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センチメンタルジャーニー
今年の桜は開花が例年よりもずっと早かったそうで、散るのも早まってしまったようだ。
八重桜はまだ少し花を残しているが、枝に花よりも、地面に散った花びらが散らばり、ピンク色で敷き詰められ風情がある。

八重桜
[まだ八重桜の枝には花が少し残っている]

花びらでピンク色の地面
[関東ローム層の黒土にピンクの花びらのコントラストが鮮やか]

今回の東京滞在中は、毎日のように雨が降った。
雨降りの合間を縫って草むしりをする。
まだ雑草でジャングルにはなっていないけれど、ドクダミ、ノウゼン、スギナなどたくさん伸び始めている。
いずれも根が深くて、採っても取ってもキリがなさそう。
でも、今のうちに取っておかないと、もっとすごいことになるだろう。
それに、こうして土に触れる機会はバンコクではなかなかないし、この季節はまだ蚊がいないので、蚊に刺される心配もない。
暑くもない。
しかし、しゃがみこんでの作業なので曲げた腰は、立ち上がろうとすると痛みが走る。

タンポポ
[かわいそうだけどタンポポも抜き取る]

ラビットスクーターも体調不良らしい。
原因は燃料がエンジンにまわらないため。
燃料タンクが錆つき、コックが詰まってしまっている。
今の日本では燃料タンクの錆が取れる化学薬品が市販されているらしい。
それを使えば、ラビットスクーター体調不良の原因を解決してあげられそうなのだけれど、この作業のためには燃料タンクをフレームから外さなくてはならない。
そのような作業はいまだかつてやったことがない。
車体カバーだって外したこともなく、さびたネジを回せるかどうかも自信がなかった。
それに、化学薬品を使っても、錆取りには数日かかるそうだし、洗浄や乾燥なども何度もしなくてはならないらしいので、今回の雨続きではとても行えそうにない。
とりあえず、応急的に燃料コックを外して詰まっている錆を穿り出してみることにする。

カバーを外してタンクむき出しのラビット
[ラビットの鉄製ボディーをフレームから外す]

抜き取ったガソリン
[燃料タンクから抜き取ったガソリンを空き瓶に詰める]

もう一台の赤ラビットは今回もエンジンをかけることもなく、休眠させたまま。
一年以上も放置したままで、バッテリーも死んでいるだろうし、タイヤも空気が抜けてぺしゃんこになっている。
再び動かせようにするにはかなりの時間がかかりそうなので、こちらの整備も次回以降に順延となる。

ラビットスクーター以外に、自転車でも近所を走り回った。
この季節、雨さえ降らなければ自転車で住宅街を走るのは気持ちが良い。
駅前の銀行へ向かう途中で、庭に二匹の黒猫がいる小さな古い家があった。
この二匹の黒猫は軒先で向かい合って座り、まるで鏡にでも映っているかのように見える。
他家の庭先の写真を撮ったりするのは問題かもしれないけれど、なかなか絵になっている情景であったので、キキーっとブレーキを軋ませてネコを驚かせないように自転車を静かに止めて、写真を撮らせてもらう。

二匹の黒猫
[この二匹は兄弟なのだろうか]

二匹の黒猫の横にももう一匹軒先に白黒のネコがおり、また植え込みにも別にもう一匹寝ていた。
そのネコもやはり白黒のネコであった。

白黒ネコ
[この白黒ネコも兄弟なのだろうか]

銭湯にも行ってきた。
市内には2軒の銭湯が残っているそうだけれど、これまで「第二喜多乃湯」にしか行ったことがない。
またスーパー銭湯と言うのも近所にあるのだが、そこへも行ったことはない。
浮気をしない性格と言うか、マンネリ好きと言うか、変化をあまり求めない生き方を志しているつもりである。
その銭湯へ行く途中の旧市役所前通りに「くるめでんき」がある。
前回一時帰国した際に近所の郷土資料室に案内説明もなく展示されていた一枚の白黒スナップ写真が気になっていた。
日立の特約電気店、オート三輪、、、見覚えのある景色であった。

