知っている曲はテレサテンと松田聖子の2曲だけであった。

お気に入り8列目中央の席
[最近、この8D席が取れないことも時々あったりする]

この便の機長さんは日本人であった。
現在の日本ではパイロット不足が深刻になっているらしいが、こうして台湾の航空会社で操縦桿を握られているというのは、ひょっとして元日本航空組なのだろうかと、なんとなく同じ修羅場をかいくぐってきたように感じて、おせっかいなことを想像したりする。

台北にはほぼ定刻に到着したようで、通関もスムース。
基隆を出る船までまだだいぶ時間がある。
ネコ村へ行ってみようか、金瓜石へ行ってみようかと、いろいろと考えていたのだが、荷物もあるので動き回るのも不便。
荷物は基隆駅のコインロッカーにでも預け、基隆の街はずれにあり景勝地とされる和平島へでも行ってみようかと考えた。
基隆まで桃園空港から直通のバスはないようで、googleで調べると、桃園の町まで出て、そこから電車で行くのが一番安いらしいので、そのルートをとる。
空港から桃園までのバス代は44元。
距離もそれほどないはずだけれど、市街地を走るので時間もかかり、午後2時過ぎにバスに乗ったが、1時間以上かかって桃園駅前に到着したのは3時すぎ。
しかも、駅前と言っても駅までは少し歩く。

駅のトイレに入っていたら電車を一本乗り過ごしてしまった。
電車の運行は20分間隔くらいのようで、ホームのベンチに腰かけて次の電車を待つ。
やってきた電車は土曜日の午後だからか、それともいつものことなのか、思いのほか込んでいて、空いている席はなく、吊革につかまって立つ。
乗っている人は、若い人半分と中高年が半分と言った構成で、バンコクのBTSなどと比べると年齢層が高い。
外国人出稼ぎ労働者も多い。
中国大陸からの人もいるかもしれないが、これは判別できない。

緑の多い丘陵地帯を抜けて、だんだんと建物の密度が増してきたと思ったら、地下へ潜り台北駅。
ここで乗客がどっと降りて、やっと席に座ることができた。
ここまで45分ほど立ちっぱなしだった。

基隆行き電車車内
[台北駅を過ぎたら車内も空いてきた]

さらに基隆まで乗り続けて、基隆に到着したら夕方5時を回っていた。
もうこんな時間となっては和平島観光へ向かうには遅すぎる。
空港からここまで最安のルートできたが、時間は3時間以上かかってしまった。
まぁ、どうせ時間つぶしのために和平島へ行こうと思っていたのだから、お金もかからず時間も潰せて、一石二鳥だったと思うことにする。
桃園から基隆まで76元。

しかし、それでもまだ時間がある。
乗船手続きまでまだ3時間ある。
とりあえず重たい荷物だけはコインロッカーへ放り込む。
コインロッカーなど風呂屋などでしか使ったことはなく、コインを投入し、扉を閉め、鍵を回すと、コインが下へチャリンと落ちる音がして、鍵がかかるといった旧式のものしか知らなかったが、ここのは電子ロックになっていて、いちいち使い方の説明を読まなくてはならない。
利用は3時間まで20元。
預ける荷物をロッカーへ入れて扉を閉め、中央のテーンキーで利用するロッカー番号を入力し、コインを入れると、自動で鍵がかかり、解錠するための暗証番号が書かれた紙切れがプリントアウトされて出てくる仕組みであった。

コインロッカーの暗証番号
[この紙切れを紛失する心配があるで写真に撮っておく]

身軽になって、岸壁沿いを歩き始める。
対岸に大きな白い客船が停泊している。
船腹に"PEACE BOAT"と書かれている。
あぁ、ピースボートが寄港しているんだ。
このピースボートも30年以上続いていると思う。
昔、蘆山温泉の碧華荘にも霧社事件について山の古老たちの話を聞きにツアーで来ていた。
私も会場に闖入させてもらって、話を聞かせてもらった。
今回も霧社事件のツアーはあるのだろうか?
しかし、もうすでに霧社事件当時のことを知っている生存者はいないだろう。
碧華荘もなくなってしまって久しい。

