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即席炸醤麺(台湾製)
このところ話が台湾のことばかりになっている。
バンコクに暮らしているのだし、もっとバンコクのことを書くべきなのだろうけれど、バンコクでは毎日がマンネリ化した生活のため、これと言って書きたいと思うことがない。
それに比べて、旅日記的なものは新鮮なのであれもこれもと書きたくなって、だらだらと長ったらしくなってしまう。
あとになって読み返してみるときになったら、どちらも中途半端に感じることだろう。

さて、前回台湾へ行ったときに買ったインスタント炸醤麺だが早速食べてみた。
メーカーは維力でかなり以前から存在している商品らしい。
というのも1989年に文芸春秋社から発行されている「B級グルメが見た台湾」という本の中にもごく小さく紹介されている。
その写真を見ると容器は四角っぽいようなのだが、それは当時のもので、現在のものは丸くなっている。
しかしパッケージのデザインは昔とほとんど変わっていないようだ。

B級グルメが見た台湾
[B級グルメが見た台湾 カップめんの評価としては星一つ]

この本によると、味の評価はあまり高くない。星一つとなっている。
もっとも、相当な辛口の批評家が審査したものらしく、「味の評価」の説明では「(星の数が少なくなる)順に味が悪くなる」と書かれている。
普通なら「星が多いほどおいしい」などと書くものではないだろうか?
★★★の最高評価でやっとまともな味で、星なしなどとても食べられないと言ったイメージに受け取れる。

内容量は90グラムと日本のカップ焼きそばあたりと比べると少し量が少ないようだ。
内容量の少ないタイのカップ麺との比較では、ジャンボサイズ以上となる。

維力炸醤麺
[維力炸醤麺 台湾のコンビニで買って一つ23元 これはカップ麺としては安い部類]

私はもともと炸醤麺が好きである。
このようなインスタントの炸醤麺を食べるのは今回が初めて。
韓国にもチャジャンミョンと呼ばれる韓国版炸醤麺があり、台湾の炸醤麺とはずいぶんと異なるが、韓国の庶民的な中華料理屋では定番になっており、インスタントラーメン好きな韓国人は、チャパゲティーなるインスタントが売られている。
昔からあって、韓国の子供に人気らしいが、私は食べたことがない。
どうやらスパゲティとチャジャンミョンをミックスしたものらしい。
日本でも炸醤麺は好きで、豚ひき肉のあっぶりは言った肉味噌に豆板醤を効かせて、キュウリの細切りなどを混ぜていただくと大変おいしく、冷やし中華より炸醤麺の方が夏向きだと思っている。
台湾でも炸醤麺を見かけたらばよく注文している。
台湾のはちょっと苦みがあって、大人風味である。

さて、この維力の炸醤麺だが、「全素」と書かれており肉類が入っていないベジタリアンらしい。
つまり肉味噌の肉なしということになる。
また乾麺附湯 一桶両吃とも書かれている。
つまり汁なし麺にスープ付き、一杯で二度食べられるという意味だろう。

乾麺附湯 一桶両吃
[乾麺附湯 一桶両吃]

包装のビニールを破ってみたら驚いた。
カップ麺のカップが二つ付いている。
「一桶両吃」と書いてあるのにカップ(桶)が二つだ。
炸醤のソースと粉末スープがついている。
フリーズドライの具などは何も入っていない。
説明書きを読むと、粉末スープは麺にからめるのではなく、麺の茹で汁でスープを作るらしい。
これは北海道のカップ焼きそば「焼きそば弁当」と同じ発想だ。
しかも、「焼きそば弁当」ではスープのために別途にマグカップなどの容器を用意しなくてはならないが、この炸醤麺にはちゃんとスープ用の容器がついている。
それがこの二つ目のカップだ。
見た目はカップと言うより、桶である。
なお、タイのカップ麺には必ず折り畳み式のフォークが付いている。
カップ麺も箸やフォークがなければ食べられない。
日本のカップ麺も昔はフォークが付いていたような記憶があるが、いつのころからなくなったのだろうか?
日本も台湾もコンビニでカップ麺を買えば割り箸くらいくれるので、フォークが内容されていなくても特に問題ないのだが、、。

桶二つ
[二つ目の桶(カップ)はスープ用]

熱湯3分。
出来上がったかなと思ったが、日本のカップ焼きそばなら必ずある湯切口がない。
お湯を注ぐために剥がした蓋の部分から麺を箸で押さえながら注意深くお湯をもう一つのカップの方へ注ぐ。
粉末スープの量があまり多くなかったので、お湯を入れすぎると薄味になりすぎると思い、半量だけ湯切りしたお湯を入れて、残りのお湯は捨ててしまう。

炸醤のソースを麺の上にあける。
臭いをかいでみる。
炸醤ソースの中華風香辛料の臭いもするが、インスタント麺独特の臭いも強い。
最近のインスタント麺ではこれほど麺の臭いが強いものも珍しいのではないだろうか?
スープの香ではなく、インスタント麺のなんとなく化学薬品的な匂いなので食欲をそそるようなものではない。

混ぜれば完成
[あとは混ぜるだけ]

臭いのことは気にせず炸醤ソースを麺にからめる。
ちょっとソースの量が少ないのではないかと思ったが、ソース自体の味はかなり濃いので、少量のソースで味は十分なようだ。
肉は入っていないが、野菜らしきものもなく、ひたすらソース、いやタレだけでちょっと寂しいが、味そのものはちょっと苦みがあって、ピリ辛で台湾の炸醤麺の味がする。
嫌いな味ではない。
食べれる、食べれる。
スープの方だが、お湯は半量にしたつもりだったが、まだ薄味で、なんとな間の抜けたような感じのするスープ。
これだったら付いてなくてもよいくらいかもしれない。
スープにはほんの申し訳程度の具材も入っているが、何かの間違いで混入してしまったかといった程度である。
いっそのこと、粉末スープもスープとしていただかずに、麺に絡めた方がおいしいのではないかと思った。

購入履歴
[コンビニの値札には二つ目半額と書かれていのに、購入履歴では定価で処理されている]

その後調べてみると、維力の炸醤麺はカップ麺だけではなく、袋麺でも炸醤麺があるようだし、炸醤ソースだけの瓶詰も製品化しているらしい。
たしかに麺は星一つだったが、炸醤ソースは美味しかったので、炸醤ソースを使ってうどんに混ぜたら旨そうな気がする。

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台湾中央山脈越え 後編
5月13日金曜日
朝5時に目覚めてしまう。
昨晩はエアコンをつけっ放しにしており、エアコン慣れしていないからか、あまりよく眠れなかった。
それに窓のない部屋なので、外が明るくなってるにもかかわらず、寝坊でもしてしまうのではないかと気が気でなかったことも眠りが浅かった原因だったかもしれない。

昨晩の雨で濡れてしまったGパンや靴はまだ乾いておらず、履くのがちょっと気持ち悪い。
それでも6時になるのを待って外に出ると、雲はまだ多いものの、もう雨はすっかり上がっていた。

花蓮 早朝の街並み
[台湾中央山脈が目前に迫って見える花蓮の街]

朝早いので人通りはまだあまりない。
近くに市場があった。
食肉売り場が目立つ。
特に豚肉。

鉄道史跡公園
[昔の駅は鉄道史跡公園になっていた]

