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台湾中央山脈越え 前編
5月11日水曜日
これから台湾へ遊びに出かける。
今回の旅行ルートは、台湾到着後、台中、埔里を経由して蘆山温泉に宿泊。
翌日、翠峰、大禹嶺を途中の徒歩行程を含めて花蓮まで進んで宿泊。
最後は東海岸線沿いに台東へ、さらに高雄経由で夜行列車で空港へといったものを予定している。

ここ数日、今回利用する午前3時過ぎにドンムアン空港を出発する飛行機に乗るために、どのようにしてドンムアン空港へ行くべきかと悩んでいた。
我がアパートからだとドンムアン空港へ行くのはかなり不便。
もちろんタクシーに乗ってしまえば面倒などないのだが、せっかく格安の飛行機の切符を取って、タクシーなんかにお金を使うのは気が引ける。
ケチな根性を出して路線バスを乗り継いでいこうとも考えたが、Webで調べてみたら、アパート近くを走る路線バスは夜10時が最終らしい。
悩んだ挙句に、考えついたのは、いったんスワナプーム空港まで行き、そこから空港間連絡バスに乗るというプラン。
連絡バスの最終便が午前0時なのも好都合。

ネコは留守番
[今回もネコは留守番です]

と言うことで、ギリギリまでネコとゴロゴロして、夜11時前にアパートを出る。
スワナプーム空港までならエアポートリンクですぐだから余裕たっぷりのはずだった。
しかし、ラムカムヘンの駅でエアポートリンクの切符を買おうとしたら、販売機がすべて停止していた。
そうこうしているうちに一本乗り過ごしてしまった。
さらに15分後にやってきた電車は途中で故障して、しばらく立ち往生、挙句の果てはスワナプーム空港駅に到着してもホームドアが開かないというトラブル続き。
結局、ゆとりなどまったくなく、空港連絡バス乗り場(2階3番出口前)へ急ぐことになった。
このバスに乗るには、ドンムアン空港発の飛行機の切符を提示することになっているようで、プリントアウトした予約確認書を見せたら、チェック済みとしてスタンプを押された。
そのスタンプは「ドラえもん」のスタンプであった。

ドラえもんスタンプ
[航空券所持確認済みスタンプはドラえもん]

<hr>

5月12日木曜日
午前0時発の空港連絡バス最終便の乗客は私一人であった。
我がアパート前の高速道路を走り、45分でドンムアン空港到着。

ノックスクート チェックインカウンター
[ノックスクート台北行きのチェックインカウンター]

今回乗るのは昨年11月に利用した格安航空ノックスクート。
前回利用したときは、ガラガラだったけれど、今回はチェックインカウンターに長い列がとぐろを巻いていた。
行列すること45分。
ようやくチェックイン手続きの順番が回ってきた。
「なるべく楽な席にしてよ」とお願いしたら、「足元の広い通路席にしましたよ」とのこと。
さて、どんな席だろうか、前回と違って横になれるほどの空席があるとも思えない。

搭乗口前のベンチに座って、小さなビンに100ccほど詰めてきたタイウイスキーをチビチビやる。
チェックイン後にコンビニで買ったピーナッツもポリポリ。
この便が今夜の最終便らしく、次の出発便は早朝5時台。
そのためかエアコンを切っているようで、床に置かれた扇風機が回っている。
そしてアルコールも回ってきたのか、待合室は蒸し暑い。
いつもならもうとっくに寝ている時間なので、早く乗り込んで寝てしまいたい。

ドラえもんスタンプ
[タイウイスキーとピーナッツ]

午前3時にノックスクートXW182便に乗り込む。
チェックインカウンター氏は確かに良い席を用意してくれていた。
31Dと言うシートはドアのすぐ横で、前方は壁なので、足元が十分広い。
しかも4席並びのシートに私一人である。
搭乗率は80%くらいのようなのに、これはラッキーである。
欲を言えば、最前列の席はひじ掛けが固定されており、せっかく4席とも空いていても、横になることができない。

足元と広々
[足元広々いい座席をもらった]

台北までの飛行時間は3時間15分と機長アナウンスがある。
上手く行けば、朝8時の台中行きのバスに乗れるかもしれない。

離陸は予定時刻の3時半を回っていた。
「さぁ、眠ろう!」と思う。
横にはなれないが、斜めくらいにはなれる。
足も延ばせる。
でも、なかなか寝付けない。

「台北まであと300マイル、着陸態勢に入る」とのアナウンスがあって起こされる。
時刻は台湾時刻で7時、これは早く到着できるかなと、期待が湧く。
台北への着陸は7時45分。
雲が厚い。
着陸したのは良いが、再び機長アナウンス「ゲートの準備が整わないので、このまま20分ほど待機する」とのこと。
なんだ、やぱり8時のバスはダメかぁ、とあきらめたら、ものの数分でゲートへ向かって動き出した。

