■かれんだー■
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
<<前月 2016年12月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

一時帰国からの帰路 北投で新湯発見
12月13日 火曜日 - 12月14日 水曜日

一時帰国最終日。
今回は下田温泉へ一泊旅行もできて満足、満足。
ただ、いつもなら会社のスタッフにお菓子などなにかしらお土産を買ってきているのだが、今回はなにも用意していないことが少し気がかり。
人数が多いから少額で数をこなせるようなものしかいつも買って行かないので、土産を渡してもスタッフたちは別に喜んでくれたりなんかはしないけど、それでも「土産忘れるな!」の声でおくられている。
まぁ、手ぶらで出社したらどんな反応を示されるか今後のための試験ケースと考えることにして成田空港へ向かう。

午後2時半の中華航空なので、朝はのんびりできる。
天気予報では今日は雨の確立が高かったけれど、幸いなことに雨は降っていない。
しかし、曇り空。
いつも成田から台北までのフライトでは富士山が見たいがために右舷窓側の席にしているのだが、富士山を眺めることはできないかもしれない。

富士山のことはさておき、帰路は運の良いことに成田から台北も、台北からバンコクもジャンボジェットの2階席で席の予約ができた。

なんだか台湾ビールを連想させる
[中華航空のジャンボジェット]

以前にもブログに書いたが、中華航空の2階席は本来ビジネスクラスなのだが、エコノミークラスとして開放してくれている。
なので、早めに座席の指定をすれば確保できそうなものなのだが、2階席の大半が航空会社のマイレージ会員の中でもエリートプラス資格専用に大半の席がブロックされている。
私のようなゴールドメンバーは一般メンバーと同じ扱いで、ブロックを開放してもらえない。
しかし、全部がブロックされているわけではなく、ほんのわずかだけど一般用にも開けてあり、私が予約したときにはまだそれが空いていた。

ジャンボの2階席
[運よくビジネスクラスのシート]

今回のシートはいつもと少し仕様が異なっているようで、少し古いタイプなのだろうか。
前後の間隔はやたらとゆったりしていて一昔前のファーストクラスみたいだ。
しかし、シート自体は少し細身のように感じた。

1階の一般的なエコノミー席も台湾人乗客が多かったが、2階席は私以外はほぼ台湾人のようだ。日本人もいないし、西洋人もいない。
そして、観光客風の乗客もいなくてビジネスマン風が圧倒的に多い。
この人たちがエリートプラスメンバーなのだろうか。

機内で映画を見る。
「植物図鑑」と言う比較的新しい邦画で、主人公は若い女性、そして恋愛ものようなので、あんまり私の趣味ではないが、離陸して窓から下界を見下ろしても、雲に覆われて富士山は見えないので、とりあえず映画でも見ようかと言う気になった。

で、植物図鑑と言う映画を見た感想は、悪くなかった。
いや、結構好きかもしれないと思った。

映画植物図鑑
[植物図鑑]

ストーリーは不動産会社に勤めるパッとしないOLサヤカが、お腹を空かせて動けなくなっている青年をまるで「捨て犬を拾う」ように、連れ帰り飼い始める。
青年は野草について知識が豊富で、また野草を使った料理も得意。
青年はサヤカに毎日弁当を作り、休日には野原へ食べられる野草を摘みに行く。
サヤカは青年を好きになるが、飼い始めて半年、青年はサヤカのもとから消えてしまう。
未練たっぷりなサヤカは青年を探そうとするが見つからない。
しかし、サヤカの誕生日に誕生日プレゼントとして「植物図鑑」がおくられてくる。
この図鑑の背表紙に書かれた写真家の名前が、青年の名前であり、図鑑の出版記念パーティーで、青年の本当の姿を知る。

この本当の姿と言うのは、有名な華道家の息子で、そして現在は野草を撮影する写真家になっていると言うもの。
そして、再会してハッピーエンド。

この最後の部分が、私の最も気に入らない展開なのである。
少女趣味的と言うか、安直な韓国ドラマ風と言うか、大嫌いなのであるが、この映画の中では、青年と最初に出会う前のところで「ある日私は夢を見た」と言うセリフから展開している。
つまり、青年とのことがすべてこのサヤカと言う冴えないOLの夢の中で出来事であったとしたら、私としては全然不快感を感じない。
誰だって、夢の中では自由であるべきだと思う。
このストーリー全体が夢の中の出来事だったのか、現実だったのかの答えはこの映画では用意していないので、見る人任せなのだろう。