昔の鉄道駅近くに鉄道史跡公園があった。
まだ開園時刻前だが、屋外に展示されているSLは柵越しに見えた。
まるで今でも使われているかのような展示方法で、なかなかいい雰囲気を出していた。

軽便蒸気機関車
[軌間762ミリの軽便ながら堂々たるD型テンダー、まるで9600型機関車の弟みたいだ]

この旧駅前周辺には安い旅社がたくさん集まっていたのだが、すっかり消え去ってしまっている。
新しいビジネスホテルのような宿泊施設はたくさんある。
私が昨晩泊まった富凱大飯店もその一つであるが、どうもどのビジネスホテルももともとは旅社だったものを改装してこぎれいに見せているだけのように思われる。
旅社のおばさんが薄暗い中で座っていた番台のような受付を、明るくきれいにして、若いスタッフを配置している。
部屋も昔よりずっときれいにはしているのだろう。
それで、宿泊料金は以前の何倍にも跳ね上がってしまっている。
観光地の花蓮は中国大陸からの観光客がたくさん来るので、彼らを当て込んで改装したのだろう。

海岸沿いには遊歩道とサイクリングロードがよく整備されている。
タイもそうだが、台湾も自転車ブームのようだ。
自転車のための施設がとてもよく整備されている。

海岸沿いの遊歩道
[海岸沿いの遊歩道で上半身裸の男性がネコと散歩 いいなぁ]

以前、花蓮の海岸は丸くて綺麗な小石の海岸であった。
たぶん太魯閣峡谷から流れ下ってきた大理石も相当数混じっていたのだろう。
波打ち際で綺麗な石を拾い集めている人が何人もいた。
しかし、今の海岸は波消し用のテトラポットが並んでしまい見る影もない。

花蓮の海岸
[花蓮の海岸 テトラポットで浜辺が埋まっている]

古い日本家屋を改造した喫茶店があった。
以前はもっと日本家屋が多く残っていたのだが、だいぶ減ってしまっているようだ。
もっとも、戦前の日本家屋など最低でも70年以上過ぎているわけだし、姿を消して当然ではある。
が、この辺りは日本家屋だけではなく、全くの更地になってしまっている。
再開発でもするのだろうか。

日本家屋改装の喫茶店
[日本家屋を改装した喫茶店]

羽鳥醫院
[戦前は羽鳥醫院だったそうだ 由来の説明書きもある]

宿の前の饅頭屋で朝食にする。
宿の前には「公正包子」と「周家包子」の2件の饅頭店が並んでいる。
どちらも繁盛しており、人気店のようだ。

饅頭店
[公正と周家、二軒の饅頭屋が並んでいる]

公正のほうに入って朝食とする。
注文したのは蒸餃子一籠に小籠包5個。
有名店のようで観光客も来ている。
蒸餃子は水餃子と比べると扱っている店が少ないように思う。
しかし、水餃子よりもおいしいと私は思う。
それにここの蒸餃子は一蒸籠に9個も入ってたったの30元である。
小籠包も一つ5元と安い。
安いながら素朴な饅頭をかぶりつくと、中から肉汁がほとばしり出てくるジューシーな本格派。
これかなり満足度が高い。

蒸餃子に小籠包
[蒸餃子に小籠包 これで55元は感激]

小籠包
[ここの小籠包、安くても侮れません]

8時少し前のバスに乗る。
今日は花蓮から静浦、成功とバスを乗り継いで台東まで行き、そこからは汽車に乗り高雄経由で北上する予定。
バスが走り出してすぐの交差点で、一人のおばあさんがバスに乗りたそぁなしぐさをしている。
ドアを開けると乗り込んできた。
「どこまで」と運転手が尋ねると、
「私の家まで」という。
「それじゃわからんよ」と運転手が言っても、
「バスに乗ってきて寝過ごしちまったんだよ、それでどこかわからなくなって迷ってたんだ」とおばあさん。
運転手は困った顔をしながらも「外よく見てて、家の近くになったら声かけな」と言ってバスを走らせた。
しばらく走って、「あぁ、ここだよ」とおばあさんは言って、バスを止めさせ降りて行った。
花蓮はまだまだのどかだ。

花蓮客運の中型中国製バス
[静浦行き花蓮客運の中型中国製バス]

市街地を抜け、丘を越えて走っていくと、観覧車のある何とか海洋公園というレジャー施設があった。
そこで親子連れを降ろした後は、海岸線に沿ってバスは走る。
天気も良く、海が青い、きれいな海なので車窓越しに写真を撮ろうと思うのだが、バスがとても揺れるのでうまくシャッターがきれない。

バスの車窓より
[バスは海岸線に近づいたり、丘へ登ったり]

1時間ほど走った亀庵と言うところでトイレ休憩。
このあたりの道端ではトビウオ焼いて売っている屋台を見かけた。
このあたりの海ではトビウオが飛んでいるのだろうか、青い海原をトビウオが飛んでいる姿を想像する。

焼トビウオ
[トビウオを焼いて道端で売っている]

アミ族の筏漁船
[アミ族の筏漁船 ]

太平洋
[太平洋の青い海 とってもきれいな景色だ]

さらに1時間ほど走って静浦で下車。
静浦は花蓮県と台東県の県境に近い村で、花蓮側から来たバスと台東側からのバスの乗り継ぎ地点ということになっていた。
昔、母とこの台湾東海岸線を台東から花蓮までバスを乗り継ぎながら旅したことがある。
その時もこの静浦に寄ったかどうかは記憶が確かではないが、海がきれいな町に立ち寄ったように思う。
しかし、それはどうやら静浦ではなかったようだ。
静浦は街などではなく、小さな集落に過ぎなかった。

静浦
[静浦のメインイトリート]

海岸線に出たら砂浜ではなく、丸い石だらけの浜であった。
石は小さなものもあるし、漬物石になりそうなサイズもある。
いずれも角張ったとところはなく、丸く扁平な石ばかりだ。
私の安物の靴は、靴底が薄く、しかも昨日ずいぶんと歩いたために、靴裏がすり減って穴まで開いている始末。
そのな靴なので石の海岸を歩くと足の裏が痛い、

静浦の海岸
[波は高いが、とてもきれいな海だ 泳げないのがもったいない]

秀姑巒渓の河口
[秀姑巒渓の河口 ラフティングで有名な川です]

10時40分のバスに乗り、次は成功に向かう。
花蓮でのバスはずっと中型バスであったが、今度のバスは大型で、乗り心地も良いようだ。
そのせいか車内でも半分ウトウトしてしまう。

台東県に入ってからの方が沿道に集落が多いようだ。
○○民宿と書かれたペンションもたくさん目についた。
海はきれいなのだが、海水浴をしている人の姿は見かけない。
今でも台湾の海岸は海水浴場として指定されている場所以外は遊泳禁止なのだろうか。
海がとってもきれいなので、なんだかとてももったいない気がする。

三仙台という錦帯橋のような橋が沖合の島までかかっている景色の良い場所がある、
この先の川を渡ったならばすぐに成功の街だった。

三仙台
[錦帯橋のような橋が沖の島までかかっている]