大急ぎてバス乗り場へ向かったが、タッチの差で台中行きのバスに乗り遅れてしまった。
次のバスは一時間後。
待ち時間を利用して台湾滞在中にネット接続するためのフリーWiFiスポットサービスのiTaiwanの設定をしようとする。
しかし、うまく設定できず案内カウンターの人に手伝ってもらう。
トイレに行ってしゃがむこともできた。
機内のトイレは2箇所が壊れていたので、しゃがむのは遠慮していたが、これですっきりした。

台中行きUバス
[台中行きUバス この時間帯は桃園空港から台中まで230元と割引対象]

9時5分に台中行きバスは出発。
足元も横幅も広いソファのような座席で座り心地が良い。
USBの電源もあるが、通電しておらず使い物にならない。
座席のポケットには車内でのWiFi接続方法の説明が入っていた。
手順通りにやってWiFi接続はできたのだが、通信は不安定でネットが途切れがち、バッテリーばかりが減っていくのでストレスがたまる。

車内WiFi利用説明書
[バス車内での無料WiFi利用説明書 しかし接続は不安定]

台中には11時15分に到着。
ここでも埔里行きのバスは出たばかりのようで、次のバスまで30分待ちのようだ。
待ち時間を利用して少し近くを歩いてみる。
宮原眼科と言う名の菓子店は前回同様に、平日の昼にもかかわらず繁盛している。
特にアイスクリーム売り場は行列ができて、オジサンおばさんたちまで路上でアイスクリームを舐めている。
この人たちはなんとなく中国大陸からの観光客のようにも見える。

台中駅前ロータリー
[台中駅前ロータリー]

路地には昔ながらの旅社がまだ何軒か残っていた。
宿泊料を書き出してあるところもあり、一泊300元代からあるようだ。
いずれも老朽化して、メンテナンスも良くなさそうだが、とにかく安い。
旅社の看板にはタイ語やベトナム語で書かれているものもあり、そうしたところは時間貸しの表記もある。

埔里行きバス時刻表
[埔里行きバス時刻表]

バスターミナルの時刻表には11時45分発と書かれていた埔里行きバスは11時55分に台中を出発した。
古い車体のバスだが、座席は3列シートのソファー仕様で座り心地は悪くない。
バスの中ではウトウトしたり、景色を眺めたり。
途中、国道6号線と言う高速道路を走ったが、料金所のようなものは見かけなかった。
見落としていただけかもしれないけれど、台中では市内バスも近距離は無料など、このあたりではこうした公共面での無料化が進んでるのかもしれない。

埔里には午後1時少し前に到着した。
次の蘆山温泉行きのバスは、1時発だから今度は上手い具合に乗り継ぎできそうだが、わざと一本見送ることにした。
まだ、台湾に来て食事をしていないので、埔里で昼食を食べておきたい。
炸醤麺が食べたいと思い、市場周辺を歩き回るが、見つけられない。
麻醤麺というゴマダレのモノならあちこちにあるのだが、気分は炸醤麺だから仕方がない。
しかし、そんな気分も「手工水餃子」の看板をみたら、「やっぱり台湾は餃子だな」と思えてきて、そのままその店に入ってしまった。
注文したのはニラの水餃子5個とキャベツの水餃子5個の計10個。
それに牛肉湯麺。
ところが「牛肉湯麺」と注文したら店の人が「牛肉はないよ」と言う。
ないなら仕方がないし、他のモノを注文する気にもならないので「なら要らない」と答えたところ、
「牛肉麺なら牛肉があるよ」と言う。
どうやら、品切れとかではなく、牛肉湯麺には牛肉が入っておらず、牛肉を食べたければ牛肉麺を注文しろと言っているらしい。
が、私は牛肉を食べたくないので「牛肉要らないから、牛肉湯麺を」と注文した。

水餃子は前回台北で食べた又一村の丸まっこい水餃子と異なり、ここのは三日月型に近い。
サイズは又一村より少し小さい感じだ。
台湾で水餃子を注文しておけば、まずどこへ行ってもハズレはない。
それにとても安い。
ここでも1個が4元。

水餃子と牛肉湯麺
[水餃子と牛肉湯麺 90元也]

1時40分のバスに乗る。
このバスは蘆山温泉へは行かず、途中の霧社から別方向へ行ってしまうのだが、それで構わない。
霧社へ行く途中の眉溪と言うところの天主堂バス停で降りてしまうつもりでいる。
30年前、この天主堂バス停近くに住む同世代の山地民青年(当時)に声をかけられ、そのまま彼の家に泊めてもらった。
彼のお父さんが教会関係の仕事をしており、仕事で日本へ行ったときに土産にバイクを買ってきてもらったと、バイクをとても自慢していた。
お父さんたちの世代は日本教育世代で、日本名は加藤だと言っていたように記憶する。
中国名は覚えていないし、顔も忘れてしまったが、なんだか当時の思い出が懐かしくて途中下車する気になった。

