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秋の一時帰国メモ
9月30日から一時帰国してきました。
毎度あまりにもマンネリな行程で、ここに書いても前回分をコピペするだけになりそうだし、携帯電話で写真を撮る気にもならず、実際ほとんど写真を撮っていない。
今思えば、写真に残しておいても良かったかなと思う場面もいくつかあったように思われ、これはただ私が不精だったための言い訳に過ぎないように思えてくる。

もう一時帰国してから三週間も過ぎてしまい、記憶も曖昧になり始めているけど、思いつくままにメモのように書き残してみる。

出発の二週間くらい前から、右側の肩甲骨あたりに痛みを感じるようになっていた。
ふだん肩こりなどのない体質で、何時間でもパソコンと睨めっこしても、なんともなかったものだが、今回はひどい肩こりのような症状になった。
肩の筋肉がゴリゴリと固まってしまっているのがわかる。
寝てても、痛いし、オフィスのエアコンの風が当たると、とても苦しい。
出発前に、筋肉痛の軟膏を薬局で買って塗ってみると、少し症状が緩和される感じだ。

そんな状態のまま、いつもの朝早い中華航空に乗って、台北経由で成田へ。
バンコクの中華航空のラウンジはまだ改装工事中とかで、CIPラウンジへまわされる。
ここで朝食を食べさせてもらったわけだが、前回利用したとき以上にサービスのレベルが落ちいてる。

機内では映画を見る。
「ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど」と言う日本人と台湾人のカップルのお話。
特別映画にしなければならないような内容ではなく、フェースブックで知り合った日台の男女が、軽いノリで日本と台湾を行き来しながら、ママに日本へ嫁ぐことを了解させてパッピーエンドと言うもの。
実話が元になっていると言うことらしいのですが、こんな軽いノリで結婚してしまって大丈夫なんだろうかと他人事ながら気になってしまったというのが私の感想です。
でも、こんなストーリーで映画ができてしまうというのは、現在の日本と台湾の国民レベルで良好な関係にあるということなのだろうかとも思えた。

機内で見た映画
[映画のタイトルがやたらと長いけど、ストーリーはそれほど複雑ではなく、わかりやすい]

台北の空港での乗り継ぎ時間を利用してラウンジで昼食を食べる。
ここまでの機内で機内食も食べているので、空腹と言うわけではないけれど、立ち寄ったからにはヤハリ何か食べておきたいと言うケチな発想。
ここのラウンジでは駅のホームにある立ち食い蕎麦のようなカウンターで麺類を提供している。
麺類も台湾の屋台で提供していそうなラインナップで、特に「牛肉麺」が一番人気で、ほとんどの人が牛肉麺を注文している。
ここの牛肉麺が特別に美味しいかどうかは私にはわからないが、たぶん立ち食い蕎麦屋で「天ぷらそば」を注文する人が多いのと同じ感覚ではないかと思う。
その麺類カウンターのメニューに「炸醤麺」があるのを発見。
炸醤麺は大好きなので早速注文。
味の方は、平均点と言ったところだったが、ボリュームはかなりのもので、立ち食い蕎麦の二倍くらいはありそうだった。

炸醤麺
[炸醤麺、欲が深いので飲茶とビールもいただく]

台北から成田までの機内では、イヤホンで「東洋金曲」を聴く。
1970年代からの日本の歌謡曲を集めたものなのだが、2時間近いプログラムの中にはキャンディーズも一曲入っていた。
入っていた曲は「暑中お見舞い申し上げます」
夏らしい歌謡曲を集めたということで紹介されていたが、9月末なので少し違和感があったが、キャンディーズ解散からもうじき40年になるのに、こうして聴くことができるとはうれしい限り、もう一回聴きたいと思っても、機内の音楽プログラムに早送りや巻き戻し機能はなく、また二時間待たなくてはならない。
辛抱強く待っていたが、もう少しというところで成田に着陸してプログラムは終了してしまった。