成功は静浦の何倍もある大きな街で、立派な漁港と魚市場がある。
また歩いてみると資料館や博物館のようなものも整備されている。
ここ成功は中国語で旗魚とよばれるカジキの産地で、ここでは船の上からカジキをモリで仕留める漁法が有名らしい。
街中を歩いてみると旗魚と書かれたメニューを掲げた食堂がいくつかあった。

成功漁港
[成功漁港]

漁港ではもう競りの時間は過ぎているのが、静かだった。
漁船の上では漁師が丼でご飯を掻き込み、昼食の真っ最中であった。
漁港内の屋台風食堂では、新鮮な魚が氷箱に入って注文を待っていた。
カツオなんかもいて新鮮で大きい。

魚の入った氷箱
[魚河岸隣接なので新鮮な魚を屋台で食べれる]

カジキ漁船
[カジキ漁船 船首からモリを投げるそうだ]

さっきのバスを降りるとき、スマートパスの残金表示を見たら、あと少ししか入っていないことが判明した。
そこでファミリーマートへ立ち寄り、1000元をリチャージする。
そのファミリーマートではサンドウィッチ風のおにぎりがあるようだ。
日本でもライスバーガーとかあるようだが、サンドウィッチ風のは見たことがない。
食べてみたい気もするが、せっかくカジキの街に来たのだから、カジキを食べておきたい。
でも、どこへ行ったら良いのだろうか?

サンドウィッチおにぎり
[サンドウィッチおにぎり タイにも上陸してきそう]

とりあえず街を歩き回ってみる。
大きな街ではあるが、眠ったように静かな街でもある。

眠ったような町
[昼寝をしているような街並みである]

成功の海岸
[この町も海はとてもきれいだ]

土曜日で締っている郵便局前でWiFiをキャッチした。
ネットでカジキを食べさせるおすすめ店を探してみたら、山側へ6分ほど歩いたところに有名店があることが分かった。
グーグルマップを頼りに行ってみたが、マップ上に印がされている交差点の一角は工事中になっていた。
困ったなと周辺を見回してみたら、少し先にカジキを看板に掲げている店が目に付いた。

佳濱成功旗魚
[カジキ専門店]

その店の名前は佳濱成功旗魚という店で、私がマップで探していた店であった。
中に入ると食堂の雰囲気がまるでない。
冷凍カジキの地方発送を行う店のようだ。
とりあえず店の人に「食事はできますか」と聞いたら、「2階にカフェがある」と言う。
カフェでカジキはないだろうと思っていたが、名前はカフェでもちゃんとしたレストランであった。
しかし満員の大盛況。
空いているテーブルなど一つもない。
「一人なんだけど」と言ったら寿司屋のカウンター席のようなところへ案内された。
板場では若い女性の板前さんが刺身を切っていた。
なかなか板についているし、きびきびして感じも良い。
メニューと水が運ばれてきたが、水は氷も入っていないし、ぬるかった。
メニューを見たが何を注文したらよいものか良くわからない。
読めないわけではなく、その料理のボリューム感が分からない。
セットメニューのようなものがあるが、2人前からになっている。
「一人なんだけど、何を注文したらよいかわからない」と正直に言ったら、
「2人前のセットを一人前でも用意できる」という。
なんとも融通の利くこと。
しかも、2人前が1280元なのに対して、一人前だと600元だという。
なんだか計算が合わないような気もするが、それを注文する。
600元とは2000円くらいで、昼食としては安くはないが、それほど高いわけでもない。

始めに出てきたのはマンボウであった。
花蓮はじめ、台湾東部はマンボウが名物とは聞いていたが、ここで出会えるとは思ってもいなかった。
マンボウの皮をタイ料理風にピリリと辛く和えた前菜。
マンボウは刺身コンニャクとトコロ天がミックスしたような食感で、魚の臭みはまるでない。

マンボウのタイ風前菜
[タイ語ならヤム・マンボウとでも言うのだろうか マンボウのピリ辛前菜]

料理はそれから次つ次に運ばれてくる。
芋のツルのような青菜の炒め物、カジキ団子のスープと続く。
カジキ団子には2種類の団子が入っており、ひとつはタイのルークチンプラーにそっくりの魚肉団子。
もう一つはカジキの身そのものではないかと思われるような団子。
スープは薄味で、セリのような香菜で引き締めてある。
団子はいずれもプリプリしている。

炒青菜
[炒青菜]

カジキ団子のスープ
[タイ語ならルークチン カジキかな]

プリプリのカジキ団子
[プリプリのカジキ団子]

続いてカジキのステーキ。
和風の醤油味を思わせるタレがたっぷりかかっている。
ボリュームがあるし、味は濃すぎず、薄すぎず。
身も柔らかすぎることないのに、皮は柔らかく、皮もおいしく食べられてしまう。
ステーキと言うよりも煮魚に近い感じ。
ご飯にもよく合うし、日本酒がほしくなる味付け。

カジキの和風ステーキ
[カジキの和風ステーキ 半端じゃないボリューム]

最後にカジキの刺身。
刺身の鮮度はよいのだが、かなりの厚切り。
刺身の切り口もきれいなのだが、とにかく大きく、一切れの刺身を前歯で髪切りながら2回か3回に分けて食べる感じだ。
日本と同じサイズで切ったら6枚くらいになるのではないだろるぅか。
醤油をつけた刺身とご飯を食べると、「あぁ、日本には旨いものがあるなぁ」と思ってしまう。
まったく、ここは台湾の田舎町であることを忘れてしまう。

超厚切りのジャンボ刺身
[超厚切りのジャンボ刺身]

そのご飯がとにかくおいしい。
地元の「池上米」とのことだが、丸まっこい米粒で、硬さも味も大したものだ。
お代わりまでしてしまった。

食後にはネーブルのようなものが出た。
酸味もあり、口の中をすっきりさせてくれる。
これもこのあたりの名物らしい。

ネーブル
[すごくみずみずしいネーブル]

そして、最後にもう一品、驚きのデザートがあった。
なんと冷製のマンボウの皮。
先ほどのマンボウと同じだが、ネーブルだろうか柑橘系の汁をたっぷりかけてある。
マンボウの歯ごたえと柑橘系の酸味、とてもよくマッチしている。
仕入れの問題もあるだろうが、こんな店が都会にあったら、ものすごい人気店になるだろう。
このデザートなど、マンボウと教えられなければ、まずこれが魚とは気づかれないだろう。

デザートもマンボウ!
[デザートもマンボウ!]