対岸にピースボート
[ピースボートが停泊している]

駅寄りの埠頭周辺は、戦前の基隆港の風情を残した建物が多く残っている。
旧大阪商船の赤レンガの建物も健在。
そうした港町風情の中で自撮りをしている人たちが多い。
デートをしている若い人ばかりでなく、年配者もよく見かける。
が、よく耳を澄ませてみると、年配者たちが話している言葉は日本語である。
確かに昔の台湾なら日本語を話す年配者はどこにでもいた。
しかし、いまではそうした日本語世代を見かけることは稀になっている。
どうやら、今ここで日本語を話している年配者たちは、本物の日本人らしい。
台湾へ観光旅行に来る日本人が増えていることは知っていたが、こんなに多いとは驚きである。
しかも、ゴールデンウイークも終わったシーズンオフと言うのに。

旧大阪商船ビル
[元大阪商船の建物は現在税関になっている]

海に張り出した広いボードウォークの公園にはたくさんの家族連れが来ている。
外国人労働者のグループもいる。
ストリートパフォーマーもいれば、楽器を持ち込んで演奏している人もいる。
ここでも日本の年配者の姿を見かける。

港のボードウォーク
[風船を使ったパフォーマンスをやっていた]

太陽がだいぶ西の低いところに来ている。
夕方の港を高いところから眺めてみようかと、港の東側にある丘の上の中正公園へ向かって歩き出す。
丘は停泊しているピースボートの裏にあり、岸壁沿いをピースボートの方へ向かって歩く。
歩いて行けばいくほど、日本人年配者の密度が濃くなってくる。
どうやらこの年配者たちはピースボートの乗船客のようだ。
私はピースボートに乗るのは若い人たちだけだと思っていたが、いまのピースボートの乗船客の年齢層は随分と高くなっているようだ。
それと昔ピースボートが使っていた船はギリシャあたりで使っていて、廃船間近の老朽船だったような記憶があったが、いま目の前に見えている船は3万トンくらいありそうな豪華客船である。

オーシャンドリーム
[船名はオーシャンドリームとなっていた]

これに比べて、今夜乗船する馬祖島へ向かう「台馬之星号」がすでに港へ入って接岸していたが、いかにも小さな船に見える。
小さいと言っても、五千トンの貨客船であり、立派なものだが、やはりこうして見比べてしまうと、貧弱に見えてしまう。

馬祖への連絡船 台馬之星
[馬祖南竿までの運賃は1050元]

中正公園のある丘へはどこから登ってよいやらよくわからないが、古い裏町のようなところを歩いて行くと、密集した住宅の間の路地に公園への方向を標識が出ていた。

基隆の裏町
[坂の途中に中正公園への標識]

中正公園へ続く細い路地
[民家の軒先を縫って歩くのは楽しい]

坂道を下ってきた人に聞くと、この道を行けば中正公園にたどり着けると教えてくれた。
狭い路地裏のような坂道を登っていくと、如何にも台湾の廟と言った屋根越しに夕暮れの港が見えてきて、中正公園に到着。
公園内には立派な三連の中国風塔が聳えており、この塔にも上ってみたいと思ったが、登り口がどこなのか塔の周りをまわってみたが見つけられなかった。
もう時刻は6時を回っており、入り口を閉じてしまっていたのかもしれない。
この中正公園にも日本人のグループが来ていたが、年配者ではなく若い人たちだった。

中正公園
[もうだいぶ暗くなってきてしまった]

コンテナ埠頭
[コンテナ埠頭にも照明が入り始めた]

この丘の北側に巨大な観音像が立っているので、そちらへも回ってみる。
2匹の狛犬風に守られた観音像は白く巨大で、港を見下ろしている。
額のところには赤い電球も光っていて、足元には「慈航普渡」と書かれている。
港町らしい名前である。