で、この青年、野草を使って様々なヘルシー料理を作る。
このあたり、私の好きな展開である。
そして、青年のセリフの中で植物学者でもあられた昭和天皇のお言葉で「雑草と言う名の植物はない、植物にはみな名前がある」を紹介しているのも好ましい。
私が愛読している産経新聞の記者だった故近藤紘一さんの文章の中にも、「かつての名文記者たちは、自らの無知をタナに上げて、『名もない花が・・・』と書き飛ばした(名も無い花なんてこの世に存在しない。当人が知らないだけだ)。」と書いている。
これは美文による虚飾で価値観や判断を誤ってしまいやすいことへの警鐘として書いている一部であるが、この原点は昭和の陛下のお言葉であったことを知った。
そして、私の場合、「雑種と言うネコはいない、ネコにはみな名前がある。なのにウチのネコには名前がない」と言う言葉を残したい。

所有草都有名字
[植物にはみな名前がある]

搭乗開始前に大好きないなり寿司と飲茶にカップラーメンをラウンジで食べさせてもらっていたが、機内食で出た豚丼風の機内食もしっかり食べてしまう。
そして満腹になったら眠くなり、ウトウトしていたら台北空港に着陸した。

バンコク行きの乗継便は、明朝の出発なので時間はたっぷりある。
乗り継ぎ時間を利用してやりたいことは、台湾の手打ちうどん風の生麵を市場で買うことと、北投温泉に行くこと、そして又一村の水餃子を食べること。

まずは、台湾の手打ちうどんだが、10月に空港から近い南崁の街の市場で買ったものが、極太でやたらと腰が強くて、めっぽう美味しかった。
この生麺を仕入れて冷蔵庫で冷凍しておこうという算段である。

空港からバスに乗って南崁に着いたら、夜空には丸くて明るい月が出ていた。
東京は曇っていたけど台北は晴れているらしい。
夜の台北で動き回るのに、雨が降られたら大変なので、まずは幸先が良い。

南崁には剣道教室もあるらしい
[南崁は月夜だった]

向かった先は夜市ではなく、台湾のどこにでもあるような市場。
肉や野菜など食材を売っている市場。
この奥にある手作り餃子の店で台湾手打ちうどんを2袋、約1.2キロを80元で買う。

南崁の市場内にて
[台湾手打ちうどんだけでなく、餃子やワンタンも手作りで売っている]

ふたたびバスに乗って台北市内へ、そして地下鉄に乗り換えて北投温泉へ急ぐ。
北投温泉の共同浴場である瀧乃湯は夜9時までの営業らしいから、今から行くと「終い湯」と言うことになるかもしれないが、銭湯と異なり、源泉かけ流しの温泉なので、終い湯でも問題ないだろう。

新北投の駅に到着したのが夜8時、急ぎ足で瀧乃湯までの温泉公園沿いの道を歩く。
暗い道端には随分とたくさんの人が出ている。
みんな立ち止まってスマートフォンをいじくっている。
若い人だけでなく、年配者もスマホに熱中している。
何か台湾の人にとって大きな関心事項となるような情報でも流れているのだろうか。

瀧乃湯は閉まっていた。
営業終了と言う感じではなく、営業をしていない感じだ。
暗くてよくわからないが建物もなんだか取り壊しているように感じられる。
うーむ、瀧乃湯は大正時代からの浴場で、1世紀近くもほとんど補修もされずきていたから、とうとうボロ過ぎて営業停止にでもなってしまったのだろうか。

瀧乃湯暫停営業
[瀧乃湯暫停営業の公告]

入り口に「暫停営業」の告知がされていた。
暫停営業とは、暫"定"営業ではなく、暫時停止と言うことだろうから、希望的には補修工事のため一時営業を停止していると解釈できなこともない。
しかも7月からだから、もう5か月も営業していないことになる。
やはり暗くてよくわからないが、本当に補修工事をしているのだろうかと心配になる。
告知分にもいつ再開されるかは書かれていない。

せっかく北投温泉まで来たのに残念。
でもせっかく来たのだからどこかで温泉に入りたい。
地獄谷入り口近くにも入浴施設があったような気がしたので向かってみた。
しかし、地獄谷温泉入り口の入浴施設は、どうやら個室浴場のようだ。
泉質は温泉だろうけど、大きな浴槽ではないはず。
これでは興ざめ。