大満足の大満腹。
これだけ食べて、お代わりのご飯を含めて合計610元也。
本当はもっとゆっくり食べて、ゆっくりしたかったが、次の台東行バスの出発時間が迫っている。
あと5分。
バスの出発は午後2時。
早歩きでバス乗り場へ急ぐ。

台東行きのバスも大きなバスであった。
バス会社はここまで乗ってきた花蓮客運ではなく鼎東汽車客運という台東のバス会社。
それにしても食べ過ぎて苦しい。
腹が膨れると眠くなるというが、腹が膨れて苦しくても眠くなるようで、台東までの1時間半ほどほとんどずっと眠ってしまっていた。

台東行きのバス
[台東行きのバスも大型バスだった]

昔の台東は小さな町だった。
駅前に金安旅社という宿屋があって、台東ではいつもそこに泊まっていた記憶がある。
しかし、今回のスケジュールでは台東市内へは入らない。
鉄道の台東駅も現在は街の郊外に移転してしまっており、このバスも市内へ入る前にある郊外の鉄道駅で降りる予定にしている。
台東が近づいてきて大きな川を渡る際に、下流の市街地の方を見たらば大きなビルがたくさん建っているのが見えた。
台東の街も発展しているのだろう。

台東郊外の川岸から
[遠くに背の高いビルが林立しているのが見える]

台東からは汽車旅。
4時過ぎの平快車というランクの汽車で南廻線を走る。
台湾でいう平快車とは本来「普通急行」のことで、昔はこの下に普通車、そして上に対号特快車、復興号、莒光号、自強号とそれぞれスピードとサービスの違う特急があった。
それがいつの間にか台湾の鉄道で一番下のランクは区間車という各駅停車ができ、しかもその運賃は復興号と同じとなってしまっているようだ。
しかし、これから乗る汽車だけが唯一の例外で、区間車よりもランクが低く、運賃の安い台湾で最後に残った平快車らしい。
平快車と言っても、実際は各駅停車である。
ただし、使用している車両が昔のままのエアコンのない平快車の客車と言うだけである。
昔はこの青い客車が台湾では一般的だった。
私もずいぶんと乗った記憶がある。
となかくエアコン付きの特急より格段に安かった。

南廻線の平快車
[南廻線にたった一本残った平快車 ディーゼル機関車が引っ張ります]

昭和の汽車とおんなじだ
[セピア色にしたら30年前の世界に戻ったみたいだ]

昔からずいぶんと台湾では汽車に乗ってきていたが、今回乗る南廻線に乗るのは今回が初めてである。
だいぶ以前に開通してて、台湾一周鉄道ができたということは聞いていたが、利用する機会がなかった。

台湾にも鉄道の写真を撮るようなマニアがいるようで大きなカメラを構えた男性が家族ずれで乗り込んでいる。
日本人のグループもカメラを持って乗っている。
しかし、彼らも気が付いた時にはどこかで下車したのかいなくなってしまっていた。
代わりにバスケットボールを持った男子高校生らしいグループが乗り込んできた。
そして、また気が付いたらいなくなっていた。

平快車の車内
[古いけどメンテナンスはしっかりされているようです]

この南廻線、地図を見ると台湾山脈の南端が海に落ち込む手前から山の中へ入って、太平洋側と台湾海峡側を結んでいる。
そのため海岸線の景色と山岳鉄道の迫力を車窓から楽しめるものと楽しみにしていた。
しかし、実際にはとてもトンネルの多い路線であった。
太平洋側を走っていても、トンネルとトンネルの間にちらりと海岸線が見えるといった具合である。
そのちらりの景色は悪くない。
ひなびた海岸線で、筏のような小舟が漁をしている。

トンネル
[全線トンネルの連続です]

海もチラリと見せてくれる
[トンネルとトンネルの合間に海もチラリと見せてくれます]

山の中へ
[やがて海岸線を離れ山の中へ]

その海が遠のき、山の中に入ったと思ったらやたらと長いトンネルが連続し、ようやく駅かと思ったら列車交換のための信号所のようで、そこでしばらく停車して反対方向からくる列車を待つ。
ホームに降りてみようとしたがホームがなかった。

信号所にて列車交換
[山の中の信号所にて列車交換]

信号所を出てからもトンネルは続いたが、下り坂になった。
そして果樹園が山の斜面に作られているのが見える。
木々の枝には果実を包む白いカバーがたくさんかけられており、まるで白くて大きな花を山の木々が一斉に咲かしているようにも見える。
このあたりはマンゴーの栽培が盛んだそうだが、今年はひどい不作で農家の人が泣いているとのニュースを先日読んだばかりだった。
白いカバーの中のマンゴーたちはこの後順調に実ってくれればいいのだが。

カバーの花を咲かせている
[果実を包むカバーが白い花のように見える]

やがてまた海が見えてきた。
太平洋側と異なり、台湾海峡側の海は穏やかな夕景となっていた。

台湾海峡側が見えてきた
[台湾海峡側が見えてきた]

車窓からの夕景が物悲しい
[車窓からの夕景が物悲しく見える]

夕方6時20分、この汽車の終点「枋寮」到着。
地下道を通って改札口へ向かう。
その地下道に大きな古い地図が描かれていた。
ずいぶんと昔のものらしく「乃木将軍上陸記念碑」なども書き込まれている。
表記は漢字とカタカナ。

古い地図
[乃木将軍上陸記念碑まで描かれた昔の地図]

この駅ではまず洗面所へ駈け込んで顔を洗う。
トンネル続きで、ディーゼル機関車から吐き出される油煙を浴びてしまっていたので、汗とともに首筋などが気持ち悪かった。

旅行の計画を立てるとき、列車の乗り継ぎ時間を利用してこの街で夕食でも食べようかと思っていたが、まだ満腹のままで食欲がない。
散策だけすることにした。
まだ日没前なので、駅前からまっすぐ伸びる道を歩き、海に出た。
穏やかな台湾海峡の夕景が広がっていた。

台湾海峡の夕景
[雲が多く、夕日は見られなかった]

もうすぐお母さんネコ
[もうすぐお母さんネコ ちょっと警戒心が強いみたいでした]

しかし、小さな町で駅前の繁華街などは10分も歩けば一回りできてしまう。
さっき駅で見た「乃木将軍上陸記念碑」を見ておきたいが、それがどのあたりなのかよくわからないし、それが今でも残っているかもわからない。
さらにもうだいぶ暗くなってきている。
それでも暗い中を街はずれまで歩いてみたり、ウロウロと歩き回る。
若者の支援活動の一環なのか創作芸術村のような施設があった。
施設は古い日本統治時代の木造官舎を改装したもののようだ。
駅に戻ったら、駅前にその芸術村でネコをテーマにした作品展を案内する幟が立っていた。

ネコの作品展と串焼き
[芸術村の作品展案内の奥は日本風串焼きの店、生ビールが美味しそう]

19:46発の莒光号で高雄に向かう。
切符代は107元。
エアコン付きの車内はやっぱり涼しくていい。
高雄に近づくにつれて乗客が増えてくる。

高雄には夜9時過ぎに到着。
ここ高雄の名所の一つ六号二路の夜店街をひやかしてみる。
観光客も大勢来ており、以前同様にぎわっている。
海産物を食べさせる屋台も多く、そこではビールも飲ませるようで、酒盛りをしているグループもある。
しかし、海鮮屋台以外の食べ物屋台ではビールなどを置いているところはないようだ。
テーブルに就いている人たちも食べることに専念している感じがする。

六合二路の夜店街
[六合二路の夜店街 土曜の夜と言うこともあって大盛況]

昔はよく屋台で蚵仔煎という牡蠣の卵とじのようなものをよく食べた。
小ぶりの牡蠣を使っていて、ちょっと甘いのだが、チリソースをかけて食べるとおいしかった。
ここにも蚵仔煎の屋台はいくつも出ていた。
南部台湾は牡蠣の産地とも聞くし、食べたい気もするが、これを食べたら夕食が食べれなくなってしまいそうだ。
それに今晩は鍋を食べたいと思っている。

最近、台湾のかき氷が流行しているらしい。
バンコクにも台湾のかき氷チェーンが上陸している。
この夜店街にもかき氷の屋台があり、大きな鉢に山盛りのかき氷を分け合って食べている日本人グループーを見かけた。
かき氷くらいなら食べてもいいかと思ったけれど、氷よりまずビールを飲みたい。