10月1日(日曜日)
母の眠る小平霊園では毎年10月1日に「献花式」と言うのを行っている。
母が逝ってもうすぐ8年となるが、その間に献花式に参加したことは一度もなく、今回は上手く日程があったので、弟と2人で献花式に臨んだ。
天気にも恵まれて、たくさんの人が午後2時からの献花式に参列していた。
ただ、献花式そのものは、静かな音楽が流され、霊園管理者のスピーチの後に、参列者が献花するだけの内容で、宗教的な色合いもなく、淡々と進められ、献花が終わった人から解散と言うものであった。
線香を供えたい人は献花式の後でと言うことで、それも混雑防止のため、一人三本までという決まりらしい。
私たちも延々と順番を待ち、黄色と白の菊の花を献花台に供えて、ほんの少し手を合わせて解散となった。
弟の車で送ってもらい、夕食時にまた会うことに約束して分かれる。

彼岸花
[昨年の秋に一時帰国したときは彼岸花が満開だったが、今年はこの一輪しか見かけなかった]

献花式がさっさと終わってしまったが、まだ日も高く時間があるので、裏の草むしりをする。
夏の間中、雑草の生えるがままに放置されていたので、すごいことになっている。
春先に花壇を作ったりしていたはずが、跡形もなくなっている。
ノウゼンなどは伸び放題で、まるで蔦のように壁面に張り付いている。
もともとは白い花を咲かせて楽しませてくれていたのが、知らないうちに、誰かに刈り取られてしまった。
しかし、その地下茎は生きていたらしく、まるで猿かに合戦で、サルに潰されたカニのお母さんから子カニたちが出てくるように、刈り取られたノウゼン周辺から新たなノウゼンが伸び始めた。
ちゃんと、きちんと伸びるように棒で支えてやれば、また綺麗に花を付けてくれるだろうけれども、無秩序に伸び始めてしまっては雑草と同じ。
しかも、建物の壁面を這い登ってきてしまうようでは、かわいそうだけど駆除の対象で、引っこ抜くしかない。
が、ノウゼンの地下茎はずいぶんと深いようで、抜いたつもりでも根が残ってしまう。

ノウゼンを初め、ドクダミなど手当たり次第に引っこ抜いて集めたところ、ちょっとした小山ができてしまった。これをゴミとして出したいところだが、ゴミの処分も有料と言うことだし、当面そのまま放置しておくこととする。

夕方、バスを乗り継いで弟と待ち合わせている新青梅街道沿いにある中華料理屋へ向かう。
「山城」と言う名前の四川料理の店で、私たちが子供のころから時々自転車に乗って食べに行っていた。
田無と言う田舎町にあって、なかなか本格的な料理を出す店で、高級感のある大きな店であったが、バブルのころにファミレスに変わってしまっていた。
それでも、そのファミレスの駐車場の一角に、簡易建築のラーメン屋のようにして山城は残っていたようで、現在はファミレスも回転寿司のチェーン店になっていたが、やはり駐車場の一角で四川料理を出していた。

子供のころ、家族三人で来たときと同じように、餃子やチンジャオロース青椒牛肉糸、紅焼蝦仁、麻婆豆腐などを注文、母が好んで飲んでいた紹興酒も注文するが、角瓶はなく中国の丸瓶しかなくなっていた。
料理の味付けは、昔のままのようだったが、盛り付けは少し寂しくなっているようにも感じた。
弟を含めて四人で食べた勘定は、ラーメン屋の中華料理ではなく、いっぱしの中華料理屋の金額となった。
それでも、まずまず繁盛しているようなので、いつかまた以前のような店に戻ってくれるのではないかと期待をしたい。
帰りはタクシーを呼んで帰る。