基隆の丘の上の観音像
[実際の空はもううす暗に近いのに写真だとなぜか青空]

すっかり日が暮れてしまったが、この丘の上からの夜景もなかなかきれいであった。
基隆は雨の多い土地と言うことになっているが、きょうは良く晴れている。

ハーバーライト
[大きな四角い建物はエバーグリーンホテル、オーナーはコンテナ船会社]

乗船する前に夕食を済ませなくてはならないが、夜の基隆の名物と言ったら廟口の夜店街であろう。
とくにここの夜店街はB級グルメを集めるところとして知られているが、しかし私はそんなミーハーなところよりも、ローカルな餃子屋へ行きたい。
以前に見つけた慶安宮という廟の境内にある「曾記」という餃子屋が良かった。
しかし、残念なことに店は閉まっていた。
時刻は7時を回っている。
夕食時は営業しないのだろうか。

仕方ないので、廟口の夜店街へ向かう。
週末の夜と言うこともあるのだろうけれど、身動きもろくにできないほどの大混雑の大賑わいである。
ここに来ている人の大半が観光客なのだろうけれど、有名な露店の前あたりはいっそう人混みが激しくなる。

基隆廟口夜市
[食べ歩きしている人や自撮りしている人、順番を待つ人]

基隆名物の天ぷら、味噌汁、うどん、おでん、寿司となんだか日本食ばかりのようだが、いずれも台湾化している。
また、栄養三明治というサンドウィッチやカキ氷などの台湾スイーツも流行っているようだ。
そんな名店がひしめく中で、これも基隆廟口名物のカレーライスの屋台のベンチに座る。
混雑していて、せまっ苦しいが、これもここの風情なんだろう。
黄色いカレーが入った大鍋から、お玉ですくってご飯の上へ無造作にぶっかけ、やはり黄色い沢庵漬けを二枚のっけて出来上がり。
値段は50元で、ここの夜店街の食べ物の中では安い方。
具は豚肉、玉ネギ、ニンジン、ジャガイモで、色はやたらと黄色い。
香辛料は弱めで、辛さも控えめ。
なんとなく、戦前の日本の家庭で食べられていたカレーライスとはこんなものではなかったかと想像される代物だった。
できれば昔風に、お冷のガラスコップにスプーンを差してサービスしてほしいところだが、この屋台ではお冷は出ないで、味噌汁を注文している人が多かった。

基隆のカレーライス
[このカレーライスの店に限らずどこも大繁盛している]

なんとなく物足りないような気がしたので、煎餃と呼ばれる餃子も買ってしまう。
これは日本の一口餃子のようなもので、12粒で50元。
座って食べる場所はなく、箱に詰めてもらう。

煎餃の夜店
[煎餃は日本の餃子に近い感じ]

その隣の屋台では豚の丸焼きが売られていた。
バンコクの中華でよく見かける生まれたばかりの乳のみ子豚ではなく、もう少し大きくなった豚だが、やはり北京ダックのように飴色に焼いたパリパリの皮をモチ皮に包んで食べるもののようだ。

豚の丸焼き
[高級中華の豚の丸焼きもここなら気軽に食べられるようだ]

時刻は8時を回ったので、乗船ターミナルへ向かって歩き出す。
途中のコンビニで紹興酒を一本仕入れる。
175元也。
これは今夜船の中で飲むものではなく、島に渡ってから飲もうと思っている。
馬祖島は離島だから、こうしたものの輸送コストがかかり、島では高いのではないかと言うセコイ発想から基隆で仕入れていくことにした。

乗船ターミナル
[定期航路の乗船ターミナル 右は馬祖行きの連絡船]