天主堂前バス停
[天主堂前バス停]

家々の表札には中国名と山地名の2つの名前が書かれているが、当然日本名はない。
坂道を登ったところに天主堂がそびえている。

天主堂
[集落の規模に比べて大きな天主堂]

バス通りに面した土間の家だった記憶があるが、似たような家は何軒もある。
そうした家の庭で食事をしている家族があり、私が通りかかったら会釈を受けた。
あるいはその人たちに聞けば彼のことが分かるかもしれないけれど、再会できたところでどうなるというものでもない。
私も会釈をして通り過ぎる。

天主堂バス停近くの民家
[こんな感じの土間の民家だったはず]

次の温泉行きバスまで1時間ほど時間があるので、眉渓から霧社の方向へ歩くことにする。
眉溪のすぐ先には「人止関」と言う急峻な崖に挟まれた峡谷があり、昔から平地と山地を分ける天然の要衝になっている。
いまでも道路は拡幅されて車が走れるようになっているが、道は崖に張り付くように、また落石防止のため大半がシェルターに覆われているような構造になっている。
この人止関の入り口近くに、姿の良い松が生えており、これには見覚えがある。

人止関入り口の松
[人止関入り口]

人止関の落石防止シェルター
[道は崖に食い込んでいるような作りで、シェルターがかぶさる]

午後3時近くまで歩き、仁愛橋と言うバス停でバス待つ。
昔はこの仁愛橋を渡った崖の巨大な岩肌に赤い大きな文字で「反攻大陸」と大きく書かれていた。
今では橋も架け替えられ、当時の国民党の反共スローガンは全く見られなくなった。

仁愛橋
[仁愛橋 この橋を渡ると仁愛郷に入る]

旧仁愛橋
[現在は使われていない古い方の橋]

仁愛橋バス停
[仁愛橋バス停 探偵社の広告だが、台湾では偵探となっている]

3時すぎに蘆山温泉行のバスに乗り込み、霧社から先は乗客は私一人だった。
蘆山温泉到着は3時40分。

蘆山温泉到着
[蘆山温泉入り口の吊り橋 平日なので閑散としている]

出発前にネットで調べていたら蘆山園大飯店と言う温泉宿が安そうだということが分かった。
30年前もこのホテルはあり、当時ここと天蘆大飯店にはプールがあって、山の子供たちとプールで遊んだ記憶がある。
当時は専ら碧華荘に泊まっていたので、宿泊したことはない。

蘆山温泉街のメインストリートで昼寝中のネコ
[蘆山温泉街のメインストリートで昼寝中のネコ]

ネット予約サイトのagodaにも登録されており、一番安い部屋で2000元ほどであったが、他のブログなどを見ると直接交渉して1500元で止まったというものもあった。
それに朝食と夕食が付く一泊二食付きの料金である。
私も1500~1600元くらいで泊まれればと思っていたが、実際ホテルのレセプションで値段を確認したら、交渉するまでもなく「食事付きで1200元」と言う。
これは超お得である。
一応「部屋を見てから決めたい」と言ったら、鍵を渡され「いまここは私一人しかいなくて外せないから、自分で行ってみてきてよ」と言われる。

蘆山園大飯店
[蘆山園大飯店]

部屋は広くはないが、さして狭くもない。内風呂も温泉だし、谷川に面した部屋で悪くない。
あまり大きくはないが、大浴場もあるし、昔の通りプールもある。
エアコンはないが、標高1000メートルを超える蘆山温泉ならエアコンなど必要ない。
窓を開ければ谷川からの涼しい風も入ってくる。

谷川に面した部屋
[谷川に面した部屋]

チェックインして散歩に出る。
まずは元の碧華荘へ。
立ち入り禁止のテープをくぐって、潜り込む。

碧華荘入り口は封鎖されている
[碧華荘入り口は封鎖されている]

昨年は南投県政府差し押さえみたいなことが書かれている警告書面を初めて見て何が起きたのだろうかとショックを受けたのだが、その後調べてみると、このあたりの地盤が弱く、温泉集落全体が山崩れによって埋まってしまう危険があり、温泉集落ごとの移転を県政府が命令しているらしい。
移転を了承した温泉宿は、営業を中止し、建物は県政府の管理下に置かれて廃墟然としているというところらしい。
iPhoneを懐中電灯代わりに、真っ暗な建物内へ進入。
オーナーの高さんたちの部屋は、まるで今でも高さんたち家族が住んでいるのではないかと思えるほど、生活感のある部屋のまんまだった。
壁には先代のピホワリス、オビンタダオ夫妻の大きく引き伸ばした写真が飾られ、本棚には日本の書籍や雑誌も置かれたままだ。
前回も発見したオビンさん(初子さん)が亡くなる直前に撮影された結婚式の写真も、玄関わきに打ち捨てられたままになっていた。