10月2日(月曜日)
網戸の張替えをする。
何年も網戸を張り替えていないので、ところどころ穴が開いてしまっていたりする。
日曜大工センターで網戸用の網と網を押さえるゴムを買おうと思ったのだが、日曜大工センターの売り場でいざ買おうとしたら網を押さえるゴムには何種類がサイズがあることをはじめて知り、はてさて我が家の網戸にはどのサイズだろうかと迷って、再び家に戻る。
家に戻る途中、商店街を抜けると、一、二年ほど前だったかに店じまいしてしまったたこ焼き屋が開いていた。
営業再開したのかと期待をして覗いたが、以前とは別の経営者になったようだ。
以前ここのたこ焼きは、一般的なたこ焼きとはずいぶんと違って、タコがほとんど入っていないタコなしたこ焼きだったが、とにかく子供の駄菓子のような値段であった。
ここで育った私にはとても懐かしいたこ焼きだったので、営業再開かとぬか喜びしたが、どうやらかつてのタコなしたこ焼きではなく、ちゃんとタコの入ったたこ焼きなのか、値段のほうも駄菓子のレベルではなく、一皿500円ほどとなっていた。

ゴムのサイズを確認して、出直して、網戸の張替えを行う。
難しい作業ではないけれど、何枚もの網戸となると結構時間もかかる。
途中で網が足りなくなったりしてまたしても日曜大工センターへ走る。
バンコクのアパートの網戸もネコが引っかいたりして穴だらけになっているので、そっちの方も近いうちに張替えをしなくてはと思う。

夕方からは大泉の家の管理をしてくださっているSさんと居酒屋で一献する予定になっている。
待ち合わせは東久留米の駅。
そこまでのんびり歩いていく。
小学校一年生まで住んでいた第五都営住宅の跡地では、保育施設の建設が始まっていた。
もうずいぶんと昔に都営住宅は更地となり、立ち入り禁止の柵まで立てられていたのだが、再開発はずっと行われないままだったけれども、とうとう保育施設を建設することになったようだ。
更地になっていても、二軒続きの木造家屋が坂道に並んでいた当時の雰囲気は、段々畑のような更地から彷彿とされたのだが、いまはすっかり掘り起こされ、坂道になっていたことさえ嘘のような光景になってしまった。

前回まではSさんが仕事帰りでも立ち寄りやすい保谷駅北口にある居酒屋を利用していたのだが、Sさんによると、その居酒屋は店じまいしてしまったと言うことらしい。
一時は居酒屋ブームであちこちにチェーンの居酒屋が乱立していたけれど、ブームは去ったと言うことなのだろうか。
6時から東久留米駅前の居酒屋で、話を弾ませて、ビールや熱燗をクイクイとやる。
なお、居酒屋のアルバイト店員さんは若い女の子であったが、私が「熱燗の銘柄は何?」と聞いてもきょとんとしていた。
中国人のバイトではないようなのだが、どうやら「熱燗」と言う日本語そのものを知らないのか、それとも現代の若者の世界では「熱燗」という酒の飲み方が廃れてしまっているのか、彼女は熱燗を知らないらしかった。
質問したはずのこちらかに熱燗について説明した後、出てきた二合徳利もどうやら電子レンジで温めたものをそのまま持ってきたようで、徳利の上のほうは熱くなっているのに、腹のほうは温いままであった。
熱燗をつけるという文化も絶滅の危機に瀕しているらしい。

10月3日(火曜日)
妻は初台にある病院へ週二回通っている。
それも初台にある病院を二軒はしごしているので一日仕事になっている。
わざわざ自宅から遠い初台まで行かなくても良さそうなものなのだが、意見をしてもろくな結果にならないだろうことはわかりきっている。
そこで、初台までラビットスクーターで二人乗りしていけば、半日で回りきれるかと考え、朝の渋滞も解消された9時ころに自宅を出る。
初台まで一時間もあれば着けるだろうけど、心配なのは途中でコンコしてしまわないかと言うこと。
とにかくもう50年もたっている老朽スクーターであり、しかも整備をしていないので、いつ動かなくなっても不思議はない。
走り始めてしばらくすると、エンジンの吹き上がりが鈍くなってきた。
どうもまた燃料系統が目詰まりを起こして充分なガソリンがエンジンへ届かなくなっているようだ。
だましだまし走ってきたが、青梅街道は高円寺あたりでとうとうエンジンは停止してしまった。
歩道へ乗り上げて、燃料パイプにポンプで空気を吹き込んで目詰まりを押し出す。
パイプから押し出された目詰まりの原因はまた燃料タンクに流れ込んでいるだけだから、いずれまた同じトラブルに見舞われるだろうけど、当面はこれで回避。