古い白黒写真
[郷土資料室に説明もなく展示されていた市内の古い白黒スナップ]

私の記憶ではカネヨシマーケット前から撮影した写真ではないかと思った。
今回、カネヨシマーケットが昔あった場所へ行ってみる。
カネヨシマーケットは何十年も前、たぶん西友ストアができた頃にはなくなっていたと思われるが、このマーケットには小学校へ上がる前、母との買い物の思い出など、切れ切れになりながらも懐かしく残っている。
樽に詰められた味噌の臭い、八百屋ではゴムで吊り下げた笊のつり銭用小銭がジヤラジャラ音を立てていた。
オート三輪は当然見当たらない。
当時の木造二階建てではないが、日立の特約電気店の「くるめでんき」は健在であった。
電気店の向かいのお茶屋さんも健在のようだ。
それ以外は、もうすっかり景観が変わってしまっている。
バス停の位置も動いているようだ。
カネヨシマーケットがあった場所には、大型ドラッグストアがあった。

旧カネヨシマーケット前
[オレンジ色の建物が「くるめでんき」で健在らしい]

懐かしいといえば、もうひとつ。
今から50年前の4月に、私は久留米神明幼稚園に入園した。
その幼稚園を再訪してみた。
セキュリティーのこともあり、部外者は入れないことになっているそうなのだが、対応してくださった園長先生に特別に許可していただき園内へ入れさせていただいた。
園舎は建て替えられることもなく、50年前と変わっていない。
幼稚園児だった頃に泣き虫だったが、どうも年をとってきて、また涙腺が甘くなってきてしまっているようだ。
懐かしさに涙が出そうになる。
年少組のときは「もも組」だった。
「もも組」の教室も、健在であった。

もも組
[もも組の教室も健在だった]

教室内もほとんど変わっていない。
黒板横には、今月誕生日を迎える園児の名前が飾られているのも昔のままだ。
教室の壁際の棚には、園児一人ひとりの道具箱などを入れるようになっている。
教室の中で変わったものといったら、天井のエアコンくらいではないだろうか。
昔にエアコンがないのは当然で、当時は教室の真ん中に大きなストーブが置かれ、まわりを金網の柵で覆ってあった。
冬場はこの柵に弁当をぶら下げてもらい、弁当を温めてもらった。
弁当箱もプラスチック製ではなくアルミ製であった。

もも組の教室内
[教室内も昔と変わっていないようで、50年前の記憶がよみがえってくる]

砂場も砂場の上の藤棚も昔と同じ場所にある。
プールも同じ場所。
遊具類は見覚えのないものに変わっている。
私の記憶では砂場の隣に箱型のブランコがあったのだが、園長先生の説明によれば、現在は安全上の問題から箱型のブランコは撤去されたそうだ。
校長先生は園庭の真ん中にある桜の大木がご自慢のようであったが、私には桜の木の印象はない。
市の名木にも指定されている桜の大木なのだが、たぶん50年前は大木ではなく、まだ幼木で目立たなかったのかもしれない。

広い園庭に桜の大木
[幼稚園の園庭としてはとても広いほうだと思う]

今回の一時帰国、ちょっとしたセンチネンタルジャーニーになったようだ。
バンコクへ戻る最終日も雨降りであった。

小雨が残る成田空港
[中華航空の成田便にジャンボが復活したようだ]

昨年、もう乗る機会もないだろうと思っていたジャンボジェットの2階席へ。
もともとビジネスクラスの席なので快適で得した気分。
昨晩から花粉症になりかけたのか、体調が思わしくなく、ゆっくり寝て行くべきところであったが、往路で途中まで見ていた映画、映画リトルフォレストの続編を飛行中ずっと見続けてしまった。
居眠りをしなかったのと、さらに成田を出る前から稲荷寿司やシュウマイ、カップヌードルなど食べすぎ飲みすぎで台北に到着したときはかなりグロッキーであった。

雪に覆われた富士山山頂
[箱根を越えたあたりで雨雲も切れて、機窓から富士山を眺められた]

