■かれんだー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<前月 2024年03月 次月>>
■直近記事 20 ■
■コメント■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■2001-2004年の記録■
■ぶろぐ主宰者■
■ぷろぐらむ拝借■
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■その他■
 
■あどみん■
ADMIN ID:
ADMIN PW:

好きになった街、ピサヌローク
3月になり医師から車の運転の許可が下りました。
バイクはまだ2か月くらいはダメと言うことで、どうして車が良くてバイクがダメかと言うと、バイクは首を動かすからだとのことでした。
まだ首の周りのギブスをはめたままなので、シートベルトをしてしまうと、横を向くことさえできません。
できることは、目玉を動かすくらいで、後方確認はミラーが頼りです。
なのでバックをするときは、後方の確認がよくできずヒヤヒヤものです。
たぶん、日本ならこんな格好では車の運転などNGなんだろうと思います。

しかし、そこはタイで、もともと後方確認などの習慣を持たないドライバーばかりの土地ですから、私も「郷に入れば郷に従え」で許可を受けた翌日からハンドルを握っています。
そして、入院中から考えていたプランを実行に移すべく、活動を開始し始めました。

活動の一環として、先日から2度ほどピサヌロークへ2度ほど往復してきました。
ピサヌロークは東西経済回廊プロジェクトで、ベトナムのダナンからラオス、タイを横断してミャンマーのヤンゴンへ抜ける物流拠点として注目され「インドシナの十字路」などと呼ばれています。
また、日本の新幹線をバンコクからチェンマイへ走らせるプロジェクトでは、その第1期工事はバンコクからピサヌロークまでらしい。

なんとなく、大型プロジェクトが重なって、活況を呈していそうな土地がピサヌロークで、新聞などの報道では地価が急上昇しているのだとか。

私も10年以上前に、なんどかピサヌロークを訪れたことがある。
タイのどこにでもあるような地方都市であった。
都市と言ってしまうと、日本の感覚でとらえられてしまい、誤解されそうな気もするくらい田舎であった。
さて、そのピサヌローク、どれだけ発展しているだろうかと期待もしていたのだけれど、開発プロジェクトというのはどこの話だとでも言わんばかりに、昔のままの古い町並みそのままが残っていた。

日本人にとってはあんまり馴染みのないピサヌロークという街、田舎だけれど、好きになってしまいそうです。

ピサヌロークで宿泊したホテルは、駅から近いアマリンナコンと言う「老舗」ホテル。
何十年も前からある古いホテルで、今回はブッキングドットコムというサイトから予約した。
値段はゲストハウス並の420バーツ。
8階の部屋は、比較的広めのツインベッドルーム。
バスルームにはバスタブもあり、水回りも悪くない。
しかし、スイッチを入れても点灯しない照明が複数ある。
つまりメンテナンスをしていないのだろう。

アマリンナコンホテルの部屋
[シーツなどはきれいだし清掃もちゃんと入っている]

ピサヌロークの街の業界の人に聞いたら、このホテルは最近ビアチャーン系列のTCCに買収されたのだそうだ。
TCCと言えばタイ国内にある多数の主要ホテルを所有する不動産開発会社で、一流どころのホテルが揃っている。
タイの一流ホテルのほとんどがこのビアチャーンのTCCか、ピザチェーンのマイナーの所有になっている。
そんなTCCに買収されたこともあり、街の人たちも、この古いホテルがどんな姿に改装されるのか楽しみにしていたようだけれど、いまのところ改装は全然されていない様子だ。
私としては、改装して値段が上がるより、電球の1つや2つ点かなくても、値段の安いことを歓迎したい。

アマリンナコンホテルの入り口
[入り口はなぜか表通りに面しておらず、横道から入る]

2度目に泊まった時は、2泊したのだが、2泊で684バーツと、一泊当たりで前回より2割くらい安くなっていた。
そして部屋は9階になり、部屋のメンテナンスも良くなって、スイッチを入れればほぼ全部の照明をつけることができた。

ネットコーナー
[館内では無料のWiFiも使えるが、ロビーの横にはネットPCも用意されている]

そして、最初は気が付かなかったのだけれども、朝はコーヒーのサービスがあった。
最初はまったく人気のない朝食会場だなと思っていたのだけれど、ホテルでは朝食のサービスはしておらず、その代わり朝食会場にインスタントコーヒーとビスケットを用意してあり、宿泊客が勝手に利用できるようになっていた。

ビケットとコーヒー
[最近、タイ式の宿ではこの手のサービスが多くなっているらしい]

朝食会場とは別に、レストランもあり午後から深夜までの営業で、月曜日は休みと札がかかっていたが、一度も営業しているところを見たことかないので、朝食同様に食事の提供はしていないのではないかと思った。