旧碧華荘全景
[旧碧華荘全景]

碧華荘横のマヘボ渓
[碧華荘横のマヘボ渓]

碧華荘をあとにマヘボ溪を渡って、裏山からマヘボ古戦場へ向かって坂道を歩く。
登っていくと眼下に蘆山温泉街が見えてくる。

蘆山温泉全景
[蘆山温泉全景]

この道は12年前にもチェンマイから引き上げる際に、台湾に立ち寄り、当時小学生の優泰と歩いた道である。
30年前には何もないところだったのに、キャンプ場ができていたり、史跡として整備されていたりと、随分と観光地化していたのに驚いたものだったが、今はキャンプ場なども営業していないようで、再び廃墟のようになり始めていた。

マヘボ古戦場近くにて
[マヘボ古戦場近くで原住民の家屋を再現したものだが、朽ち始めていた]

山から下りてきて、温泉入り口の吊り橋を渡ったところにある雑貨屋で紹興酒を買う。
180元也。

雑貨屋
[昔のままの雰囲気を残している雑貨屋]

昔も良くこの店でお酒を買った記憶がある。
確か当時紹興酒が一本105元で、学生の貧乏旅行には高くてなかなか買えず、70元の「米酒頭」と言う米焼酎を買っていた。
これがアルコール度数も高く、なかなか旨かった。
さらに安い赤いラベルの米酒もあった。
これは料理用の酒らしいのだが、山の人たちとよく飲んだ。
碧華荘の夕食でも鍋で烏骨鶏をこの米酒で煮て食べさせてくれた。
蒸発するアルコールに火が付くと、鍋の表面を青い炎が包んだ。

紹興酒は宿には置いてないそうなので、飲みたければ外で買えようにと言われていた。
つまり、持ち込みもOKと言うこととみなし、部屋のバスタブにお湯を張って、お燗を付ける。
夕食の晩酌が楽しみだ。

汗をかいたので、宿のプールでひと泳ぎする。
もともとは温泉プールのはずだったが、利用者がなく温泉も冷めてしまったようで、プールの水はとても冷たかったが火照った体には、この冷たい水が気持ちよかった。

冷たい温泉プール
[冷たい温泉プール]

鳥肌が立って、歯の根がガチガチ言い始めたころを見計らってそのまま大浴場へ向かう。
大浴場には先客が二人あり、二人とも水着を着用して入浴している。
浴室の壁には「裸湯、水着着用禁止」と書かれてあるのだが、台湾の人にとって丸裸で他人と一緒に風呂に入るのには抵抗を感じる人もまだ多いのだろう。
私が海水パンツを脱ぎ捨てて、湯船に浸かっていたら、「水着を着てるままでも構わないか?」と先客が聞いてきた。
もちろん、こちらは気にしないが、むしろ彼らの方が私の裸体など見せられて気分を悪くしないかと気になった。

大浴場
[少しぬるめだが、泉質は良い のんびり入浴するのに向いている]

ここの温泉のお湯は源泉で92℃の高温。
しかし、この大浴場の湯は、それほど熱くない。
熱くないどころか少しぬるいくらいだ。
長湯するにはちょうど良いのだろうが、私はどちらかと言うと熱い湯に我慢してはいるくらいが好きなので、ちょっと物足りない。
そういえばネットの書き込みにも「湯がぬるい」と言うものがあったことを思い出した。

ぬるい湯でも、ゆっくり浸かっていたのでまた汗をかく。
宿の前庭にパラソルが差しかけてあり、イスとテーブルもあるのでフロントで缶ビールを買って飲む。
湯上りに夕涼みがてら飲むビールは格別に美味しい。
もともと薄味の台湾ビールだが、スーッとさわやかに喉を流れ下って、あっという間に飲み干してしまった。

ホテルの前庭
[ホテルの前庭]

部屋に戻り、温泉で燗を付けておいた紹興酒もちょうどよい人肌になった。
それを持って夕食会場へ。
夕食の献立は、青菜の炒め物、三枚肉の煮込み、豆腐の詰め物、肉団子とタケノコの煮つけ、アヒルの燻製に蒲鉾の入ったスープ。
これらが一つのプレートに盛られている。
デザートにはオレンジが付き、ご飯は各自が炊飯器からよそるセルフサービス。

蘆山園大飯店の夕食
[豪華ではなく、素朴だけど味は良い蘆山園大飯店の夕食]