いつもなら5時間もある乗り継ぎ時間を利用して台湾に入国して、街歩きをするのだが、今回は来るときに極短時間ながら大園の街に行っていたので、今回は台湾に入国をせず、乗り継ぎ時間に休憩をとらせてもらう。
台北空港第一ターミナルの中華航空ラウンジには"Sleeping Room"なるものがあることは知っていたが、覗いたことはなかった。
この機会にそこで居眠りをさせてもらうことにした。
部屋は2室あり、鍵はかからないが個室になっている。
寝椅子の他に小さなテーブルや棚もある。
照明の調節もできるが、スピーカーの音量調節はできない。
そのため、スピーカーからは常にBGMのような音楽が流され、ときどき搭乗アナウンスが入る。
熟睡するにはあまりよい環境ではないけれど、薄暗い部屋で横になれるので、3時間ほど休ませてもらった。

バンコクへのフライトでは機内食に「フルーツミール」と言うものを予約しておいた。
これは大正解で、ソンクラン休暇明けでバンコクへもどるタイ人で満席の機内にあって、一番最初に機内食は運ばれるし、内容も果物尽くしで、胃の負担も軽かったのか、食べ終わってすぐにバンコクまで狭いエコノミー席でも寝ていくことができた。

フルーツミール
[前菜も、メインも、デザートも果物 ドリンクは白葡萄酒]

なお、バンコクの入国審査は中国人観光客で大混雑し、1時間以上並ぶことになった。
バゲージターンテーブルの横に私の荷物が他のスーツケースなどと一緒にまとめて置かれてあった。
時刻は午前3時になっていた。

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竹炭花生をさがす
4月14日~18日で3ヶ月ぶりの一時帰国。
帰国の足はいつもと同じ中華航空の台北経由。
しかし、今回はいつもよりも台北での乗り継ぎ時間が長い。
台北から成田への便が、一便遅くて、成田の到着は夜9時前になってしまう。

ネコは留守番
[だんだんネコも年取ってきたので、留守番が心配になってきた]

しかし、今回の一時帰国に際して、妻より「台湾経由なら竹炭花生を買ってきてほしい」と言われていたので、乗り継ぎ時間を利用して買えるだろうと考えた。
しかも、空港内の免税店だと、たぶん市内のスーパーよりも割高だろうから、乗り継ぎ時間を利用して台湾へ入国し、空港ターミナル地下にあるコンビニエンスストアで買えるのではないかと目論んだ。

竹炭花生
[湿気取りならわかるけど、まさか竹炭がお菓子になるとは知らなかった]

竹炭花生とは私も知らなかったので、ネットで調べたところ、ピーナッツを竹の炭でコーティングをした豆菓子で、色は真っ黒。
台湾土産としても一般的なものらしい。
毎度マンネリ続きのため、進歩がなく、新しいもの、流行モノに関しての知識が欠乏しているので、安直にネットで得られる情報がすべてである。

バンコクから台北まで、機内の映画で「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を見た。
西田敏行さんがいい演技をしている。
そして、末期老人と言う相当の老け役をこなしている。
私のイメージの中の西田さんは、40年前の「みごろ、たべごろ、笑いごろ」のキャンディーズ番組当時のカバ大将としての西田さんのイメージで、若い歌うコメディアンであったが、まったくの演技派俳優になっている。
この映画の内容も、1980年の悩み事相談を手紙で受けるというのも良かった。
しかし、「奇蹟」はもっと純粋な取扱をしてほしかった。
1980年の相談事に対して、「これから世の中がどうなっていくか」と言ったことを現代から返信してしまったらば、せっかくのストーリー展開が安っぽくなってしまったように感じた。

ナミヤ雑貨店の奇蹟
[ストーリーにケチをつけてるようだと映画は楽しめないな]

さて、竹炭花生だが、ターミナル地下のコンビニエンスストアにはなかった。
フードコートに隣接するコンビニで、スナック類やインスタント食品が充実していたけれど、土産としての商品は品揃えが薄いのかもしれない。

どうしたものか、、。
ターミナル内の免税店ならあるはずだけど、せっかく台湾へ入国したのに、また免税店へ戻りたくない。
乗り継ぎ便出発までまだ2時間以上あるので、もう少し悪あがきを試みてみる。