公園沿いに坂を下ると、途中に公営の大きな露天風呂公園のようなものがあった。
入浴料金も40元と格安である。
入り口にはたくさんの人が並んでいる。
これは良さそうだと思ったが、中国語、韓国語、日本語などで書かれた注意書きを読んでみると、どうやら水着着用らしい。
しかも、水着にもいろいろと条件が付いている。
私は水着なんて持っていない。
残念だけど、次回来る時には水着を持ってくることにしよう。

この露天風呂公園の周辺でもたくさんの人がスマホをいじくっている。
私もWiFiに接続できたので、北投温泉の公衆浴場に関する情報を調べてみた。
ほとんどが瀧乃湯に関する情報か温泉ホテルの日帰り入浴情報だったが、北投駅の方へ下ったところに銭湯風の温泉公衆浴場があるらしく、しかも水着の着用も不要らしい。

温泉情緒などちっとも感じられない繁華街の中の道を北投駅方向にしばらく歩いたところに「本当にこれが公衆浴場か?」と思われるようなビルに公衆浴場はあった。
温泉マークのネオンに"24H"なんて表示されてて、なんとなく連れ込み宿のような感じもするが、入ってみると銭湯風の施設であった。

温泉マークの北投青磺名湯
[浴場名は北投青磺名湯]

入浴料は120元。
瀧乃湯よりちょっと高い。
だいたい東京の銭湯と同じくらいの料金だ。
回数券や敬老パスのようなものもあるらしい。

北投青磺名湯の番台
[番台は銭湯風だけど改札口まである]

内部は脱衣室などなく、浴室の壁に棚があり、そこに脱いだ服を入れる形になっている。
洗い場にはシャワー、風呂イス、洗面器など一通りそろっているが、石鹸やシャンプーなどはない。
大きな浴槽が2つあり、超激熱と高温の2種類の湯がかけ流しになっている。
いずれも北投温泉の青湯でかなりの酸性。
超激熱は45℃±2となって、もし+2℃で47℃なんかで入浴したら火傷してしまうのではないかと心配になるが、デジタル式の温度計では44℃を示していた。
それでも、私など3分と入っていられないくらい熱い。
そして、浴槽の中でちょっとでも動くと、熱湯が痛い。
特に手の指先がビリビリと痛い。
むしろお腹や背中の皮膚の方が、熱湯に強いみたいで、痛みはそれほど感じない。
そんな熱湯風呂に、悠然と涼しい顔して長湯をしている人がいる。
きっと常連さんなのだろうが凄すぎる。
日本の我慢大会に出たら入賞確実だと思う。

もうひとつの、高温浴槽の湯温は43℃になっている。
これもかなり熱いが、この程度なら私でもなんとか入っていられる。
それにしても、44℃と43℃とは1℃しか違わないのに、皮膚感覚ではものすごく熱さが違って感じることに驚いてしまった。

ここの公衆浴場の良いところは、水風呂があることで真っ赤に茹で上がった身体を冷やすことができる。
また、浴槽の淵に腰かけてペットボトルの水を飲みながら、休憩していても文句は言われない。
入浴客は地元の商店主風の人が多く、高齢者も多い。

洗い場で石鹸を使ったが、酸性が強すぎるためかちっとも泡が立たない。
熱い湯に3分入っては、10分のびてを繰り返し、1時間少々を過ごした。

夜11時を過ぎているか、まだ地下鉄は走っており、行天宮あたりまで行き、そこから台北の夜道を散策しながら又一村へ向かう。
南崁は月夜だったが、台北では月が見えなかった。
曇っているのか、それともビルの陰にでも隠れてしまっているのだろうか。

午前1時過ぎ、又一村で水餃子を一皿食べる。
茹でたてではなく、少し冷めかかっているのが残念。
見ていると、注文を受ける前から水餃子を茹でて、茹で上がったら大皿に上げて注文を待っている。
お客の多い時間帯なら、回転が良いからそれでも茹でたてと変わらないだろうが、深夜だと客も途切れがち、注文を受けてから茹でてもよさそうなのに、ちょっと残念。

深夜の又一村
[深夜の又一村]

店の中には台北在住と思しき日本人男性数人がテーブルを囲んで、ビールなど飲みながら小菜を突いている。
既にだいぶ出来上がっている様子。
20個入りの冷凍水餃子(90元)を2袋買い求め、台北駅の空港リムジンバス乗り場まで歩く。