妻が病院で診察を受けている間に私は甲州街道沿いの銀行を2軒ほど回る。
幡ヶ谷駅周辺には、エスニカルな食堂が何軒もあった。
これは幡ヶ谷駅だけでなく、都内のどこの駅前でもそうなのかもしれないが、タイ料理やインド料理などラーメン屋と同じくらいたくさんある感じだ。
それほどエスニカルな料理が日本で市民権を得始めているのだろうか?
元祖棒餃子なんて書かれた看板もある。
ちょっと立ち寄って摘んでみたいところだが、一人だけ先に昼食を食べてしまうと言うのも気が引けたので、病院前の公園へ戻って、鳩を眺めながら時間を潰す。

夕食は自宅で食べる。
秋刀魚を焼き、スーパーで買ってきたコロッケをつまむ。
コロッケは好物であるが、揚げ物の油が気になるので、摂取は控えるようにしている。
それにバンコクではコロッケが一般家庭向け庶民の味方的な惣菜に含まれていない。

10月4日(水曜日)
もうバンコクへ戻る日となってしまった。
朝一番に自転車に乗って墓参りを済ませる。
依然として右肩が痛い。
日本で風呂に入れば治るのではないかと期待をしていたが、ちっとも良くなったような感じはない。
それに今回は銭湯に行く機会を逸していた。

成田発午後2時半の台北行きジャンボジェット。
どうやら、このジャンボも今回が最後の乗り収めのようである。
来月からのスケジュールから成田線の使用機材としてジャンボが消えてしまっている。
次に中華航空を利用する予定は12月だから、もうこのジャンボに乗る機会もなくなってしまうということらしい。
ジャンボは私が小学校一年生のときに日本航空で飛び始め、クラスで大きなジャンボの絵を描いて教室の後ろに貼りだしていた。
そのときのクラスメートがたぶん機体に"JAPAN AIR LINES"とでも黒いクレヨンで書き込んでいたのを、この子は英語が書ける!と驚嘆した思い出がある。小学一年の私はABCすら知らなかったので、その驚きは今でも覚えているほどだ。
その後、ジャンボも幾世代かを経て、今回搭乗する400形は私が社会人になったころに搭乗した。
初めてこの400形に乗ったとき、トイレでびっくりした。
従来は水洗式と言うか、使用後の便器の中をあんまり綺麗な色ではない水がぐるぐると回って、汚物を洗い流していたが、この機材は初めチョロチョロっと水が出たかと思ったら、ものすごい勢いで空気ごと汚物を吸引してしまう。トイレのドアの隙間からも空気が流れ込んでくるのを感じたほどだった。

ジャンボ
[中華航空のジャンボ、747-400型 これが乗り収めかな]

このジャンボが消えてしまうと、格安エコノミー航空券でジャンボ二階席にあるビジネスクラスのシートに座れるチャンスも消えてしまう。この味を覚えてしまってからと言うもの、成田からの帰り便は絶対に午後2時半の便と決めていたし、座席の指定も早々に済ませていた。それがこれからはできなくなってしまうと言うのはなんとも残念なことである。

広々二階席
[安い航空券代でこのシートに座れるのも今回が最後かも]

座席横の収納スペース
[二階席の良いところは座席横の収納スペース、わざわざ席を立たなくても荷物の出し入れができる]

白身魚の甘酢炒め
[シートはビジネスクラスだけど、機内食はエコノミーです 白身魚の甘酢炒め]