空港から一番近そうな街は「大園」と言うところらしく、空港の敷地を出てすぐらしい。
そこまでバスに乗って行ってみる。

バスの車内
[台湾の市内バスも超低床車が普及し始めているようだ。バンコクではまだないようだけど]

「大園農会」と言う街の中心部でバスを降りる。
街といっても、田舎町でメインストリートのすぐ裏は畑になっていたりする。

大園のメインストリート
[大園は小さな町であった]

それでも「全聯福利中心」と言う中規模のスーパーがあり、早速に物色してみる。
スナックや豆菓子売り場の棚は、あんまり充実していないのか、竹炭花生は見当たらない。

全聯福利中心
[全聯福利中心大園店、コンビニより少し大きいくらいの規模]

続いてもう1軒見つけた「頂好」と言うやはり中規模のスーパーへ入ってみる。
品揃えは、先ほどと似たり寄ったりで、やはり探し物は見つからず。

頂好Wellcome
[頂好大園店もコンビニより少し大きいくらいの規模]

ここまで時間とバス賃かけてきたのに、手ぶらで空港へ戻るのも悔しいので、代替の土産を探しだす。
選んだものは「竹炭」ならぬニンニク風味「蒜味花生」160グラム。
頂好のプライベートブランド商品で値段も手頃。
また、台湾土産の定番になっているパイナップルケーキもプライベートブランドで特価になっていたので、パイナップル味とブルーベリー味の二種類を二箱ずつ購入する。

豆菓子の棚
[頂好の棚にも竹炭花生は置いてなかった 一般的ではないのだろうか]

空港へ戻るバス停がどこにあるのか良くわからなかったが、バイク修理屋の前へバスが停車して乗り降りしいてる人がいるのを見つけた。
その場所へ行ってみると、バス停の標識などは見当たらないが、学生風の青年がバスを待っている感じで立っている。
私もバイク修理屋の前でバスを待つ。
バス停の標識もないので、バスの時間表などもないから、いつバスが来るのかも良くわからない。

バイク修理屋前
[バスを待つ間、飛行機の時間もあって、気がせいてしまう]

バイク修理屋の中を見回すと、台湾では排ガスのチェックが厳しくなっているように感じた。
政府として今後二輪車は電動化していく方針らしいし、すでにツーサイクルのバイクやスクーターなど見かけなくなった。
タイではまだ排ガス規制などないも同然のようだし、日本でも新車以外はバイクが排ガス規制で走れなくなったとは聞いたことがない。
もし日本で排ガス規制などあったら、愛車のラビットを走らせることもできなくなってしまうだろう。

成田行きの便出発1時間前には空港へ戻り、ラウンジで牛肉少なめで注文した牛肉麺と飲茶を少し食べ、搭乗口へ向かう。
さっきまで晴れていたのに、搭乗口の大きなガラス窓から外を見たら雨が降っていた。

雨の台北空港
[知らないうちに外は雨になっていた]

空港内の免税店では確かに竹炭花生は細々と売られていた。
しかし、小分けされたパッケージではなく、また値段も180元と予算オーバー。
頂好で買った土産は全部あわせて219元。
これにバス代(往復36元)や時間のロスまで考慮すると、安くついたかどうかは疑問だけれど、小さな旅ができて良かったと思っている。
なお、竹炭花生の代わりに買った蒜味花生は予想以上に好評であった。
それと、パイナップルケーキは今後の定番土産になりそうなくらい喜ばれた。

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コスプレ体験
この一か月間で三度目のピサヌローク。
そろそろ車での往復も体力的にきつく感じてきたので、今回は汽車旅とした。

4月の初めに、ピサヌロークでは県や観光局が王宮跡でイベントを行うから来るようにと言われていた。
なんでも、アユタヤ時代の衣装を全員が着用することになっているらしいのだが、日本人だからキモノを着てきてほしいと言われた。

