2015,09,13, Sunday
朝から雨が降っています。
それに昨晩から寒気がして、なんだか熱っぽい感じ。 風邪でも引いたようで、ベッドから起きだしたくない。 車での旅行は、好き勝手に移動できて便利だけど、自分で運転しなくてはならないから、体調管理がうまくできていないとつらい。 朝少し遅めに宿を出て、ビルマ(ミャンマー)の国境へ向かう。 しとしと雨も止んで、空には晴れ間も垣間見られる。 ビルマの国境には市場があるそうだけど、どんなものが売られているのだろうか? ビルマのビールや焼酎なんかがあったら買ってみたい。 前回ビルマへメーソットから向かった時は、国境まで急な山道を登っていかなくてはならなかったけれど、こちらの国境は山の中とはいえ、それほど急な山道ということはなくかった。道もきれいに舗装されており、このままビルマまでドライブしたい気分である。 宿を出て30分もかからずにビルマ国境らしい場所に到着。 随分と立派なゲートがあるし、ゲートの手前は国境市場になっている。 まずはゲートまで行ってみる。 ゲートにはダーンシンコンと書かれている。 ダーンシンコンとは、ここの地名らしい。 ゲートの係員にこの先へ行けるか確認してみると、 「行っても何もないよ、ここは国境市場しか見るところないよ」 と言われる。 これでは行けるかどうかの質問の答えになっていないが、この先への車の乗り入れは禁止らしい。 そしてこのゲートは国境そのものではなく、税関と検疫事務所のようであった。 とりあえず、せっかく来たからには国境市場だけでも見ておくことにする。 ビールや焼酎など手に入るかもしれない。 ビルマの特産品らしい翡翠や宝石などを売る店がやたらと多い。 これはタイ北部の国境メーサイでもそうだった。 タイの人たちにとっては翡翠や宝石がお目当てでここまで買い出しに来るのかもしれないが、私には興味のない品物で、素通り。 ようやく見つけたビルマの雑貨食品などを売る店。 玉ねぎやインスタントミルクティー、お菓子などが並べられているが、ビールなどはないとのこと。 ひとわたり眺めてみたけれど、見るからに粗悪品のようで、私に必要なものでもないし土産にもなりそうにない。 蘭を売る店が固まっている場所があり、これはなかなか良かったけれど、買う気はない。 蘭はビルマで育てられて、ここへ持ち込まれて売られているのだろうか、だとしたら先ほどのゲートの検疫所で検査を受けているのだろうか。 薄暗い市場の中では、ビルマからタイ側へ買い出しに来る人向けの雑貨を取り扱う店も目立つ。 調味料や下着なども売られている。 そんな薄暗い市場の中でビルマ風の食堂を見つけた。 なんとミャンマービールの広告付きシートまで張られている。 しかし、ビールはタイに持ち込めないのだとか、 「ビルマへ行けば売っているよ」と教えてくれたけど、簡単に行けそうにないから教えてもらってもしょうがない。 買うものがないならせめて味覚だけでもと、この食堂でビルマ料理を注文する。 ビルマ風パッタイもあるよと言われたが、見たらモヤシ炒めのような料理を大鍋で作っており、こんなもの食べたらますますビールが恋しくなりそう。 注文したのは豚の角煮風ビルマカレーとお茶の葉っぱのようなものの炒め煮をご飯にかけてもらった。 確かにタイ料理とは味付けが違う。 豚のカレーは油っこくて、辛さはそれほどない。 葉っぱの炒め煮は酸味がある。 油っこさが、酸味で中和されるのか、なかなか美味しい。 これで値段は35バーツであった。 再びさっきのゲートまで戻り、係員にまた同じ質問を繰り返してみる。 そしたら「行ってもいいけど、何もないよ」とのことであった。 つまり、この先へ歩いて行くことはできるけど、行っても何もないから無駄だということなのだろう。 無駄な労力などウエルカムで、何もないなら何もないことをこの目で確認してみたいという好奇心が先立つ。 ゲートをくぐってしばらく先に、今度は本当のイミグレーションのようなものがあった。 ここで手続きをしたらビルマへ入って、ビールが買えるかもしれない。 ここの係員に、「この先へ行ってもいいか」と尋ねたら、またもや同じ答え。 「行ってもいいけど、何もないよ」 別にパスポートのチェックをするわけでもなく、フリーパスであった。 ロンジーをはいたビルマ青年がバイクに乗ってさらに奥へと走り去っていった。 私もバイクが消えていった方角へ歩き始める。 このあたりから坂道も急になる。 なるほど国境らしくなってきた。 しばらく歩いていたら後ろからやってきたやはりビルマ青年のバイクに声をかけられた。 そして後ろに乗って行けよと言う。 渡りに船、国境にバイクである。 しかし、ビルマの集落へたどり着く前に、前途は閉ざされてしまった。 タイ語で「ユット」、止まれと書かれた標識の先に国境警備の詰め所があり、バイクから降りるよう指示される。 迷彩服を着た国境警備の係たち、大型の銃器も装備して物々しいが、毒食わば皿までで、三度同じ質問。 しかし、同じ答えではなかった。 「日本人はダメ、タイ人ならOK」とのこと。 ついでなので、タイ人ならバンコクの人でもOKかと質問したら、OKだどのこと。 ビルマ側はまだもう少し先らしいのだが、この遮断機の向こうへは行ってはいけないらしい。 