六合二路を一通り歩いてみたが、鍋の店は見当たらなかった。
ならば適当に別なものを食べれば良いかもしれないが、鍋に執着し始めて、夜の高雄の街を鍋求めて徘徊する。
こんなときにネットが使えれば便利なのだが、こういう時に限ってログインできるWiFiを拾ってくれない。

諦めかけて六合二路でステーキでも食べるかと戻ってきたらば、夜店街の入り口近くに鍋の店を発見。
店の入り口で「ビールはあるか」と聞いたら「ないので、飲みたければ外で買ってきて」と言われる。
つまりビールの持ち込みはOKらしい。
しかし、六合二路にコンビニがないことは先ほど確認していたので、ふたたび夜の街をコンビニ探して歩き回る。

コンビニの前でもネコ
[コンビニの前でもネコ・・ドアが開くたびに涼しい風が来るにゃん]

コンビニでは台湾ビールを缶で2種類3本買った。
クラッシックでアルコール度数4.5度とゴールドメダルという度数5度の2種類。
クラシック1本にゴールドを2本。
鍋が煮えるのを待ち切れず早速プシュっと缶を開けて飲み始める。
飲み比べてみるとクラシックの方がおいしく感じた。
それは喉が渇いていたからかもしれない。

注文した鍋は麻辣火鍋。
赤いスープで辛い四川風の鍋。
具の中に「豚の血ゼリー」が入っていた。
私はこれが得意ではない。
店の人に「悪いけど、これ外してくれない?」と頼んだら、すぐに鍋からすくい出してくれた。
そればかりではなく、代わりに豚肉のスライスを追加してくれた。
こういうのうれしい。

豚肉スライス追加した麻辣火鍋
[豚肉スライス追加した麻辣火鍋]

スープ自体が激辛の麻辣火鍋に唐辛子たっぷりのタレを調合した。
熱い、辛い、玉の汗が吹き出す、ビールをグビリ、あぁうんめぇ。

夕食後、再び六合二路を抜けて高雄駅へ向かう。
バンコクを出発する前に今晩の夜行列車の切符をインターネットで予約をしておいた。
23:30発の莒光号で、事前に予約しておいて正解だったようだ。
ほぼ満席の乗車率。私の隣は小太りの男性。
他の席もほとんど埋まっている。

夜中の高雄駅前
[夜11時過ぎの高雄駅前]

昔、高雄から台南まで汽車に乗ったとき、窓からホタルが飛び込んできたことがあった。
当時乗っていたのは先ほどの平快車同様にエアコンがなく、窓を開け放って田んぼの中を走っていた。
今夜の汽車はエアコン付きで窓は開かない。
それに窓の外に田んぼが広がっているかどうかも確認できない。

シートを倒して眠ってしまう。
何度か途中で駅に停車する際に目が覚めてしまったりしたが、バスなどより足元が広いし、飛行機よりも圧迫感がないので、比較的よく眠れた。

<hr>

5月15日 日曜日
午前5時過ぎ桃園駅に到着。
ここが空港への最寄り駅となる。

早朝の桃園駅到着
[ようやく夜が明け始めた桃園駅に到着]

この桃園の駅前で朝食でも食べてから空港へ向かおうかと早朝の街を歩き回ってみるが、まだ朝早すぎるためか、もともとそうなのか分からないが、油条や豆乳などを売っている店が見当たらない。
またフィリピン人であろうか、ものすごい数の若者たちが早朝の街を駅の方向へ歩いている。
カップルで楽しげに歩いているものもあるが、酒に酩酊しているものもある。
不良ぽいものもいる。
一体こんなに朝早く、彼らは何者なのだろう。
そしてどうしてこんなに朝早く街を徘徊しているのだろう。
この辺だろうかと目星をつけて路地裏に入ると朝食屋台ではなく、風俗店だったりする。
勝手がわからず、なんだかあんまり気持ちの良いものではない。

しばしば飛行機の乗り継ぎで立ち寄っている南崁の街へバスに乗って行ってみることにする。
南崁の街なら庶民街なので朝食にもありつけるだろうと考えた。

南崁の街も早朝で静かだったが、市場があり、野菜や魚、肉を売っている。
朝食の店はあるが、油条は売っていないようだ。
それにテーブルについて食事をさせるところは少なく、ほとんどがテイクアウトのスタイルになっている。
この辺りはオフィス街でもないし、みんな持ち帰って家で食べるのだろう。
私は水煎包という焼き饅頭をキャベツ入りとニラ入りの二種類買い込んで豆乳と一緒に歩きながら食べる。
どちらも肉の入っていない野菜だけの焼き饅頭だが、かなりボリュームがあった。
しかし、もう少し食べたい気がしたので、再び同じ店に戻って、今度は焼き餃子(鍋貼)を一人前追加注文。
こちらは20元と大変安い。
近くのベンチに座って、焼き餃子の入ったビニール袋に箸を突っ込みながら食べる。

水煎包の店
[水煎包の店 テイクアウト専門です]

水煎包は一個10元
[焼き立ての水煎包は一個10元]

コンビニで土産用にカップ入りのインスタント炸醤麺を二つ買う。
売り場には二個目は半額と書かれていたが、レジを通すと二つとも定価のままであった。

南崁から再びバスで空港へ。
ノックスクートのはエバー航空のスタッフが代行していた。
往路の時に味をしめて今回も「なるべく良い席にしてね」と頼んだのだが、「席は選べません」とぴしゃりと言われてしまった。
帰りの飛行機はほぼ満席であった。
しかし、私の隣は席が空いたままであった。



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台湾中央山脈越え 中編
5月13日金曜日
朝起きてみるとなんだか少しのどが痛い。
ぬるめの温泉ばかりに浸かっていたからだろうか?
風邪のひきはじめなんかでなければよいのだが、今回の予定は結構ハードで体力勝負。
体調が悪くてはスケジュールが崩れてしまう。

蘆山温泉の朝
[蘆山温泉の朝 深い谷なので朝が遅い]

温泉の子犬
[寒いのか温泉のお湯が流れる排水溝の蓋の上で寝てる子犬も]

窓の下は谷川
[窓の下は谷川]

宿の周りを少しだけ散歩してから、朝風呂とする。
大浴場ではなく、部屋についているお風呂。
小さいバスタブ式のお風呂だけれど、お湯は温泉だし、手桶もあれば、洗い場の床には木の簀の子まで敷いてあるのがうれしい。
入浴をし、髭を剃り、さっぱりしたところで朝食会場へ向かう。

部屋の風呂
[部屋の風呂]

朝食会場は昨晩と同じ場所。
テーブルも同じテーブル。
昨晩は大きな炊飯器がありセルフサービスでご飯をよそった場所に、今朝は白粥とコーヒーに豆乳、そして饅頭があった。
台湾の朝食で白粥というのはおいしい。
台湾では白粥以外に芋粥なんかもあったりもするのだが、今朝のお粥は白粥だけだった。
おかずはやはりプレートに盛られていて、内容はスクランブルエッグ、青菜炒め、きゅうりの漬物、ピーナッツ、肉のデンブ。