そんなことを言われても、和服など浴衣含めて持っていない。
言う方は気安く言ってくれるが、準備する方は当惑してしまう。
それでも、先方も好意で誘ってくれているのだろうし、それに応えなくてはとバンコクで貸衣装屋を回ってみる。
バンコクの街中にはオカマショー用かと思われるようなド派手な衣装を貸し出す店が結構ある。
社内のイベントなどでも、仮装を求められることは多く、この手の貸衣装屋は一般的なものなのかもしれない。
日本で貸衣装と言ったら、結婚式や成人式などくらいではないかと思うし、そのためか衣装も良いものが揃っているのではないかと思うのだが、バンコクはそうではないようだ。
仮装パーティーで着れれば良い程度のクオリティーなので、その環境下で和装を借り出そうというのだから、どんな衣装が出て来るかはある程度想像はしていた。
しかし、実物を見て「なんだこりゃ」のレベルが想像を超えていた。
どう見ても和服には見えない。
まるで中国の時代劇に出てきそうな派手な刺繍入り、キンピカで、ただやたらとデレッと長く裾を引いている。
あんまりにもあんまり。
こんなもの着て出かけていった日には、日本に対する誤解を助長しかねない。

会社のスタッフに相談したら、レンタルではなくネットで買ってしまえばよい。
ネットならいろいろと選べるはずと言って、調べてもらった。
確かに種類も多いのだが、どうも和装と言ったイメージから遠いものばかり。
なんとなく、日本のアニメに出てくるへんてこなキャラクターが着ている衣装のように見えるとスタッフに言ったら、
「そりゃそうだよ、これ、みんなコスプレだよ」
とのお答え。

多少はまともかなと思われるサムライ・コスプレをオーダーする。
送料込みで910バーツ也。

4月2日、届いたサムライ・コスプレを持って、バンコク発10時50分の特急に乗り込む。
これだとバンコクから400キロもあるピサヌロークまで5時間で運んでくれる。
その間、のんびりと文庫本でも読んでいようと、沢木耕太郎の「国道1号線を北上せよ」をカバンに入れておいた。
この特急の行先は、シラアット行きで、途中のピサヌロークから先でサワンカロークへの盲腸線を往復することになっている。
先にチェンマイからバンコクまでの汽車旅をしたときにも触れたけど、このサワンカロークへの往復については、興味があって、ピサヌロークなんかで下車せずに、そのままサワンカロークまで行ってみたい衝動に駆られるが、夕方までにはピサヌローク入りしなくてはならず、次回のお楽しみに取っておくことにする。

現在はピサヌロークまで格安航空会社がバンコクから1日に5便も往復しており、料金もこの特急と比べても大差ないくらいの切符も出回っているので、さぞ特急はガラガラだろうと思っていた。
しかし、その予想は外れた。
平日の昼間という時間帯にもかかわらず、バンコクの街はずれまで来たころには、全席指定の座席は満席となった。
途中の駅で降りていく人もあるが、誰かが下りて空席ができると、すぐにまた別の人が乗り込んできて、空席が塞がる。
これには驚いてしまった。

昼食の時間帯にかかるということもあり、車内では食事のサービスがあった。
一人分ずつ機内食風にトレーで配られる。
内容は、ご飯、ゲーンソム、チキンのニンニク炒め。
皿に盛り付けられているわけではなく、プラスチックの容器に入っていたり、レトルトパックだったり。
本来なら電子レンジなどで温めて食すべきところ、常温のまま。
サービスとはいえ、温められないなら、温めなくても良いようなメニューにしてほしいところではある。
いずれも常温で長期保存のできるタイプのもので、タイ南部、トラン県のメーカー、プンプイの商品であった。

ロッブリーを出るあたりまでは快調に走っていたが、ナコンサワンの手前で止まってしまった。
故障だろうか、事故だろうか、
もともと車両にスピーカーなどの放送設備もないので事情説明のアナウンスなどない。
しばらく、停車していたと思ったら、バックし始めた。
どこまで戻るつものだろうかと訝ったが、200メートルも後退したところで、また停車。
結局、事情も分からないまま30分以上を田んぼの中の線路の上で過ごしてから、また前へ進み始めた。