リムジンバス乗り場に空港行バスは止まっていたが、切符売り場は見当たらない。
バスには現金乗車はできないそうで、しかもこのバスにはスマートパスの読み取り機が付いておらず、悠々カードも使えない。
バスの運転手に「どうしたらよいか」と質問したら、「三重バス停の切符売り場で売ってるからそこで買えば良い」と言う。
三重と言ったら、台北から川を渡った隣り町ではないか、そこまでどうやって行けというのかと思ったら、そこまでこのバスに乗って行き、三重に着いたら切符を買えということらしい。

空港には午前3時に到着。
ラウンジは朝5時半まで閉まっているので、それまで適当に搭乗待合室にある寝そべることができるイスで仮眠を取ることにした。
気持ちよく眠りに落ちたと思ったら、まだ午前4時過ぎと言うのに周辺が騒がしくなった。
どうやら朝一番のマニラ行き搭乗待合室で寝ていたようで、気が付いたらフィリピンの人たちがたくさんいる。
きっと台湾へ出稼ぎに来ていて、これから故郷へ帰るところだから、みんなはしゃいでいるのだろう。

台湾粥の朝食
[台北のラウンジでもお粥の朝食]

5時半を待って、中華航空のラウンジに入る。
食べ物は朝食時間帯と言うことで、朝食メニュー中心にそろっていた。
しかし、朝食だからかビール以外のアルコール類は用意されていないようだった。
シャンパンブレックファストとはいかなかったけれど、朝のビールと言うのは旨い。

バンコクへの機材もジャンボで、2階席のビジネスクラスシートに座らせてもらう。
旧式のシートだからか、フルフラットにはならないけれど、足は延ばせるし、背もたれも深く倒れるので、昨晩の寝不足解消には好都合だ。

広々シート
[2階席はシートの前後間隔がとにかく広くて身長183cmの私には特にうれしい]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=64 |
| | 09:21 PM | comments (0) | trackback (0) |
伊豆下田温泉一泊旅行
12月11日 日曜日 ~ 12月12日 月曜日

一泊二日で妻と伊豆下田温泉へ行ってきた。
宿泊先は伊東ホテルチェーンの「はな岬」。
このホテル、以前は随分とお世話になったホテルで、仕事でもプライベートでも何度も利用させてもらった。
もっとも20年も前の話で、当時はなかなかいい温泉ホテルだった。

かつてのはな岬での夕食
[結婚直前の妻と母とで宿泊したときの夕食 当時は上げ膳据え膳だった]

確か夕食には女将御自慢のビーフシチューが出て、なんとなく磯料理中心のメニューにチグハグな感じもあったが、私は好きだった。

仕事ではドイツの自動車会社の社員旅行を受注手配させてもらった時、その自動車会社系列のバス以外使うことは好ましくないと指定されたことがある。
当時、東京都内にそのメーカーのバスは何台もなく、社員さん全員を乗せきれそうになかったし、値段の随分と高いことを言われた。
しかし、他社のバスは好ましくないなら、バスそのものを使わない方法を考えてみた。
JRに交渉して、団体専用の急行電車で車内の座席をすべてグリーン車のシートに交換したものを借りることができた。
臨時特急用のスケジュールも割り当ててもらった。
ただし、東海道線を走るので、8両編成で買い取りしなくてはならないとの条件を付けられたが、その分割引料金も出してもらった。
下田駅から宿までは、ぞろぞろと歩いてもらった。

ホテルの館内で羽毛布団の販売を始めたころから、なんとなく変な感じになってきて、疎遠になってしまっていた。
そして、伊東ホテルチェーンになっているということは、倒産でもしてしまったのだろう。

かつてのはな岬 外観
[平成3年3月のビデオから]

そして、なぜ今頃になって下田温泉へ行こうという気になったかと言うと、昭和初期の映画で上原謙さんがバス運転手役で主演した「有りがたうさん」を見たからで、映画の冒頭で下田の風景が出てくる。
その風景が20年以上前に何度か眺めた景色と重なり、郷愁を呼び起こした。
映画そのものも、昭和初期の不況で苦しい時代にありながら、軍国主義一色になる前の日本の良心が感じられてとてもよかった。

昭和初期の下田の風景
["有りがたうさん"からのキャプチャー]

現在の下田
[現在の下田温泉ホテルはな岬より見た河口側]