お粥・饅頭・豆乳・コーヒー
[セルフサービスコーナー 棚の上にネコが隠れてます]

お粥のおかずプレート
[お粥のおかずプレート]

8時40分のバスに乗って蘆山温泉を離れる。
乗客は私一人きり。
ただし、私も途中の春陽部落で降りてしまったので、この先バスは空気を運ぶことになってしまった。

天蘆
[昔からの高級旅館、天蘆も営業停止中]

春陽部落からは細い坂道を上り、小学校を越えたらば人家も途切れて森の中の道となる。
急な上り坂だけれども、舗装もされていて時々自動車も走ってくる。
そんな中で後ろからやってきた小型トラックの運転手が声をかけてきた。
「どこまで行くんだ?乗せるよ」
以前もこのあたりの山を歩いていると「乗らないか?」などと声をかけられたものだ。
しかし、私は歩きたいから歩いているので、好意には感謝して、歩き続ける。

春陽村から歩いてきた道が省道に出る。
この道をずっと行けば、花蓮である。
今回はそのうちの翠峰というところまでできるだけ歩いてみようと思っている。
省道も上り坂で、斜面には野菜畑、特にキャベツ畑が多い。
また摘み取ったお茶を乾燥させ製茶する作業場もある。
天気予報は外れて、青空の好天に恵まれ、周囲の景色が良い。
ただ、省道には大型トラックやトレーラーが頻繁に走っており、それらに抜かされるときは、ものすごい排気ガスと巻き上げられる埃で、しばらく立ち止まってしまう。

省道
[省道は交通量が多い]

途中の検査站というバス停から寿亭というバス停まで2キロほどバスに乗る。
寿亭から先も交通量はそれなりにあったが、途中の見晴らしはさらに良くなり、歩いていても気持ちが良い。

中央山脈の山々
[中央山脈の山なみ]

山の案内板
[案内されているのはいずれも3000メートル級の山々]

国民賓館というところから先は遊歩道も整備され、排気ガスを浴びることもなくなった。
ただ遊歩道は森の中に伸びており、視界は今一つである。
遊歩道を通ってたくさんのハイカーたちが下ってくる。
ずいぶんよく整備されていると思ったら、途中に料金所があった。
ここは清境農場で入場料として平日160元、休日200元を徴収していた。
省道を歩けば料金はかからないがもせっかくだから気分の良いところを歩きたいので入場料を支払って中に入る。
以前はこの清境農場では牧畜や養蜂、高原野菜栽培などを行っている見晴らしの良い農場に過ぎず、入るのに入場料などかからなかったような気がするが、現在は人気行楽地となり整備も進んだようだから、仕方ないのかもしれない。
それに園内ではショーなどの催し物やアトラクションの施設が何か所もあり、1日楽しめる施設になっているようだ。

入場料の料金所
[ここで入場料を支払う]

入場料を払って領収書を受け取ったが、さらに手の甲にスタンプを押された。
これはこの先にもう一つ料金所があり、このスタンプを見せればフリーパスになるというものらしい。

再入場用スタンプ

山の斜面を登る遊歩道は階段になり、何百メートルも続いている。
階段なので一気に標高が稼げてしまう。
森の中で一匹の羊を見かける。
以前は乳牛もたくさんいた記憶があるが、今回はまだ牛を見かけない。
しかし、この農場にはいるはずで、売店ではこの農場の牛乳や乳製品が売られている。
馬もいるが、今は観光用の乗馬らしい。

園内運内図
[園内の案内地図 本当はゆっくり過ごすべきところのようだ]

森を抜け2つ目の料金所を過ぎると、緑の牧草地が広がる斜面に出た。
ここが青青草原なのだろう。
視界を遮るものがないから、見晴らしはよいし、大地はみずみずしい緑に覆われている。
また、ところどころに白い綿羊がいてアクセントになっている。

青青草原
[青青草原 好天に恵まれました]

青青草原
[こんなところはピクニックで来るべきですね]

タイの人同様に台湾の人たちも写真が大好きであっちこっちでポーズを決めていたりする。
結婚式衣装で撮影している人もいる。
私も自撮りに挑戦してみるが、うまくポーズも顔の表情も決まらない。

自撮り挑戦
[自撮り 羊たちに笑われている気がする]

記念撮影ポイント
[気恥ずかしくて近づけません]

再び省道に出て翠峰を目指して歩き始める。
翠峰から先へ行くバスは1日一本だけ、翠峰を午後1時前に通過するはず。
時刻はまだ10時なので時間はたっぷりある。
この省道沿いにはペンションのような宿泊施設があちこちにある。
いずれの建物も洋館風だったりスイスのロッヂ風だったりして、台湾ではないようだ。
自然も険しい山や深い谷、そして緑の草原が広がる斜面など、アルプスにでも来ているかのような景観を見せている。
しかし、やっぱり台湾なので看板などはやたらと派手で大きく、文字は漢字である。

ハイジの世界かも
[ここはハイジの世界かも]

海抜2050メートル。
ここんなところにもセブンイレブンがあった。
もっとも高いところにある店みたいなことが書かれている。
日本で標高がこのくらいの場所でコンビニなどあるのだろうか?
店の入り口にはガチャポンがいくつかおかれていた。
これなんかはきっと世界一高いところにあるガチャポンではないだろうか?

ガチャポン
[世界一高いところにあるガチャポンかも]

赤いカエデ
[赤い葉っぱが青空に映える]

松岡の派出所を通り過ぎる。
このあたりには戦後雲南省出身者が多く入植に入っているからなのか雲南料理の食堂が目に付く。
渡橋米線という雲南料理を以前に昆明で食べたことがあり、大変においしく、私の好物の一つになった。
チェンマイの北、メーサロンも雲南省出身者が多く、雲南料理が名物になっているが、メーサロンでは渡橋米線を見たことがなかった。
その私の好物である渡橋米線をメニューに掲げた店もここにはあるのだが、朝食の食べ過ぎでまだ食欲が沸いてこない。

山つつじ
[山つつじが咲いていた]

だんだん海抜も高くなり、森の中の道で視界があまり利かなくなる。
松の木が多く、松ぼっくりがたくさん落ちている。
また、木々の幹の表面はびっしりとコケに覆われている。
松岡から翠峰まではすぐで30分も歩けばつくだろうから、翠峰から先までも足を延ばそうかなどと考えたりしていた。
そんなことを考えながら歩いていたら警察車両に呼び止められた。
「どこへ行くんだ」
ダウンジャケットを着こんだ運転席の警察官は別に職務質問をしている感じではない。
「翠峰まで」
と答えたら、「乗ってけよ」と誘われる。
しかし、こんどもまた謝辞して歩き続ける。

あと2キロくらいだろうと思って歩いているが、どうやらまだ相当先らしい。
歩いても、歩いても、翠峰にたどり着かない。
一本道だから道に迷うわけではないが、そろそろバスの時間も迫りつつある。

翠峰
[徒歩での登りはここまで]

結局それから一時間以上もかかって翠峰に到着。
時刻は12時半になっている。
気温は低いが、ずっと坂道を歩いてきたので汗だくである。
以前の翠峰は古い木造の警察官舎が木立の中に一軒あるだけのところだったが、今は派出所もコンクリート製で立派になり、隣には大きな2階建ての警察の宿舎まであった。

警察宿舎
[翠峰の警察宿舎]