ピサヌロークには予定より20分ほど遅れて到着。
いつものアマリンナコンホテルにチェックイン。
急いでサムライ・コスプレに着替えなくては慌てているところへ電話が入る。
「いまどこ、もう着いたな、今日はタイ衣装を着てくるように」
「タイ衣装でなくて、日本の衣装を用意してきたけど」
「知事から、タイ衣装が良いと言われてるから、そのまますぐ時計塔の前へ来なさい」
おやおや、せっかく買ったサムライ・コスプレはどうなるんだ。
まぁ、とにかく念のためもあるので、サムライ・コスプレを持ってピサヌローク旧市街の中心にある時計塔へ行ってみた。

やはり、今日は全員がアユタヤ時代のタイ衣装を着ることになっているそうで、日本人にも着てほしいと知事が言われているらしい。
時計塔近くにあるやたらと体格の良いオカマさん経営の貸衣装屋で私もタイ衣装を着せられる。
おまけに、髪はスプレーで固められ、顔は白粉でピンクの頬紅や口紅まで差されてしまう。
ゴテゴテと装飾品も取り付けられる。
タイ装束など初めての体験である。
なお、このタイ衣装もコスプレと同じ程度のレベルで、安物の化繊で、安直な縫製でできていた。

時計塔近くの貸衣装屋でタイ装束に
[アユタヤ時代はこんな格好だったのだろうか?]

車に乗せられて、会場の月の王宮跡へ。
なるほど、たくさんの人がタイ衣装を着て集まっている。
こんなところへサムライ・コスプレで乗り込んだら、ちょっと目立ちすぎてしまうだろう。
まだ日没前で明るいので、遺跡の方では、タイ衣装を着こんだ人たちが、写真を撮り合っている。
最近はタイではテレビドラマ「ブッペーサンニワート」というのが大ブームを引き起こしており、ドラマはアユタヤ時代へタイムスリップした現代女性のストーリーらしい。
私は全く関心もないが、社内のスタッフたちは熱狂して、職場でもおしゃべりしているので聞こえてきてしまう。
このドラマの影響で、ドラマのロケでも使われているらしいアユタヤ遺跡では、タイ衣装を着て写真を撮りに来るタイ人がとても多くなってしまい、一部の遺跡では入場制限をしはじめているらしい。
そんなこともあってなのだろうか、タイ衣装を着て遺跡でセルフィーはタイで流行っているらしい。

タイ人はコスプレ好きが多いようだ
[タイ衣装を着て遺跡で写真に納まるのがブームになっている]

イベントはなんとなく始まり、私もステージ前最前列に並べられたプラスチックの椅子に座るように指示された。
タイ衣装の女性たち多数による踊りがある。
カツラかと思うほど髪をアップにして大きく膨らませている。
若い女性は含まれておらず、中高年だけであったからか、派手なダンスではなく、手首と指先をしならせる穏やかな踊りを踊りながら会場を回った。

県観光課の女性とスナップ
[ 後ろに中高年女性のダンサーが控えてます]

県知事や観光局長のスピーチがあり、その後も私はよく知らないが、歌手が歌を歌い、剣舞がありとステージでは出し物が続いている。
しかし、要職にある人のスピーチのあいだだけ私はステージ前にいれば良かったようで、あとは来席している県の有力者の紹介を受ける。
紹介されても、私はいまだにタイ人の名前を覚えるのが苦手で、最初から名前を伺っても聞き流し同然。
タイ衣装を着ているため、名刺も持っておらず失敗した。
もっとも、先方も名刺を持っているわけではない。

県知事らとのスナップ
[県知事などと一緒にご満悦ポーズ]

会場には「昔の市場(タラートボーラン)」と名付けられた縁日風の出店が並んでいるブースが何か所かあった。
たしかに、草ぶき、ヤシの葉葺き、竹を組んだだけの出店は昔風であるが、売っているものは食べ物中心ながら、その辺の屋台とあんまり変わらないものが多いようだ。
いくつかのタイのお菓子類は、「昔からのお菓子」と説明を受けたけれど、いまでもよく道端で売られているタイのお菓子と同じように見えた。
そうしたタイ菓子を摘みながら、見学していて気が付いたのは、アユタヤ時代の衣装を着ることになっているはずだけれども、よくみると今から150年くらい昔のラーマ八世、チュラロンコン王時代の衣装と思われる人もかなりたくさん混ざっている。
当時は日本の明治時代共通していて、西洋化が流行りだったようで、当時の王宮などの建造物はタイ伝統様式と西洋建築がミックスしたものが多く建築され、衣装も洋タイ折衷的な服装が官吏の服装として取り入れられたりしている。