午後2時発の飛行機だと、台北の乗り継ぎ゜時間が4~5時間ある。
これも私にとって楽しみな時間で、台湾に入国して南崁の街をうろつくことができる。
このまたの市場でうどん玉やワンタン、水餃子などのパックを買うのを楽しみにしている。
今夜は中秋節、お月見の日である。
台湾の夜空は雲が多かったが、ときどき丸いお月様が顔を出したくれたりした。
生憎、市場のお目当ての店は営業していなかった。
中秋節なので休んだのか、早仕舞いをしてしまったらしい。
うどん玉を買って帰りたかったが、あきらめるしかない。
カールフールも覗いてみたが、これと言って買って帰りたくなるようなものはなかった。
日本の食品がたくさん売られているが、当然日本より割高で、わざわざ日本からの帰りに台湾で買い込むようなものではなかった。
バンコクでも最近顕著なのだが、台湾のスーパーでも韓国製のインスタントラーメンが幅を利かせ始めている。以前なら「辛ラーメン」くらいであったのに、今では陳列棚を独占するくらいの勢いで増殖している。
韓国のラーメンなど、ボリュームがあるのが取り柄で、あまり美味しいと感じないのは私だけだろうか?
そうそう、インスタントラーメンと言えば、成田空港のラウンジにミニカップヌードルが置かれていたが、今回行ったら、「カップラーメンもありますので係員にお申し付けください」みたいな事が書かれていた。
そして、その通り申しつけたところ、ちゃんとお湯を注いだカップヌードルが運ばれてきた。
これはサービスの向上と考えるべきか、お湯を入れないカップヌードルを日本土産に持ち帰えられるのを防止するためか、はてさてどちらだろうか。

南崁の街を歩いていてやたらと目に付いたのは、家の前でバーベキューをしている人たちであった。
台湾でも庶民街へ行くと、今でも家の前にテーブルを出して家族で夕食を囲んでいる光景を見かけるが、それが今夜はどの家庭もバーベキューをしているのである。
肉やイカ、トウモロコシなど焼いて楽しんでいる。
日本ならばお団子をお供えするところだが、台湾ではバーベキューらしい。
しかし、中華料理でもないバーベキューがもともと中秋節の行事の一つとは考えられないので、そのことを台湾に帰省しているスタッフに問い合わせてみたら、もともとそういう風習とのこと。

中秋節
[中秋の名月、台湾の人たちはバーベーキューをするらしい]

LINE
[台湾出身のスタッフに問い合わせたらこんなメッセージが来ました]

後日、どうにも腑に落ちないので職場の香港出身のスタッフに聞いたら、香港でも中秋節はバーベキューだそうで、どうしてバーベキューになったのかという質問に対しては、「たぶん家族みんなが月夜の下、外に出て食事をするのに、バーベキューが都合よかったからではないか」という回答だった。

台北の空港へ戻って、搭乗までラウンジでまたまた飲食。
もう麺類など食べたくなかったが、パイナップルは思いっきり食べたいと思っていた。
台湾のパイナップルは美味しい。
バンコクでもパイナップルは美味しいが、皮をむき、種をえぐるのが面倒なのでめったに買って食べることがない。
しかし、どうしたことかブッフェのラインにパイナップルは用意されていなかった。
あるのはオレンジと青いグアバだけ。
パイナップルがないのは残念だけど、オレンジを山ほど皿に盛ってムシャムシャと食べた。

お菓子のコーナーに鳳梨酥(パイナップルケーキ)があった。
普通の鳳梨酥と比べるとかなり小さい。
私が食べる程度にはちょうど良い。
その鳳梨酥はまたちょっと変わっていてチョコレートでコートされたものなんかもある。
カロリーが気になるものの、コニャックと一緒に頂戴する。

パイナップルケーキ
[小さなパイナップルケーキ3点盛り 奥にはオレンジの食べかすの山]

バンコクでの入国審査は比較的並ぶ時間も短く、午前2時前にはネコの待つアパートにたどり着くことができた。

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| 日常 | 10:33 AM | comments (0) | trackback (0) |

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