派出所の前には黒い犬が2匹いて、人懐っこい。
台湾の山には昔から黒い犬が多く飼われており、やたらと吠えるモノがいるが、懐くのもいる。
犬と遊びながらバスを待つ。
さっきまで晴れていた空が曇り始めてきた。
春陽から翠峰まで約20キロ、途中少しバスにも乗ったがよく歩いたものだ。
それも上り坂ばかり、明日あたり筋肉痛になりそうだ。

山の黒い犬

合歓山を越えて私を大禹嶺まで運んでくれるバスは1時少し前に来た。
小型のマイクロバス。
若い人は乗っていなくて、乗客は10人にも満たない。
「どこまで」と運転手に聞かれ「大禹嶺まで」と答えたら、
「花蓮行きのバスは3時50分」と教えてくれた。

豊原客運のマイクロバス
[豊原客運の豊原発梨山行バス]

この翠峰からは絶景の連続になるはずなのだが、バスが走り始めてすぐに濃い霧が立ち込めてきて視界がまるで効かなくなってきた。
30年前にバイクを借りてここまで登ってきたことがある。
その時は晴れていて、素晴らしい眺めだった。
もう一度眺めてみたいと思って今回のスケジュールを組んだのだが残念。

霧
[霧が深くなってきた]

そのうち土砂降りの雨となった。
濃い霧もかかったままで、時速も30キロ以下のノロノロ運転。
それでも行楽客の乗用車は多く、道も詰まり気味。
自転車でここまで登ってきて、この雨に降りこめられて、岩陰で雨宿りをしているサイクリストもいる。

土砂降り
[とうとう本格的な雨になった]

武嶺を過ぎるあたりから雨は上がった。
たぶん雨雲よりも高いところまで登ってきたのだろう。
霧も薄くなり、絶景が見え隠れし始めてきた。

雨雲から抜け出す
[雨は上がり、山が見えてきた]

13時40分、合歓山に到着。
ここで5分休憩。
晴れてはいないので、期待していたほどの景観は眺められなかったけれど、さすがに標高3000メートルを超えて、山には背の高い木は生えておらず、岩と草の斜面が折り重なる峰を覆っている。
合歓山の尾根には岩がまるで恐竜の背骨のように頂上へ向かってならんでいる。
こんなに高い山の上まで来たのはブータン以来ではないだろうか。
こんな高いところでもiTaiwanのWiFiに接続することができた。
ここにある山小屋は本日満室との表示が出ていた。
そしてずいぶんとたくさんの観光客が来ている。
ほとんどが自家用車で来ているようだ。
このあたりも自然保護のために上高地のように自動車の乗り入れを規制すべきではないかと思った。

合歓山ビジターセンター

合歓山周辺
[このあたり冬には雪が降り積もる]

合歓山の山頂を見上げる
[ビジターセンターから合歓山の山頂を見上げる]

数人の乗客を降ろして、車内も閑散としてきたバスは下り坂になった道を進む。
斜面にのあちこちにシャクナゲが咲いている。
時間があれば乗り物などに乗らず歩いてみたいところだ。

シャクナゲの咲く斜面
[あちこちにシャクナゲが白い花を咲かせている]

合歓山からは30分も走らずに大禹嶺の交差点に到着。
私一人がここのバス停で降りる。
バスはそのまま交差点を左折し、トンネルに入って東西横貫公路を梨山まで走る。
この東西横貫公路は花蓮と台中を結ぶ幹線道路で、私も昔は何度も利用したことがあるし、昔はバスが毎日何本も走っていて、10時間くらいで花蓮と台中を結んでいた。
しかし、もう10年以上前に山崩れで道路が崩壊し、それ以降バスは通じていないそうだ。
ここまで乗ってきたバスも不通区間を迂回するために合歓山を経由して1日がかりで走っているとのこと。
そのおかげで私も合歓山をバスに乗って楽々越えられたのである。
またここから花蓮へもバスの便は1日1便しかなく、大変不便である。

大禹嶺の交差点
[大禹嶺からまだバスは梨山へ]

その1日1便きりのバスまでまだ2時間近く時間がある。
しかし、この大禹嶺のバス停周辺には、食堂などない。
作業小屋ではないかと思われるような家屋がパラパラと点在し、店と言ったら高原野菜を並べた簡易な店だけ、あとは公衆トイレと信号機があるくらいだ。
また霧も少し流れているし、息が白くなるくらい気温は低いので、ここでじっとバスを待つより少し先まで歩いて山を下ってみることにする。

大禹嶺
[ここで標高2565メートル]

大禹嶺のネコ
[大禹嶺のネコと遊びながらバスを待つという手もあった]

原生林の中に続く道をしばらく歩いていたら、大禹嶺派出所まで4キロとの表示があった。
派出所あたりには集落でもあって、食堂なんかもあるかもしれない。
そこで遅い昼でも食べればバスの時間にちょうどよさそうだ。

大禹嶺
[ここで標高2500メートル 6キロで標高差500メートル]

柘植や松の木が多い森林で、この道路以外はまさに人跡未踏といった感じである。
歩いていても民家など一軒もない。
ただ1か所、道路工事をしているところがあり、そこには作業員もいて、工具が唸る音が響いていたが、それ以外は鳥の鳴き声が聞こえるだけの静かな下り道であった。
車もほとんど走ってこない。

原生林の中の一本道
[原生林の中の一本道]

途中で緋桜を咲かせている木があった。
季節外れの狂い咲きであろうか?
それともこのくらい山の高いところに来ると、今が開花時期なのだろうか?

緋桜
[このあたりの何本かが赤い花を付けていた]

1時間近く歩いたところで警察派出所があった。
派出所といっても建物は大きくて立派だ。
警察署としてもおかしくないくらいだ。
しかし、周辺に民家は一軒もない。
派出所の中に入って、「この前にバスは止まりますか?」と聞いてみる。
しかし、この前にはバスは止まらず、もう少し下まで行ったらガソリンスタンドがあって、そこに4時ころバスが来るはずと教えてくれた。
この派出所でもiTaiwanのWiFiでネットに接続することができた。
ネットで地図の確認をすることもできた。

関原
[大禹嶺より200メートルほど標高が下がった]

ガソリンスタンドの周りにも民家はなかった。
公営の青少年向け山荘が、道から反れた山の中にあるように描かれていた。
ただこのガソリンスタンドではチマキを売っていた。
口に入るものは、このチマキとコーヒーだけで、あとは石油製品しか売っていない。
お腹もすいてきたのでチマキを買うことにした。
35元也。
台湾のチマキは漢字で肉粽と書くがごとく、もち米の中に豚肉がたっぷり詰め込まれたボリュームのある食べ物だ。
これで35元なら安い。
台湾のコンビニでも日本風のおにぎりが売られており、これも一つ35元くらい。
しかし肉粽と比べたらボリューム感がまるで違う。
だいたいここのはおにぎりの倍くらいの大きさがある。
チマキを頬張り、昨晩飲み残した粟酒をチビチビりながらバスを待つ。
このガソリンスタンドは関原と言うところにあり海抜が2374メートル、台湾で一番高いところにあるガソリンスタンドだそうだ。

台湾最高所のガソリンスタンド
[台湾最高所のガソリンスタンド]