名前だけの朝食会場
[この朝食会場とは別にコーヒーショップがあるが営業していないらしい]

では、このホテルには飲食サービスが皆無かと言うと、ルームサービスはちゃんとあるようで部屋にはルームサービスのメニューが置かれており、廊下には下げられた皿などが出されていた。
そのルームサービスの料金の安いのには驚いた。

炒飯や挽肉のバジル炒めライス(ガパオライス)が50バーツ
チーズカツレツ風のコルドンブルーが一番高くて180バーツ
最安値は目玉焼きの10バーツ
しかも、税金・サービス料込の値段である。

ルームサービスのメニュー
[ルームサービスなれど料金から言ったら屋台並み]

安いのはホテルの中だけではなかった。
近くの市場の前でカオマンガイを売っていた。
油紙に包んでくれる昔ながらのテイクアウトの屋台で、朝食用に一包買ってみた。
ちゃんとビニールの小袋に入ったタレとプラスチックのスプーンまで付いて、たったの10バーツ。
もう、感動の領域を超えている。
バンコク市内でカオマンガイは安くても40バーツくらいはする。
もちろん、一包に入っている分量は多くはないけれど、それにしても安い。
味も悪くない。

10バーツのカオマンガイ
[ちゃんとキュウリも付いている]

ピサヌロークの名物料理として、ピサヌロークヌードルと言うのがあるようなのだが、何が特別なのかよくわからなかったけれど、土地の人によればピサヌローク特産のインゲン豆を入れて食べるのが特徴とのことらしい。
そして、このピサヌロークヌードルと言うかクオッティオを食べさせる店や屋台はあちこちにあり、地元の人たちは「メン喰い」が多いようだ。
私もピサヌロークヌードルのパッタイ焼きそばをごちそうになったが、確かにインゲンが一緒に炒めてあった。
他の地域のインゲンと比べて、日本のインゲンのように柔らかいインゲンであった。

しかし、ピサヌロークは夜の早い街のようだ。
都市と言うからには、深夜遅くまで人通りがあり、飲食店がにぎわっている印象だが、最初にピサヌロークに着いたのは夜も10時過ぎであった。
さて、空腹を抱えてホテルの外へ出てみたのだが、まったく飲食店が見当たらない。
飲食店どころか、人影もまるで見かけない。
ホテル周辺は華僑の多い一角のようで、軒には赤い提灯がぶら下がり、「旅社」と看板を掲げている宿屋も多い。
まるで深夜に台湾のどこか裏町を歩いているような印象を受けた。
いや、現在の台湾ではなく、何十年も前の台湾の裏町のようだと訂正しておこう。

深夜の時計塔
[街の真ん中にある時計塔もひっそり]

静まり返った通りの一角に、1か所だけ大きな音を立てているところがあった。
1950年代風のパブで、若干の西洋人と地元の若い連中が集まっている。
バンドの生演奏があり、嬌声が響く。
若い連中の乗り付けたバイクが店の前に溢れている。
バンコクのパブなら外車や大型バイクだろうが、ここではカブとスクーターばかりである。
それでも、地元の若い連中にとっては、精いっぱい背伸びをした場所なのだろう。

深夜ににぎやかなのは、この若い連中だけではなく、電線のムクドリのような鳥たちも姦しかった。
道路沿いの電柱を結ぶ電線には、無数の鳥たちが止まっている。
街の中のどこか1か所に群がっているのなら、バンコクをはじめ東南アジアのどこでも見られる光景だが、ピサヌロークはその電線のほとんどすべてに鳥が止まっている。
それもおびただしい数が、これだけたくさん集まれば、寝苦しくもなるのだろう。
鳥たちは静かに眠っているわけではなく、眠れずに起きているようだ。
それで夜中にもかかわらずピーチクやっている。
さらにフンもする。
なので、電線の下の路面には電線に沿って白く長い鳥のフンの堆積が続いている。
私も不覚にもその直撃を受けてしまった。
夜のピサヌロークを徘徊するときは、電線の下を避けて歩かなくてはいけないと学んだ。

電線には鳥たちが密集
[ここの鳥たちは夜寝ないのだろうか、一晩中騒いでた]