下田温泉までは伊東ホテルチェーンで用意してくれてる送迎バスを利用。
新宿の工学院大学前08:45集合とのことで早起きして向かう。
乗客の平均年齢が高い。
もっとも日曜日の泊りだから、勤め人は利用が難しいから、必然的に老人会的な乗客構成になるのだろう。
中に一組、2人だけ30歳前後の女性がいた。
バス車内でも大きな声でおしゃべりをしていたが、話している言葉は中国語であった。

多摩川を越えるあたりから正面に富士山が見えてきた。
小田原の休憩所に入った時には、箱根の山々を前山にして、半分雲に隠れた富士山を望めた。
今回の一泊旅行の目的地として下田温泉以外に、箱根の強羅も候補に挙げていた。
これも昭和初期の映画で、少女時代の高峰秀子が出てくる「虹立つ丘」を見て、舞台が強羅ホテルと言うものがあった。
強羅には小学生だったころ、何度か家族で来たことがあり、宿の近くの強羅駅で出入りする登山電車を飽きずに眺めていた記憶がある。
そこで「強羅ホテルもありかな」と思っていたら、こちらは倒産どころか、建物自体がとっくに取り壊されて、この世から消えていた。

小田原から真鶴、熱海を過ぎて、伊豆半島の東海岸線沿いに南下する。
稲取あたりからは大島も見えてくる。
大島にも妻と一緒に調布飛行場から小さなプロペラ機に乗って行ったことがある。
港に近い小さな古い旅館で、"明日葉"の天ぷらを食べさせてもらった。

ホテルはな岬には午後2時に到着。
まだお風呂には入れないとのことだが、部屋には入ることができた。
伊東ホテルチェーンのお定まりで、部屋には既に布団が敷かれている。
部屋の清掃はされているが、補修までは手が回っていないようで、壁のシミや家具の傷が目立ち、かなり老朽化している。
それとトイレの掃除が不十分なのかちょっとおしっこ臭かった。
思い出の旅館だけれど、思い出とともに確実に時間が流れ去っていることを実感した。

お風呂は3時すぎからと言うことなので、下田の街を散歩してみる。
宿の周辺ではアロエの花があちこちで咲いていた。
バンコクでもアロエなどどこにでも生えているが、赤い花を咲かしている姿は記憶にない。

アロエの赤い花
[アロエの赤い花 後ろは現在のホテルはな岬]

下田の街は、しっとりとして落ち着きのあるいい街並みだった。
蔵造の建物も多く、古い建物を利用したカフェがあったり、ただ古いだけの民家であったり。
足湯もあちこちに用意されている。
「牛乳あんパン」と書かれたパン屋があり、覗いてみる。
牛乳あんパンと言うものの断面図があり、アンコの上にクリームが載っているらしい。
妻が欲しがり、牛乳あんパンと大粒栗入りアンパンを購入。
普通のアンパンが、今いくらするのかわからないけど、2つで500円くらいだった。

街中のあちこちに空色や白の風車がたくさん飾られていた。
それもたくさんの小さな風車を壁や柱などに付けている。
下田は風車の街なのだろうか。

また、生垣にブーゲンビリアを植えているところも多かった。
日本でもブーゲンビリアが育つとは知らなかった。
下田はそれだけ温暖な土地と言うことなのだろう。
しかし、タイでいつも見ているブーゲンビリアと比べると、緑の葉っぱや紫の花(葉)も、なんだか椿のように寒さに震えているような感じがする。

下田のブーゲンビリア
[ブーゲンビリア ここにも足湯の設備があった]

ペリーロードと言う小川沿いの道に出る。
黒船のペリーの名前を付けた遊歩道のような道なのだが、両脇の建物は随分と古い建物で、大正時代にタイムスリップしたような感じがする。
民家もあるが、カフェなどに改装されている建物もある。
ここは観光地らしく、自撮り棒を付けた携帯電話で写真を撮っている人が何組も見られた。
台湾人のカップルらしい観光客もいた。

ペリーロードの小川
[ペリーロードの小川]

小川沿いには古い建物だけではなく、柳の並木が情緒を一層盛り上げている。
歩道にはベンチもあって、ちょっと一休み。
妻ももの雰囲気が気に入ったようで、携帯電話でパチパチと写真を撮っていた。

柳並木
[小川沿いの柳並木]

クロネコの看板
["パスタと雑貨"看板にはクロネコの後ろ姿]

民家の2階ベランダからは柴犬だろうか、犬が顔を出していた。
前足をチョコンと揃えたりして、ポーズもなかなか決まっている。

アイドル犬
[2階から顔を出してるの犬]