ネットのクチコミには「兵隊飯」「学食並」などと書いているものがあったが、味付けもいいし、ボリュームもある。
どうやら台湾の兵隊や学生たちは普段相当なグルメらしい。
他の人たちはグループで来ているので、中華らしく惣菜は大皿によそられ、とりわけながら食べているが。私はプレートでも一向にかまわない。
まぁ、なんとなく社員食堂みたいだけど、紹興酒を飲みながらいただけるので、大いに満足である。
それにタケノコの煮込みは昔もそうだったけれど、蘆山温泉のモノは特に美味しい。

紹興酒
[紹興酒といただくと味わいもまた格別]

夕食後、再び大浴場で入浴。
こんどは誰も入っていないのを良いことに洗い場でパンツをゴシゴシと洗ってしまう。

夜の温泉街メインストリート
[夜の温泉街メインストリート]

寝るにはまだ早いので、夜の温泉街を散歩する。
土産物屋で声をかけられ、粟酒(小米酒)の試飲を勧められる。
嫌いな口ではないので、3種類ほど飲ませていただき、さっきの紹興酒の酔いも手伝ってか、粟酒それぞれの批評までやらかしてしまったものだから、そのまま買わずに済ませることができなくなり、莫那魯道(モーナルーダオ)と言う銘柄のを一本買いこむことになる。
度数は8度で、白濁しており、少し甘酸っぱい。
こちら一本250元也。
ちょっと高い気もしたが、昔は山の人の部落で自家製の粟酒をよくごちそうになった。
酔ってくると、意気投合した者同士で、肩を組み、ほほを未着させ、一つの盃に酒を入れ、一緒に飲み干すという習慣があった。
男同士でやるので、ヒゲがジョリジョリとほほに当たった感覚を覚えている。
当時の粟酒はもっと濃厚な味で匂いもキツかったような気もする。
この土産物屋のおばあさんは少し日本語がわかり、日本語と中国語のチャンポンで話し込む。
碧華荘の高さんたちのことも覚えていた。
昔、碧華荘前の土産物屋で山の人が織った毛糸のガウンを買ったことがある。
ひょっとしたら、この店だったかもしれない。

モーナルーダオと言う名の粟酒(小米酒)
[モーナルーダオと言う名の粟酒(小米酒)]

部屋に戻ってもしばらく粟酒を舐め続けた。
明日はかなり歩く覚悟でいるのに、まだ紹興酒も残っているのに、粟酒まで買ってしまい、荷物が重くなってしまった。
バックパックではなく、肩掛けカバンでから、重いと方に負担が大きい。
頑張ってみたが、飲みきれず、結局ベッドに入った頃には夜11時になっていた。

蘆山園大飯店の犬たち
[蘆山園大飯店の犬たち]

番頭ネコ
[小さな旅館の入り口でお客様を待っているネコの番頭さん]

=>中編へ つづく





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プラチュアップキリカンでの週末
4月30日~5月1日にかけてプラチュアップキリカンへネコとドライブしてきました。
現在一番気に入っているタイの街がプラチュアップで、バンコクから300キロほどと距離的にもなんとか週末利用で往復できる距離にある。
それに変に観光地化していないけど、風光明媚で、街並みも良い。

本来ならば夜明けとともに出発したいと思っていた。
今日からタイは3連休で、渋滞が予想されるのだが、朝一番に出社しなくてはならない事情があって、ネコと同伴出社。
一時間ほどで解放されて、8時にはオフィスを出る。

バンコク市内は渋滞がなかったけれど、ラマ2世道路は交通量が多く、しばしば数珠つなぎのノロノロ運転となる。
連休なので行楽地へ向かう車が多い。
タイは車が増えたし、そして週末に行楽へ出かけられる人口も増えた。
ペッチャカセム通りに入っても、相変わらず交通量が多い。
太陽も高いところに昇ってきて、強烈な日差しで目がチカチカするし、ハンドル前のダッシュボードは目玉焼きができるのではないかと思うくらい熱くなっている。
エアコンがダメなわけではない。
吹き出し口からは涼しい風が出ているのに、車内の温度全体を下げるにはパワー不足のようだ。
チャアムやフアヒンを迂回するバイパスも道路工事区間があって渋滞。

渋滞するペットカセーム通り
[ゴールデンシャワーと鳳凰木]

プランブリ、クイブリと南下を続けて、午後1時にプラチュアップキリカンに入る。
まずは宿探し。
ネコと泊まれそうな宿は街道沿いにバンガロー式のモーテルがいくつもあるのは知っているが、市街から離れた街道沿いより市内に近いところに宿を取りたい。
しかし、市内だとバンガロー風の宿は期待できない。
安い宿だと旅社かゲストハウス、駐車場があって、ネコと泊まれるかは期待薄。