夜の早いピサヌロークだけれど、県では観光の目玉として、世界最長のフードストリートをナーン川沿いに展開する計画らしい。
街の真ん中を流れるナーン川は、大きな川で、昔は筏を組んだ上に小屋を作って暮らす水上生活者がたくさんいたそうで、その名残として今でも川の上に筏を浮かべてレストランにしているところがある。
その川沿いに遊歩道を整備して、夜ごと食べ物屋台を集めて延々数キロに及ぶフードストリートを展開するのだそうだ。
これは県知事から直接話を伺ったことで「バンコクのヤワラート以上にするんだ、どうだ、すごいだろう、面白そうだろう」と言われたが、川沿いの空き地に遊歩道を整備するのは簡単だろうし、仮にたくさんの屋台を集められたとして、世界最長となるほどのフードストリートを埋めるだけのお客をどうやって呼ぶのだろうか?
地元以外の人が来るには、車を止める駐車場も必要だし、それに大都会だからこそフードストリートも活気が出るものだろう。
田舎では、乾期にお寺の境内や水を抜いた田んぼで行うお祭りに毛を生やすのが限界ではないだろうか。

しかし、世界最大になる前の今でも、ナーン川沿いにはナイトバザールがあり、夜店が数百メートルも並んでいる。
その南端にはオープンエアの食堂もあり、ここには名物の「空飛ぶ空心菜炒め」がある。
私としては、世界一にこだわるより、今でもある程度の知名度をもつ「空飛ぶ空心菜」を売り物にして、現在のサイトバザールを拡張する方が現実的だと思うが、タイの社会では、一介の市民が県知事に物申すなど恐れ多いことのようで、私は私のプランだけ申し上げて、知事の計画は拝聴だけさせていただいた。

空飛ぶ空心菜の店
[空飛ぶ空心菜は作り方もパフォーマンス性いっぱい]

ピサヌロークで知名度のあるものとして、タイ人ならみんな知っているチナラート仏という仏像がある。
日本人はあんまり関心がないかもしれないけれど、金色の美しい、失礼ながらニヤケた顔の多いタイの一般的仏像と比較して、端正な顔立ちをしている大きな仏像である。
タイでもっとも美しい仏像だそうで、この仏像をバンコクに持って帰ろうとしたラーマ5世の話も博物館で聞かせてもらって面白かった。
なんでも、他の仏像たちも多くが、ラーマ5世に見込まれて、バンコクへ連れ帰られ、バンコクの一流どころのお寺へ遷座させられていたが、この仏像だけは、ピサヌロークの人たちが、どうかこのままでと懇請したりもしたが、当時の絶対王政下では、聞き入れられることもなく、寺の前のナーン川でバンコクへ下る船に積み込まれ、いざ出発となった時、チナラート仏は涙を流した。
それを見たラーマ5世は、この仏像を連れ帰ることを断念し、レプリカを作らせることを命じ、そのレプリカはバンコクの大理石寺院に安置されている。
なお、そのレプリカに金箔を貼る当たってはツルハラと言う工芸を教える先生が招へいされたそうだ。

チナラート仏
[礼拝堂の外から望遠で撮影]

チナラート仏が安置されている礼拝堂内でのチナラート仏の写真撮影は禁止されているのだけれど、参拝者たちは携帯電話での自撮り盛んに写真を撮り合っている。
もともとは信心深い人たちなので、「写真撮影禁止」と貼り紙をするより、「写真撮影すると御利益が無くなる」とでも書き出しておいた方が効果があるのではないだろうか。
チナラート仏も良かったけれど、礼拝堂内の壁面に描かれたフレスコ画もなかなか見ごたえがあった。

礼拝堂内のフレスコ画
[仏様の物語を描いたフレスコ画が見事であった]

チナラート仏のあるプラシーラタナマハタート寺院にはクメール様式の仏塔もそびえている。
高さはワットアルンの半分ほどではあるが、スタイルはそっくりである。

クメール式の仏塔
[急な階段で、筋肉痛になります]

ピサヌロークの街を歩くと、他にも寺院が多く、遺跡のような仏塔も見かけたりする。
ナーン川の向かい側にもアユタヤ時代の宮殿跡があり、県では発掘と復元に力を入れており、立派な博物館まで建ててあった。
ピサヌロークはスコタイ時代から続く街ではあるけれど、街としての重要性はアユタヤ時代だったようで、特にアユタヤの王朝でも有名なナレースワン王を輩出したことは今でも街の人たちの誇りのようだ。
博物館の中でもナレースワン王に関する展示はかなりの部分を割いていた。
ナレースワン王は最近も映画化され、二枚目俳優が演じるなどして、タイ人の間ではナレースワンは男前の凛々しい顔立ちと思われ、銅像もそれに倣っているが、博物館の館員さんの説明によると、実はナレースワン王がどんな顔をしていたかは、当時の肖像画などは残っておらず、わかっていないのだそうだ。

町なかの遺跡風仏塔
[こんな仏塔が平然と町なかに点在する]