犬に気づいた観光客は足を止めて、何組かが「可愛い」「かわいい」と言いながら写真を撮っていた。
犬もちょっとしたアイドル気取りなのだろうか。

犬の写真を撮る人たち
[犬の写真を撮る人たち]

ペリーロードから宿まで、ひざの関節が痛むという妻をおんぶしたりしながら、たくさんの漁船が係留されている河口沿いを歩く。
"有りがたうさん"のバスの発着場所はこんな感じのところだったのではないかと思いめぐらしていたら、「伊豆の踊子別れの汽船のりば跡」と言う看板があった。
"伊豆の踊子"の作者は川端康成だったし、"有りがたうさん"の原作も川端康成だった。

宿に戻って、温泉に浸かる。
少しぬるいくらいに感じるが、露天風呂にのんびりと入っているには好都合。
陰っていく太陽光線で裏山が少しずつ色を変えていくのをじっくりと眺めていることができた。
お風呂も補修が手薄気味なのが少し残念。
20年前と比べて、宿泊料金が半額以下になっているのはうれしいけれど、このまま補修を施さずにいると、やがては修繕不能になって、本当に廃業することになるのではないかと心配になる。

が、1泊2食付きが8,000円ほどで、飲み放題付きは魅力で、そのお楽しみのバイキングの夕食時間となる。
宿泊客の入りは半分くらいなのだろうか、正直なところ大した料理は並んでいないが、バンコクに暮らす私としては、どれもこれも美味しそうに見えて、ついついあれもこれもと手を伸ばしてしまう。
ちょっと小さく刻みすぎと思えるお刺身もあるし、郷土料理風の鍋もある。
それから地酒も何種類か用意されてて、大変ハッピー、上機嫌になる。
しかし、以前なら酩酊するくらいお酒を飲んだものだが、どうも最近はホロ酔い程度までしか飲めなくなった。
食べる方も、以前のようなバカ喰いができなくなっている。
でも、けっこう食べましたよ。
ひとしきりバイキングの料理を妻加太最後には、かつて女将御自慢のビーフシチューはなかったけれど、シェフ自慢のカレーライスまで食べてしまった。

夕食後にもう一度お風呂に浸かる。
今度は月を眺めながらの露天風呂。
もう何日かしたら満月になりそうな明るい月夜だ。

風呂の入り口の額に漢詩が書かれていた。
李白の"山中与幽人対酌"のようだ。
高校生の時の漢文で習った記憶があるし、中国・安徽省馬鞍山の詩吟大会ツアーへ同行して行ったときにもなんども接している。

李白の漢詩
[風呂場の入り口に飾られた李白の"山中与幽人対酌"]

しかし、漢字で書かれた漢文を眺めて、少し文字の意味がわからないところがある。
ちょうど、その風呂の入り口に「東洋整体・マッサージコーナー」があり、整体師の女性が暇そうに座っていた。
たぶん中国の方だろうと思って声をかけたら正解で、早速意味の分からない部分を質問させてもらった。
「卿」と言うのは"あなた"と言う意味だそうだ。
なるほど、なるほどと、ちょっと声を出して漢詩を読んでみる。
整体師さんに中国語の発音をところどころ直してもらったりするが、しかしどうにも出だしのところがおかしい。
両人対山花開
一杯一杯復一杯
我酔欲眠卿且去
明朝有意抱琴来
七言絶句のはずなのに、最初の部分が6文字しかない。
"両人対酌"の酌が抜けている。

<hr>

翌朝、夜明け前に目を覚まし、そっと布団から抜け出して温泉に入りに行く。
早朝ではあるが、宿泊者に年配者が多いからか、浴場には先客が何人も来ていた。
小グループで来ている入浴者もあり、温泉に浸かりながら、ゴルフの話題で盛り上がっていた。

露天風呂に浸かり名から、日の出を待つ。
空の色が濃い紫から、だんだん明るい色に変わっていく。
もうだいぶ明るくなってしまっても、なかなかお日様は顔を見せてくれない。
さらにしばらく待つと海上からの日の出ではなく、入り江の先の岬のようなところから太陽は昇って来た。
「妻の足が早く良くなりますように」とお日様に願をかける。
部屋に戻ると妻も目を覚ましていた。

部屋からの眺め
[部屋の窓から朝の静かな海が見えるというのは気分の良いものだ]