鉄道線路を越えて数百メートルほどのところに手頃なリゾートと名の付くモーテルを発見。
バンガローと言うより、テント小屋のような形をしている。
値段も400バーツと手頃。
エアコンも温水シャワーもある。
建物の構造上、天井が斜めに下がってきているので、壁際へ寄ると頭や肩がぶつかってしまう。

テント型の小屋

室内はまるで屋根裏部屋
[ベッドの上にはバスタオルのスワン]

ランチには前回来た時に食べて感動したピザをまた食べようと思っていたのだが、そのイタリアレストランへ行ったら営業していなかった。
しかたなくそのままマナオベイへ向かい、ビーチパラソルが差しかけてあるデッキチェアーを借りて、そこでランチにすることにした。
タイのビーチには、こうしたデッキチェアーを並べて食事をさせるところが多い。
ここマナオベイではデッキチェアーの使用料は10バーツと格安であった。

注文した料理はソムタムとイカのバジル炒め載せライス。
タイの人たちがビーチで食べたくなる人気料理はソムタムとガイヤーンのようだ。
どこのビーチに行っても、ほとんどの人がこれらイサーン料理を食べている。
しかし、タイ東北部のイサーン地方には海などないはずなのに、どうして海辺ではイサーン料理と言うのが定着したのだろうか?
会社のタイ人スタッフに質問したことがあるが、納得できる回答は得られなかった。
彼女たちの見解だと、「海辺で食べると美味しいから」と言うのが共通意見だった。

ビーチでのランチ
[ソムタムとイカのバジル炒めライス、席料コミデ80バーツ也]

私が海で泳いでいる間、ネコはパラソルの下に置いたカゴの中に入れて、留守番係。
自由に砂浜を散歩させてあげたい気もするが、ビーチでは食べ残しの料理を得ようと犬たちもウロウロしているので、ネコを自由にさせておくわけにはいかない。
私が海から上がっている間だけケージから出してやる。
しかし、リードは付けたままで遠くへは行けない。

メタボ
[メタボ気味の腹もネコにとってはクッション]

午前中はとてつもなく強い日差しに閉口したが、午後になったら空一面が雲に覆われてしまった。
また、干潮時刻と重なり、泳ぐためには随分と砂浜を歩かなくてはならない。
そうしてたどり着いた海も、今一つ透明感がない。
去年は雨季の最中に来たような気がするが、海水は透明度が高く、サンゴや魚がたくさん見れたのに、今日はまるでだめだ。
なんだかちょっとがっかり。

宿に戻って一休みしてから、プラチュアップの海岸通りに出た。
プラチュアップの気に入っているところの一つとして、海岸線に並行して道路があり、タイの他のビーチのようにホテルが立て込んで、ビーチへ自由に出入りできない環境ではないことだ。
2キロくらいある長い海岸線に沿って通りはあり、中央部分に沖へ突き出した桟橋が伸びている。
夕刻だからなのか、道路とビーチの間の遊歩道のようなところに屋店街が出現している。
衣類や雑貨を売るテントや、料理の屋台など、、

車をガラス山の麓にある駐車場に止める。
駐車場周辺にはたくさんのサルたちが「誰かエサをくれないものか」とモノほしそうな顔をしてたむろしている。
ネコを入れたカゴをぶら下げて夜店の並ぶ海岸を歩く。
昨年の段階で体重が6キロを越えているネコなので、こうして手にぶら下げて歩くと随分と重い。

ビーチ沿いに夜店が並ぶ

プラチュアップキリカンの街のビーチもなかなか良さそうなのだけれど、泳いでいる人を見かけない。
もう日没だからなのだろうか?
マナオベイのようにパラソルやデッキチェアも見かけない。
しかし、小さな漁船はたくさん沖に係留されている。

夕方のビーチ
[ネコと夕闇が迫る海岸]

なんだか、スコールでも来そうな空模様になってきた。
ガラス山の向こう側では稲妻が光ったりしている。
せっかく店開きをした衣類を売るテントも「雨に濡れたら一大事」とばかりに、大急ぎで店じまいの準備を始めている。

ビーチにならぶ夜店の明かり
[海岸中央の桟橋からガラス山方向、夜店の明かりが延びている]

桟橋周辺は食べ物の屋台が多い。
観光客もいるが、地元の人が中心で、食べ物の金額もローカルプライス。
イカを焼いたり、貝を茹でたり、屋台街ではあるが、椅子テーブルを用意しているところは少なく、歩きながらの立ち食いか、お持ち帰りスタイルが多いようだ。
カバブの屋台があったので、カバブを一つもらうことにした。
私の働く会社の少し先にナナと言う中東系の人が多く集まるエリアがあり、そこでは盛大にカバブが焼かれているが、それと比べるとミニサイズのカバブである。
削ぎ取った肉に、野菜とタレを混ぜ、小麦粉の生地で包んで出来上がり。
35バーツで、まずまずのボリューム。
桟橋に腰かけ、海岸線を眺めながら、こんなカバブと一緒にビールでも飲んだら最高だろうなぁと思ったが、そんなことをしている人は誰もいない。