未練たらしくしばらく周辺をうろうろし、ビルマ側から走ってくるバイクを眺めたりして引き返す。 もと来た方向に向かって歩き始めると、カーブした道の先に鉛色の海が見えた。 国境から海岸線までたったの15キロという。 タイでもっとも狭い地形の場所であることがよくわかる。 そして国境が閉ざされているので、これ以上西へは進めない。 ここの国境も早く解放してもらいたいものだ。 そんなことを考えながら歩いていたら、大きなカボチャを満載した三輪トラックがビルマ側からやってきて、私を追い抜いて行った。 トラックは中国製であった。 ビルマで穫れたカボチャをタイ側へ売りに行くところなのだろう。 次に向かったのは水族館。 ここプラチュアップキリカンには水族館をはじめとした海洋センターがあるらしい。 天気も今一つなので水族館で魚たちにでも挨拶してくることにした。 ワゴー水族館というなかなか立派な建物である。 早速見学と建物の中に入り、入場券売り場へ行くと「改装中」と書かれて、売り場の窓口が閉まっている。 なんだい、せっかく来たのに残念。 土産物屋は開いているので、どんなものが売ってるかと覗いてみたが、魚や亀の形の人形や記念写真、アクセサリなど、まぁそんなもんでしょと言った感じながら、土産物屋の奥に水槽があり、ウミガメがいた。 それに水族館の入り口は改装工事で閉まっているものの、裏口は無料開放中らしい。 これはひょっとしてラッキーかもと、喜んで中に入ると、海軍事務官の慰安旅行と鉢合わせしたらしく、カーキ色の事務官服を着た連中で満員であった。 彼らは慰安旅行という気安さからか水槽の魚をバックに記念写真など撮り合っている。 裏口から入るとすぐトンネル型の水槽があり、大きなエイがトンネルの天井部分を悠々と泳いでいる。 エイを腹側から見ると何とも愛嬌のある顔に見える。 また、巨大な円筒形の水槽があり、それは周囲をめぐるように階段があり、水槽を回りながら上に登れるようになっている。 下の方には大きなハタが無表情で泳いでいる。 表情が変わらないながら、無表情と言うよりなんだかとても不満そうな顔つき。 バンコクのスーパーや市場の魚売り場でもときどき見かけるし、食べるとおいしい魚ではある。 そして水槽の上の方にはサメが泳いでいた。 水槽の周り昇りつめたら、そこから先は工事中で先へ先へ進めず、またもと来た裏口へ戻ることになる。 この水族館裏にも長くなかなか素敵な海岸があり、砂浜もきれいであったが、残念ながら遊泳禁止区域らしい。 この水族館周辺はさまざまな施設があり、海水浴場として開放したらもっと人気も出そうな気がするが、遊泳禁止にするにはきっと何か事情でもあるのだろう。 駐車場わきで切り売りのパイナップルを買って食べる。 20バーツであったが、酸味がほとんどなく、柔らかく甘いパイナップルで、パイナップル特有の筋張ったところもないとてもおいしいパインだった。 次に再びプラチュアップキリカンの市内へ戻る。 この写真は前日に撮影したものであるが、カオ・チョン・クラヂョクという頂上に丘である。 このカオ・チョン・クラヂョクとはタイ語で鏡の山という意味で、1988年に発行されたAPA PUBLICATIONS(HK)のInsight Guidesという洋書のガイドブックの中にある写真の一枚がこの丘の頂上で女性がノートを広げているものがあった。このガイドブックではプラチュアップキリカンについてほんの少ししか紹介されていなかったが、この写真は眼下に砂浜と海岸線を望むなかなか素晴らしい写真であった。 せっかくプラチュアップキリカンに来たからには、そんな景色を実際に目で見てみたい。 崖の上に腰かけてノートを広げていた女性はジーンズ姿だったが、学生だったのだろうか、、などと考えながら鏡の山に向かう。 鏡の山は市内の真ん中、市庁舎のすぐ真ん前にそびえている。 そして396段の階段を昇っていくことになる。 あいにくの雨だけど、階段を上り始める。 途中まで登って振り返ると、なかなかいい眺め。 曲線を描くビーチと長い桟橋、そして海面にはたくさんの小舟。 昨日この海岸線沿いにたくさんのシーフードの店が並んでたっけ、、 岬の裏側はマナオビーチ。 軍の滑走路も見える。 長い階段を雨に打たれながら上り詰めたらサルの大群が頂上を占拠していた。 黄金色に塗られた小さな仏塔もサル山と化して、子ザルたちが我が物顔で駆け回っている。 女学生が崖のふちに腰かけ、背後に見えていた海岸線の景色はこの景色だった。 蛇行し、河口付近で海と並行してから流れ込む川、 岬の先に並ぶ丘、 確かにこの景色だったはず。 しかし、当然ながらノートを開く女学生は見当たらない。 彼女ももういい年になっていることだろう。 そして、女学生の代わりにサル サル、サル、サルだらけ。 憧れの写真の現場に来て時の流れと現実を肌で感じ取って納得したので、階段を下る。 下から犬が雨に濡れながら階段を昇ってくる。 犬猿の仲というものの、こでは多勢に無勢、犬はサルに遠慮しているようにも見える。 車の中でネコは待ちくたびれていただろう。 市内で昼食にクオッティオを食べたら午後2時を回っていた。 風邪気味に加えて雨に濡れ、ペッチャカセム通りをバンコクに向かって北上する道のりが随分と長く遠く感じた。 バンコクに着いたらもう夜8時、いやはや、疲れました。 |