朝食もバイキング。
朝食にも小さく刻まれたお刺身が出ていた。
小鯵の干物もあるし、ワサビ漬けもある。
お粥もあればお茶漬けもある。
炭水化物の大好きな私としては、大変満足のできる内容だ。

朝食後、宿の前の魚河岸を覗いてみる。
ちょうど入港した漁船から赤くて目の大きな魚の入った氷詰めケースを降ろしている。
どうやら金目鯛らしい。
大きくて立派な金目鯛だ。
ホテルでも1000円の追加代金で金目鯛の煮物が注文できるが、この河岸の金目鯛とは比べものにならないくらい小さかった。

金目鯛
[大きな金目鯛]

温泉に入り、11時過ぎにチェックアウト。
帰りのバスは午後2時集合とのことだったので、昨日行ったペリーロードまで散歩に出る。
ペリーロードの突き当りには庭のきれいなお寺があった。

了仙寺
[了仙寺]

ペリーロードには雰囲気の店が多い。
観光客目当ての店であっても、派手だったり、やたらゴチャゴチャと土産物を並べたりせず、散策には最適だ。
会社のタイ人スタッフを連れてきてあげたら、きっと感動するのではないだろうか。
壁にブーゲンビリアが這っているスナックがあり、店の入り口には足湯(手湯かな)の桶を置いていた。
しかも、お金を取るわけでもないのに、桶の横の棚にはハンドタオルが用意されていた。

ペリーロードのスナック
[入り口横に温泉桶があるスナック]

お昼時だけど、朝ごはんを食べすぎたのでおなかも空いていない。
古い建物の、こちらはちっとも改装していない、やたらと古い雑貨屋の店先にミカンがビニール袋に詰められて売られていた。
一袋300円也で、かなり高齢のお婆さんが店番をしていた。
ちょっと耳が遠いようだったが、帰りのバスの中ででも食べようと思いミカンを一袋買う。

もっとたくさん時間があればカフェにでも入ってのんびりしたいところだった。

寒そうなネコ
[黄色い壁のカフェの前にいたネコ 寒そうにしていた]

午後2時に帰りのバスに乗り込む。
来る時と同じ運転席のすぐ後ろの席であったが、来る時とはバスの車種が違うのか少し狭いシートだった。

東名高速道路で事故渋滞に巻き込まれ、新宿に着いたのは夜7時半を回っていた。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=63 |
| | 09:40 PM | comments (0) | trackback (0) |
ラビットな小春日
12月10日 土曜日

朝ごはんを食べてから自転車で小平霊園までお墓参り。
銀杏の木も葉っぱを落としているものが多い。
東京では二週間前に11月としては観測史上最も早い積雪があったそうで、ここ多摩地区ではけっこ積もったりしたらしいから、そのときに木々は葉を落としたのだろう。
風が少し強く、バンコクから持ってきた毛糸のチョッキを着ただけでは寒すぎるので、長男のジャンパーを借りる。

お墓参りと言っても、線香や花を持って行くわけではなく、ただ墓の前で手を合わせてくるだけのことなのですぐ終わってしまう。
帰り道で日曜大工センターへ立ち寄って木ネジを買う。
この木ネジでバンコクで作ってきたラビットスクーターのシートを本体に固定するつもり。

お昼近くなってきて、風も弱まり、日差しが温かくなってきた。
小春日和のようだ。
屋外での作業には好都合。
駐輪指定場所にボロボロのカバーをかけて止めておいたラビットスクーターを引っ張り出し、日当たりのよい場所でシートの取り付け作業を行う。

ラビットシート1
[木ネジを刺す場所にキリで穴をあける]

ラビットシート2
[木ネジでシートを固定]

フロントシート取りつけは簡単に終わった。
燃料キャップのデッパリも丸く開けた穴にうまく入るようだ。
しかし、手入れをしていないので、あちこち錆びだらけ。
外見でこんな状態だと、シャーシもかなり傷んでいることだろう。
もともと昭和42年製造のスクーターだから、来年で50歳と言うことになる。
日本に本帰国することになったら、徹底的に補修を施してやりたい。

ラビットシート3
[フロントシート装着完了]

続いてリヤシートも木ネジ4本で車体に固定する。
適当に穴をあけてくっつけたために、なんだか少し歪んでいるようにも見える。

ラビットシート4
[リアシートも装着完了]

このシート取りつけ作業に1時間とはかからなかったはずだが、日向で作業していたはずが、作業が終わったら日陰になってしまっていた。
冬の東京はお日様の動きが随分と早いようだ。