カバブ
[カバブ、なかなか旨いです]

しかし、雨が降り出してきた。
スコールのようだ。
大急ぎで車に戻り、昼に営業していなかったイタリアンレストランへ行く。
こんどはちゃんと営業しており、既に先客が何組かテーブルを囲んでいた。
注文したのは「マルガリータピザ」。
いつもなら絶対にビールを飲むところだが、車なのでビールは諦めてコーラを注文する。
細身の缶コーラからグラスに黒い液体をシュワシュワと注ぎ入れると、なんだか情けないような気持ちになってくる。
缶コーラは缶のままで飲むべきなのだろう。
それにレストランでは、瓶入りのコーラで出してほしい。
内容量は少なくなるが、レギュラーサイズのコーラは他の缶コーラなどより美味しく感じる。

マルガリータピザ
[マルガリータピザとコーラ]

薄い生地がパリパリで、ピザは前回同様に美味しかった。
スキンヘッドのご主人は不在のようで、ピザの窯の前にはタイ人の奥さんが立って火の加減を見ていた。
店内の客も、土曜日の夜だし、西洋人たちが集まってワイワイやっているのだろうと想像していたが、西洋人はタイの若い女性とのカップルだけで、あとはなんだか中国人グループのように見えた。

宿への帰り道、CJと言うコンビニで缶ビールとホントーンと言うスピリッツを買う。
缶ビールはシンハなのだが、冷蔵庫前の値段を確認すると、シンハ34バーツ、リオ34バーツ、チャーン37バーツとなっている。
いったいいつからシンハはチャーンより安くなったのだろうか?

宿の部屋には窓がない。そのため夜寝るときに、エアコンを弱めにして使ったのだが、それでも私には涼しすぎるようで、肌掛けをかぶって寝た。
夜中に、ネコもエアコンが寒いのか、私のかぶっている肌掛けの中に潜り込んできた。

<hr>

ダンタワンリゾート
[宿の名前はダーンタワン]

鯉のぼり
[よく見るとなぜか鯉のぼり、もうじき子供の日だからか?]

駐車場の黒猫
[宿の駐車場で黒猫を発見]

翌朝、目を覚ますと同時に宿を飛び出してジョギングに出る。
宿の前の通りをまっすぐ右に1キロ少々走ると、海が見えてくる。
海岸線まででたら、ビーチ沿いに桟橋まで走る。

横道の奥に海
[こんな街角からの眺めもプラチュアップの魅力]

朝の海岸
[朝の海岸]

プラチュアップキリカンの家並はまだまだ木造の町屋が多い。
それも朽ち果てたような木造家屋ではなく、ちゃんと手入れされているので、街に落ち着きを感じさせる。

木造の家並み

帰り道で朝食用にパートンコーを買う。
ここのパートンコーはちょっと変わっていて、中国風に細長い油條にそっくりなのがある。
普通のパートンコーはひとつ1バーツで、長くて大きいのは2つで5バーツだそうだ。
中国系の人口の多いバンコクで見かけずに、プラチュアップキリカンでは油條があるなど不思議だが、なんとなくビルマ(ミャンマー)の国境が近いからのような気もする。
去年ビルマ(ミャンマー)へ行ったときに、やはり中国式に長い油條を朝食に食べた。
このプラチュアップから車で30分も走ればビルマ国境である。
しかし、私がビルマで食べた油條は油切れが悪く、ベタ付いていたが、ここのはパリッと軽く揚がっていた。

パートンコー
[プラチュアップのパートンコー]

宿の近くに踏切のそばに国境行の乗り合いバンの発着所があった。
国境行だからであろうか、ビルマ語でも書かれている。

国境行き乗り合いバン乗り場
[国境行は2時間に1本の運行のようだ]

この国境行乗り場の隣に、水着や衣類などを売る店があったのだが、その店の前のマネキンがわかっていた。
水着は下しか着用しておらず、上はトップレス。
しかもベンチに背を丸めて座っているのもある。
ふつう、マネキンたちは背筋を伸ばして、モデル然としているのに、、、
こんな姿で、購買意欲をそそるものなのだろうか?
もっとも、人目を惹くことは確かかもしれない。

トップレスのマネキン
[トップレスのマネキンたち]

午前中にマナオベイへ行き、ひと泳ぎする。
今日は良く晴れているので、海の中も明るくて、良く見えるのではないかと期待してしまう。

マナオビーチのモニュメント
[マナオベイのモニュメント]