ガソリンスタンドの肉粽
[G.S.の肉粽 なんとか食べ物にありつけた]

4時に花蓮行きのバスがやってきた。
乗れなかったら一大事なので、大きく手を振ってバスを止める。
乗り込んでみると乗客は一人も乗っていない。
始発の梨山からここまで1時間ほど走ってきているはずだが、乗客など誰も乗せずに来たようだ。

たった一人の乗客を乗せて、バスは細い山道をくねくねと下っていく。
対向車があれば容易にすれ違えないようなところでも、かなりのスピードで走る。
中国製の中型バスで、サスペンションが良くないのかよく揺れる。
カーブも急で、先ほど飲んだ粟酒が胃の中でシェイクされ、再発酵でも始めたようだ。
あんまり気持ちよくない。

中部横貫公路
[延々と崖に這いつくばりながら道は続いている]

雄大な山並み
[雄大な山並み 崖崩れの爪痕も]

ほとんど人家のない原生林の中をバスは走る。
崖に這いつくばったような道で、時々素掘りのトンネルもくぐる。
途中から乗ってくる乗客はなく、バス停そのものもないようだ。

5時半、天祥に到着。ここで30分休憩。
渓流の対岸、岡の上に中国風の赤い多重の塔が立っていて、そこまで行ってこようかとも思ったが、下から写真を撮るだけにしてバスに戻る。

天祥
[太魯閣峡谷の終点 天祥]

ここ天祥は台湾を代表する観光地太魯閣峡谷の終点に当たる場所で、このバスが本日最終の花蓮行きとなるのだから、多くの観光客が乗り込んできてよさそうなものだけれど、やはり誰も乗ってこなかった。
天祥にしてもたくさんまだ観光客は残っていたし、観光客がいないわけではなく、当世の台湾では観光旅行に出かけられる人は、自家用車を持っており、クルマで観光に出かけるのだろう。
そしてバスに乗るのは自家用車を持っていない人たちだけになったということではないだろうか?
こんなに乗車効率が悪ければ、そのうちにこの路線は廃止されてしまうのではないだろうか。

立霧溪
[大理石の峡谷を流れる立霧溪]

天祥から先、薄暗くなってきたとはいえ、太魯閣をバスの窓越しに眺めることができた。
さすがは台湾を代表する景勝地で、大理石の峡谷は何度来ても素晴らしいが、以前に比べると、峡谷の断崖にノミで筋を引いたような隘路が、ずいぶんと整備され、危険な場所はトンネルで抜けるようになっていた。
安全で快適になったわけだが、太魯閣の魅力は危険と隣り合わせのスリルだっただけに、ちょっと物足りなさを感じた。

太魯閣峡谷
[まだこうした粗削りな場所も残っている]

太魯閣峡谷
[せっかくの景観が上手く写せていなかった]

太魯閣峡谷沿いからは何人かの乗客を拾った。
一組のは中国語を話していたが、あとは外国人観光客であった。
花蓮の町が近づくと地元の人たちもバスに乗り込んでくるようになった。
幹線道のバイパスではなく、旧道で集落を一つずつ回る運行をしているのも乗客をかき集めるためのようで、花蓮を目前に時間がかかりはじめ、花蓮到着は7時過ぎになっていた。

降りた場所は花蓮の旧鉄道駅前にある花蓮総站である。
以前は立派なバスターミナルがあり、前のロータリーには蒋介石だかー孫文だかの銅像が立っていた。
しかし、いまはすべて更地になっており、銅像もなければバスターミナルもくなり、簡易なバス停の標識が一本立っているだけに成り下がっていた。

予約してある富凱大飯店は歩いてもすぐの場所にあった。
チェックインしてエレベーターで上へ昇る。
やたらのんびりしたエレベーターだった。
部屋は9階でツインベッドの狭い部屋であった。
しかし、WiFiが使えるのはありがたかった。

富凱大飯店の部屋
[清潔だったけど 窓のない部屋でした]

ネットが使えたので花蓮に来たら食べておこうと思っていた液香扁食というワンタンの名店の場所を確認することができた。
ここのワンタンは以前にも一度食べにいったことがあったが、名店とはいっても路地の奥にある目立たない店で会った記憶がある。
ネットで確認したらやはり大通りから横道に入ったところと表示されていた。

宿からは中正路というにぎやかな通りを歩き、10分ほどでたどり着けた。
早速注文。
一人前65元で、前金制。
カウンターでお金を払ってテーブルで待つと使い捨て容器に入ったワンタンが運ばれてきた。
ワンタンは箸を使わずにレンゲスプーンだけで食べるようだが、ワンタンも具がしっかり入っていて、一口では食べきれないサイズのようだ。

液香扁食のワンタン
[台湾一旨いとも言われる液香扁食のワンタン]

カバンの中に忍ばせてきた紹興酒を取り出し、やはり使い捨ての紙コップに注いでワンタンを食べながらクイクイやる。
ワンタンは白くて柔らかな皮で豚肉をたっぷり包んであり、確かに美味しい。
以前に来たときはずいぶんと薄味だったような記憶だったが、今回食べてみたら、味はかなりしっかりしている。
また、以前は蒋経国総統が来店した時の記念写真などを飾っていたが、今は馬英九総統の記念写真になっていた。
壁の写真の馬総統も今度の20日に総統に就任する民進党の蔡英文新総統に変わるのだろうか?
なお、この店食べていく人よりも冷凍にしたワンタンを土産として買い求めに来る人の方が多いようだ。

液香扁食店
[路地裏のどこにでもありそうな店構えです]

ワンタンを食べ終わって店を出たらば土砂降りの雨になっていた。
雨の中、折り畳みの傘を差しながら夜の花蓮の町を歩く。
特産の大理石などの加工品を土産物として売る店は昔通りたくさんある。
また、もともと観光客相手の商売が中心の花蓮の町なので、土産用として芋餡を使ったお菓子の店も多い。
中には戦前からあるというヱビスという店などは、戦前のノスタルジックな雰囲気を演出しているところもある。
また店の職人の姿を大きく描いた「炎の料理人」のような店もあった。
猫グッズの店もある。
ワンタン屋も町のあちこちにある。

ネコグッズ屋
[花蓮にもネコグッズの店があった]

猫眼玉
[猫眼玉 ネコの目玉を売っているわけではありません]

雨でズボンが濡れる。
靴も水が浸みてきて、グチャグチャ、びしょびしょ。
先ほどバスを降りた先が観光夜市になっていたが、この雨で観光客の姿はあまり多くないようだ。
その観光客もほとんどが中国大陸からの観光客のようだった。

観光夜市
[花蓮の観光夜市 中国人観光客だけ「雨にも負けず」]

もう少し何か食べようかとも思ったが、早く帰ってシャワーを浴びたくなったので、宿へ戻ることなした。
途中、コンビニで豆乾という豆腐の加工品のような台湾スナックを買う。
この豆乾はシャワーを浴びた後、紹興酒や粟酒のお供としてつまむ。

あぁ、本当に今日はよく歩いた。
明日あたり筋肉痛になりそうだ。
雨にも濡れたし、今夜あたりゆっくりお風呂にでも浸かりたいと思うのだが、今夜の宿にはシャワーしかない。

富凱大飯店の浴室
[もともとはバスタブもあったんだろうなぁ、、]

後編へ続く

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