シートが新しくなると、やっぱりうれしい。
さっそく近所をラビットスクーターに乗って走り回ってみる。
エンジンもセルではかからなかったけれど、キックでは一発で始動。
はじめは白煙をモクモクと吐いていたが、すぐに煙も少なくなり、快調に走れるようになった。
昔のスクーターは未舗装の道路を想定して作られているからか、サスペンションが柔らかく、乗り心地が良い。
バンコクで乗っているNSRと言うスポーツタイプのバイクとは全く別物のような乗り心地で、フワフワのんびりとどこまででも走っていきたくなる。

ラビットシート5
[いつか徹底的に補修してやりたい]

昼食時間を過ぎていたので吉野家に立ち寄って牛丼をいただく。
バンコクにも牛丼チェーンが日本から進出しているが、私はバンコクでは牛丼を食べたことがない。
それにもともと牛丼が好きと言うわけでもなく、日本では最も安いランチでコストパフォーマンスから選ぶと牛丼になるというだけのことで、バンコクではその理論は成り立たない。

吉野家の店内には、若い中国人の母子一組以外は、老人たちばかりであった。
都内の店ならサラリーマンも多いのだろうが、ここ多摩地区では背広姿は見かけない。
そして牛丼を食べているのは私だけで、あとの人たちはみんな「牛すき鍋定食」と言うのを食べている。
固形燃料で鉄鍋を温めていたりして、牛丼のプロセスと比べると随分と手間のかかりそうなメニュー。
食べた後の洗い場も手間がかかるだろう。

夕方前、妻と商店街へ買い物に出る。
酒屋さんでビールと地酒を一本ずつ買ったら福引の補助券7枚をもらった。
補助券10枚で、福引が一回できるそうだが、福引セールは明後日までとのことで、必要なあと3枚の補助券をそれまでに入手するすべがないので、せっかくだけど補助券はお返しした。
ここの商店街もかつてはとても活気があって、近隣から自転車でやってくる人たちで夕方など歩くのも大変なくらいだったが、今は買い物客もまばらでシャッターを閉じている店も多い。

夕食前に自転車で銭湯へ行く。
自転車でも15分くらいの距離にある銭湯だが、土曜日と言うこともあって、入浴客の入りは悪くないようだ。
ほとんどの入浴客は近所の常連さんで、みんな顔見知りのようだ。
背中一面に入れ墨を彫った男性も来ている。
サウナで交わされているおしゃべりは競輪や競馬の話題が多いようだ。
銭湯に来る人は競輪や競馬好きな人が多いのだろうか?
ゴルフや仕事の話などをしている人はいない。

20年ほど前、私は有楽町に勤務していた。
営業に行くと言って外出し、仕事をさぼって銀座の銭湯へ行ってたことが何度かある。
今でも銀座に銭湯があるのかどうか知らないが、当時の銀座の銭湯の入浴客は板前さんが多かったようだ。
そして、やはり競馬や競輪の話をしている人が多かった記憶がある。

第二喜多乃湯
[市内に残る銭湯 第二喜多乃湯]

この銭湯にラジオ公開放送のキャラバンが12月13日に来ると貼り紙があった。
見てみると毒蝮三太夫さんの「ミュージックプレゼント」というコーナーのキャラバンらしい。
私も中学生のころに聞いていた記憶があるから、40年以上の長寿番組だ。
毒蝮さんが下町の商店などから公開放送をするのだが、集まってきた近所の主婦相手に毒舌トークをしていた記憶がある。
「憎らしいババァだね、さっさとくたばれ」と言ってみたり、
「じゃ、ちょっとおっぱい触りましょかね」などとやっていた。
いまでもこの調子なのだろうか、公開放送を見に来てみたいが、13日はもう日本を離れる日なので残念だ、。

ミュージックプレゼント
[マムちゃんがやって来る]

毒蝮さんといったら、この長寿番組もそうだが、中学生時代からキャンディーズが大好きだった私としては、土曜日の夜のヤングタウン・トーキョーの印象が強い。小島一慶さんと司会進行をしていたけれど、どうしてこの手の番組に毒蝮さんなのだろうかとチグハグな感じがしていた。
後任の鈴木ヒロミツさんとは対照的だった。
そうそう、ウルトラマンやウルトラセブンにも本名「石井伊吉(いよし)」の名前で地球防衛隊(?)の隊員として出演していた。

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=62 |
| 日常 | 07:04 PM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