ビーチにはたくさんの海水浴客が来ている。
デッキチェアやパラソルももう先客で埋まってしまっているようだ。
ここに来ているタイの人たちは、ほとんど水着を着用していない。
みんな短パンにTシャツのままで海に入っている。
ここは軍の施設だから、肌を露出してはいけないというルールがあるのだろうか?
前回サッタヒープへ会社のスタッフたちと遊びに行った際に、「水着で泳いではいけない」と憲兵に警告を受けた。
それまでサッタヒープがすごく気に入っていたのに、シャツを着なくては泳げないことを知って、魅力がうせてしまった。
ここでも水着で泳いでいる人はいないが、監視している憲兵もいないようだ。

マナオビーチ
[マナオベイビーチ]

日差しが強いので海の中は明るかったが、透明度はそれほど高くない。
視界は1メートル程度、そのため海中は良く見えない。
海底の砂の色なのだろうが、潜ってもベージュ色の世界が広がっているだけだ。

とりあえず、泳ぐことだけでも楽しもうと、遠浅の浜から沖へ進んで泳ぐ。
泳いでいると、すぐ目の前を何匹もの魚が並行して泳いだり、横切ったりする。
手を延ばせば届くくらいのところに魚がいるのだが、捕まえようとすると俊敏に逃げてしまう。
魚を追いかけまわしたりして、しばらく遊んでいたら、肩から背中にかけてヒリヒリしてきた。
どうも強烈な日差しで日焼けをし始めているようだ。

昼には海から上がり、5バーツを払ってシャワーを浴びて、撤収することにする。
プラチュアップキリカンの町に戻り、昼食場所を探す。

ビーチロード
[プラチュアップキリカン市内のビーチロード]

強烈な日差しの下、プラチュアップの街はまるで午睡に時間に入ってしまったかのように静かだ。
朝ジョギングしたときには営業していた中華まんの店も閉まっている。
ワンタン麺が食べたいとしばらく街中を流しながら探したが、それらしい店は見つけられず、ありきたりの食堂に入る。

カーウパットミアノイ
[本日のメニュー]

本日のメニューと言うのが掲示されていて、タイ文字を一文字ずつ確認しながら読んでみて、首を傾げた。
メニューのトップに書かれている料理は「カーウパット・ミアノーイ」とある。
カーウパットはチャーハンのこと、でミアノーイとは「お妾さん」のことである。
「お妾さんチャーハン」とはいったいどんなものなのだろうか?
お妾さんから受けるイメージに「料理上手」というものを私は持ち合わせていない。
さては、本妻の怨念のこもったチャーハンだろうか、、
店主にこれは何かと質問したら、具だくさんのチャーハンとのこと。

お妾さんチャーハン
[これがお妾さんチャーハン]

豚肉の揚げたものが載せられてあり、カシューナッツと唐辛子の刻んだものが添えてある。
うーん、スタミナは付きそうだ。
たしかにお妾さんのところへ行く前に食べるのにちょうど良さそうだと勝手に納得する。
味の方も悪くなかった。

この食堂でもネコを飼っていた。
店の主人は先日飼っていた金色のネコが家出して帰ってこないんだと嘆いていた。
ネコの家出を嘆くのは世界共通のようだ。
子猫の時から育てて、6か月目だったそうである。
家出ネコ以外にも、犬やネコを飼っているらしく、奥から一匹のネコを連れてきた。

食堂のネコ
[カゴの中で目を光らせているのがウチのネコ]

午後2時にプラチュアップキリカンを出発。
国道の脇でパイナップルの切り売りを買う。
20バーツで、ちょっと高い気もしたが、以前プラチュアップで食べたパイナップルがものすごくおいしかったので、今回も期待したのだが、残念ながら味はバンコクのモノと変わらなかった。
帰り道も、ペッチャブリあたりから渋滞とノロノロ運転となり、バンコクまで6時間以上、つまり往路よりも時間がかかって到着。
暑かったこともあるが、疲れた。
昔はエアコンもろくに効かないビートルで1日に1200キロも走ったりしてたのに、たかだか300キロでダウンしてしまうなんて、随分と体力が落ちてしまったものだ。
これではチェンマイへドライブするのも無理かもしれない。

翌日、会社へ出社しタイ人スタッフに「カーウパット・ミアノーイ(お妾さんチャーハン)って知ってるか?」と質問したら、聞いたことがないという。
しかし、「たぶんお肉とかいっぱい入っているイメージかな」とのこと。なぜそんなイメージかと聞いたら、「だってお妾さんだから贅沢させるんでしょ」だって。
タイの人のお妾さんに対する印象は日本人とはだいぶ違うようだ。

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