博物館では別に民族博物館のようなものもあり、そちらは個人の収集品を集めた博物館のようで、規模はあまり大きくない。
展示物も最初見たところ、あんまり一貫性がなく、ガラクタに近いようなもの、または古道具屋から持ち込んだものが並んでいるようにも思えてしまった。
1980年代のラジカセやブラウン管式テレビなど、まだ博物館に展示するには100年早いような気がした。
物は正直なところ、大したことはないように思えたが、農民の生活道具や写真、解説はなかなか面白かった。
また、ピサヌロークの街の歴史解説もガイドブックの説明の領域を超えており、郷土史として面白かった。

民族博物館
[民族博物館もそれなりに面白かった]

ひょんなことから、ミス・ピサヌロークを選ぶ会場へ行くことになった。
あんまり興味もないのだが、VIP席に座らさせられ、きついメーキャップで居並ぶ女性たちが、選考過程でふるいに掛けられ、絞り込まれていく。
誰が一番美人かと聞かれても、うーんと唸ってしまう。
でも、タイの人たちはこの手のミスコンが大好きなようだ。

ピサヌローク美人?
[ずらりと並んだミスピサヌローク候補]

会場となるセントラルプラザという巨大なショッピングコンプレックスの中央ステージをたくさんの人が取り囲んでいる。
なお、このミスたち、とにかくみんな背が高い。
ほとんどが175センチ以上。
バンコクでもこんなに背の高い女性は見かけないのに、ミスコンの条件は背の高さではないかと思えてしまう。
対象者が3人に絞り込まれ、グランプリ前のミスフォトジェニックだの、ミススイムスーツだのの表彰が行われる。
表彰台で、賞状や副賞を手渡すスポンサーは男性が多いのだが、長身のミスたちはハイヒールまで履いているので、男性がやたらとチビに見える。

ピサヌロークのミスコンテスト
[みんなとても背が高い]

私が宿泊したホテルはアマリンナコンという安ホテルであるが、市内にはちゃんとしたホテルもいくつかある。
そのなかで、これなら良さそうだと思えたのは、ナーン川を渡ってすぐのグランドリバーサイドというホテルで、バンコクでも四つ星クラスのホテルに相当しそうだ。
ただし、プールはなく、スパもないそうで、マッサージのサービスは他所からマッサージさんを呼んでくるのだそうだ。
川沿いの部屋と、そうでない部屋があり、眺望の差は大きいが、料金はどちらも一緒とのこと。

グランドリバーサイドホテル
[いちばん整った感じのホテルでした]

館内には大きなレストランがあり朝食はブッフェを出しているそうだが、ホテルの敷地内にこれはテナントなのだろうけれども日本食のレストランで"AIKO"と言うのがあった。
女性の名前を店名に付けるタイプはバンコクでは、居酒屋とか風俗系に多いが、見たところ普通のレストランであった。

Japanese Restaurant Aiko
[AIKOだけど、鯉のぼりにまたがって刀を振り上げてる絵が、、]

バンコクでも日本食はブームとなっているけれど、ピサヌロークでも街のあちこちで日本風の料理を出す食堂や屋台を見かけた。

町なかの寿司屋
[すでに閉店時刻を過ぎて店じまい後の寿司屋]

ピサヌロークの駅は、タイの鉄道駅としては珍しく、街の真ん中に位置している。
将来新幹線の駅になるとはとてもではないが想像できないくらい小さな可愛らしい駅があり、駅前ロータリーにはSLが置かれている。

駅前ロータリー
[SLは整ったスタイルからイギリス製と思われる]

また、カラフルなトゥクトゥクが客待ちをしており、人力の自転車サムローがゆっくりと走り抜けていく。
市場では生鮮食料品が売り買いされ、まだ毎日の買い物はスーパーなどより市場が中心のようだ。
季節でもありマンゴーが安くて立派なものが揃っている。

カラフルなトゥクトゥク
[カラフルで可愛らしいトゥクトゥク]

路上の朝市
[マンゴーは1キロ20バーツ~35バーツと格安]

街から車で10分ほどのところに空港があり、LCC3社で毎日バンコクとの間を7便が往復している。
その空港には、オリエントタイ航空が放置したらしいジャンボジェットが野ざらしになっていた。
翼からはエンジンは取り外されて、汚れなのか錆なのか、白い機体がだいぶ黒ずんでいる。
オリエントタイ航空はJALのリゾッチャなどの中古を飛ばしていたが、この可哀そうな機体も、かつてはJALの飛行機だったのかもしれない。

放置されたジャンボ
[飛べないまでも、なんとか活用できないものだろうか]

最後に、よく意味が分からないのだが、パイリンホテル近くの空き地に黄金色をした巨大ナマズが放置されていた。

誰が何の目的で金の大鯰を作ったのか
[愛嬌のある顔をした黄金の大ナマズ]

| https://chiangmaikk.com/blog/index.php?e=99 |
| 日常 | 09:15 PM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