コインロッカーから荷物も引っ張り出し、鉄道駅の先へ進んだところがターミナル。
入り口は薄暗いが、中に入ってしまえば、明るく、カウンターや待合室があり、乗船を待っている人がたくさんいる。
船の予約はすでにインターネットで2か月前に行っており、その際にカードで支払いも済ませてあるが、このカウンターで乗船手続きをすることになっている。
手続きには番号札をとって順番を待つことになっているそうなのだが、どこで番号を配っているのかわからず、カウンターで尋ねたところ、順番など関係なくさっさと乗船手続きをして、乗船券を用意してくれた。
言葉のよくわからない日本人に説明するより、さっさと手続きしてやった方が面倒がないと考えたのか、それとも外国人への便宜のつもりで配慮してくれたのか、実際のところはよくわからないか、おかげで楽させてもらった。
ただし、乗船券に指定されていたのは、Cデッキ、9号室、13番ベッドとあまり縁起の良くない番号がふられていた。

チェックインカウンター
[馬祖航路は兵隊さんが多いと聞いていたがあまり目立たない]

広い待合室で待たされている間、柱の電気コンセントを使わせてもらって携帯電話に充電をさせてもらう。
同じことを考えている人はたくさんいるようで、ほとんどの電気コンセントには携帯電話のアダプターが差し込まれている。

9時過ぎに乗船開始。
空港と同じように手荷物検査があるが、液体物の持ち込み規制などはないようで、さっき買った紹興酒が没収されることはなかった。

ブリッジで乗船
[ちゃんと船腹とブリッジでつながれて乗船できる]

指定された9号室は30人以上収容する大部屋で、2段ベッドが並んでいる。
窓がないため、ちょっと圧迫感も感じる。
ベッドにはシーツの代わりにゴザのようなものが敷いてあり、カーテン、枕と掛布はある。
ベッドに入って起き上がると上のベッドの頭がつかえる。
読書灯はあり、ちゃんとスイッチは入るが電源コンセントはない。
まぁ、タイの寝台車と同じレベルくらいだろうか。
船内はエアコンが効いていて少し寒いくらい。

エコノミークラスの二段ベッド
[カーテンが開いているのが私のベッド]

出港前に船内の探検に出てみる。
デッキではカップラーメンを食べている人が目立つ。
船内にはいくつもの給湯器が用意されており、カップラーメンを食べるには便利なようだ。
またビールを飲んでいる人も多い。
ビールを売る自販機は船内になく、売店で売っている。
また乗船前に買い込んでも、船内には共用の冷蔵庫も用意されていた。

売店がある場所は、船首側の"餐庁"と呼ばれるところで、窓もあり、ゆったりしたシートもあって快適そうだが、餐庁とは言うものの、料理の提供はしておらず、みやげ物、袋菓子やカップ麺、飲料などを売っているのみ。
なお、この"餐庁"だけは船内で唯一無料のWiFiが使えるようだ。

夜10時、出港。
ドラが鳴るわけでもなく、蛍の光のメロディーが流れるわけでもなく、飛行機がゲートを離れるときのように味気ない出港であった。
しかし、夜の港を海上から眺めるのは、旅情をそそる。
港明かりが水面に揺れていたかと思うと、巨大なクレーンがせわしなく動いて、大きなコンテナーを積み上げたり、船から降ろしたりしている。
軍艦も停泊している。
これらも昔なら写真撮影厳禁であったものが、今ではまったく好き放題に写真が撮れる。

船上からの港明かり
[港の夜景は海上からの方がきれいに見えるようだ]

巨大な発電所のような施設を過ぎたあたりで、港の外へ出たようだ。
夜釣りをしているのか、明かりをともしたプレジャーボートも何隻も見える。
東の方の山の上に、黄色い小さな明かりが密集したところが見える。
夜なので山の稜線も定かでないし、距離感もつかめないが、なんとなく九份のあたりではないだろうかと想像した。

基隆港外航行中
[薄ぼんやりと、小さな明かりが山の中腹に密集しているのが見える]

夜11時。
ベッドにもぐりこみ、耳栓をし、アイマスクをして寝ることにする。
横になっていても、船が揺れているのがわかる。

つづく

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