そして、あちこちに等身大の写真パネルが置かれている。
写真のモデルはガラケートらしい。
先に書いたドラマ「ブッペーサンニワート」の主人公である。
そういえば、ステージの司会者が話していることをあんまり聞いていなかったが、盛んにガラケート、ガラケートと言っていた。
このイベントとガラケートとどんな関係があるのかと質問してみたところ、
「ピサヌロークはガラケートのお母さんの出身地でしょ」
と、さも「そんなことも知らないのかよ」と言った感じで教えられた。
なんでもピサヌロークの太守の娘がガラケートの母親だったんだそうな。
そのなのドラマ見てないんだから、知るわけないし、、、

ガラケート等身大パネル
[これがガラケートの等身大パネル]

そういえば、タイ映画ではアユタヤ時代のヒーローやヒロインの出身地がピサヌロークとなっているケースが多いようだ。
数年前にヒットした映画ナレースワンも、15年前のスリヨータイもピサヌローク出身で、たぶんこれは史実らしいのだけれど、このガラケートはフィクションのドラマらしい。
そんなフィクションのヒロイン、しかもその母親の出身地だということだけで、こんなに県をあげて盛り上がってしまうところが、私にはどうもうまく理解ができない。

夜9時過ぎにお役御免となる。
一人になって、ぐったりと疲れたけれど、まだ夕食も食べていない。
夕食には誘われたけれど、疲れ果ててたので、遠慮させていただいた。

ナイトバザール外れのオープンエアのレストランでナーン川が眺められるテーブルでビールを飲みながら長茄子のヤムとチャーハンを食べる。
先々週もこの空飛ぶ空心菜で知られる店に来たのだが、店のスタッフは私のことを覚えていてくれてた。
この店、料理の味もいいし、値段もお手頃。
そして川の眺めと雰囲気もなかなか良い。

翌日、せっかく買ったのに、着る機会もなくなったサムライ・コスプレだが、どうせ持って着てるし、知り合いに会うこともここならないだろうと、サムライ・コスプレを着てスコタイ遺跡へ出かけた。
このサムライ・コスプレ、袴が袴になっておらず、筒スカートで、足を開けない。
そのためスコタイの遺跡公園で自転車に乗った際に、ちょっと不便をした。
暑期のスコタイ遺跡は見学者も少なく、日本人観光客は皆無であった。
知った顔に見られるだけでなく、こんなスタイルを同胞に見られるのもやはり恥ずかしかったので、好都合ではあった。
恥ずかしいくらいなら、はじめからコスプレなどしなければ良いものなのだが、そこは目立ちたがり屋の部分もあり、またタイの人たちがこのスタイルを見て面白がるんだろうなと言うサービス精神のなせる業でもある。

スコタイ遺跡にサムライ
[サムライ・コスプレでスコタイ遺跡公園をめぐる]

夜、またまた空飛ぶ空心菜の店に行き、タイ・ウイスキーのリポビタンD割りを飲みながらタイ料理を食べる。

ナーン川の夕暮れ
[空飛ぶ空心菜の店から眺めたナーン川の夕暮れ]

ピサヌローク発夜10時過ぎの汽車でバンコクへ向かう。
タイ・ウイスキーを飲み干し、ビールまで飲んだので、寝台に潜り込んだらすぐに眠り込んだのだけれど、午前4時にはまだバンコク到着まで1時間もあるというのに、起こされて寝台を座席に変換されてしまった。
久しぶりに飲んだタイ・ウイスキーで悪酔いしたようで、少し辛かったけれど、アパートへ戻ってシャワーを浴び、そのまま出社する。

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