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ラビットで花見が実現
3月下旬にもまた一時帰国。
住宅ローンの一部繰り上げ返済の期日が3月27日(月)であったこともあるのだけれど、東京でサクラを見てきたいという希望もあった。
ここ何年か、東京でのサクラの開花は年々早まっているそうで、3月下旬には満開となり、4月には散ってしまうらしい。
以前の記憶だと、サクラが咲くのは入学式のころだったと思っていたけれど、最近は卒業式の花らしい。

サクラ
[このクロネコ、研修生が誕生日にくれたもの]

これも特別な理由はないのだけれど、今回の一時帰国は奮発してビジネスクラスで飛行機を予約した。
ビジネスクラスと言っても、利用するのはいつもの中華航空なので、大騒ぎするほど高額と言うわけではなかった。

それでも結果としては「猫に小判」のようなモノで、身分不相応なことをすべきではないということがよく解った。

猫に小判
[身分不相応で搭乗拒否されても不思議でない]

とりわけ機内食では失敗をした。
せっかくの料理も、飛行機に乗る前にいつもの習慣で、さんざんラウンジで飲食してしまったためほとんど箸をつけられなかった。

以前なら、胃袋の拡張機能に自信があったので、いくらでも食べられたし、アルコールさえ含有されていればいくらで飲めたものが、今回、特に帰りは台北からバンコクへのフライトではサラダしか食べられなかったし、ビールもグラスに半分しか飲めなかった。

和食メニュー
[最初の機内食は完食できた]

なお、その機内食も「植物由来のメニュー」とかを事前に注文しており、ミシュラン・グリーンなんとかというレストランのものらしいのだけれど、特別美味しいとは感じなかった。
空腹でないことも原因だけれど、ビーガンとか言われる料理、肉の代わりに野菜や穀物を使った料理と言うことになっているのだけれど、そもそもそのあたりが満足度を高められなかった原因かもしれない。
タイでもギンヂェーと呼ばれる精進料理は肉を使っていないので、私も好んでよく食べている。
普段からあんまり肉を食べたいと思っていないので、肉の入らないギンジェーは安心して食べられる。
タイのギンジェーは中国人の影響を受けたもので、中国式に肉に見立てて豆腐などを加工したものを使っていることが多い。
見た目は肉や魚そっくりなんてものがたくさんある。
味もなんとなく似せてあるようだ。
しかし、それらはあくまでも肉の代わりの代用品で、肉の代わりに過ぎない。
その点で、日本の精進料理は、肉の代用品と言った発想ではなく、肉以外の食材の美味しさを追求していることで優れていると思う。
最近はやりのビーガンとかは、もともと肉食人種の西洋人の発想から生まれているから代用品の域を抜け出せないのではないかと思う。

ビーガン機内食
[白身魚のフライに見せかけてあるけど、中身は湯葉に似ていた]

3月25日の夜に東京へ入り、28日の飛行機で東京を離れたので、実質
中2日の滞在。
今回は銀行の手続き以外にサクラを楽しみたかったのだけれど、滞在中の天気はあまりよくなかった。
ほとんど毎日雨模様。

ラビットスクーターの補修も雨が降っては作業ができないので、雨が止んだタイミングで行う。
その補修で、今回の作業のメインと考えていたのがキャブレターの補修だったのだけれど、ちょっとした手違いで注文していたガスケット類が届いていなかった。
26日の夜には郵便速達で届いたのだけれど、それまではキャブレターを分解して石油で部品の一つ一つを洗浄し、細かな穴にスポイトで石油を流し込んで、目詰まりを除去したりした。

サクラの方は、自宅前に大きなサクラの老木があり満開に近いくらいに花を咲かせているが、下から眺めても雨雲の下だとあんまり色的に映えない。
やっぱり青空の下で咲いているのが見たかった。
小雨降る中、傘をさして自転車で小平霊園へ墓参りにも行ったけれど、こちらもサクラは咲いていても何だか寂しげ。

サクラ
[児童公園がサクラ色になっている]

毎度、一時帰国のたびに色々とドジを踏んでいるのだけれど、今回も2つほどドジをしてしまった。

一つはタイから履いてきた靴の底に穴が開いていたこと。
これは、以前はいていた靴で、穴が開いたので買い替えたのだけれど、間違ってアパートの部屋を出るとき、古い方の靴を履いてきてしまった。

穴の開いた靴
[靴底に穴が開いていると雨の日は辛い]

2つ目はラビットスクーターのカギを忘れてきたこと。
たぶんこれは前回の一時帰国の時、木彫りのキツネのキーホルダーにつけたラビットスクーターのカギをズボンのポケットに入れて、何かのはずみでキーホルダーからカギが外れて、カギだけがズボンのポケット奥に残っていた。
タイへ戻ってズボンのポケットに何やら古いカギがあるのに気が付いたのだけれど、その時はそのカギがラビットのカギだったことまでは頭が回らず、何か南京錠かなんかの古カギだろうと思って、その辺に放り投げておいた。

それが今回東京に戻ってラビットの補修をしようとカギを探したらば、カギのとれたキツネのキーホルダーしか出てこなかった。

結局、キーを回してラビットスクーターの電源を入れることは諦め、配線をいじくって、スイッチのオンオフ部分を直結してしのぐことにした。

27日、天気は少し回復して、雨は上がった。
ただし、空一面にどんよりと雨雲が広がっていて、太陽も青空も拝めないような天気。
それでも、ラビットの補修をするにはあまり問題にならず、早速ガスケットやパッキンなどを交換したキャブレターをラビットに装着する。
スパークプラグも新しいものに交換して、スターターボタンを押し、キックペダルを踏み込んだりしてみたら、意外とあっさりとエンジンが始動してくれた。
先月までと違い、回り始めたエンジンがすぐに停止してしまったり、アフターファイアが起きたりすることもなく、安定して回ってくれている。
ちょっとだけスローの調整をしてやっただけで、ポンポンポンと快調に回り続けている。
こうなると早速乗りたくなってしまう。
ほんとうはまだ乗り回したりするよりも先に車体の整備とかやるべきことはたくさんあるのだけれど、とりあえずは動くということで、それらは後回しにして、近所を走り回ってみる。
はじめはローギアだけで、ゆっくりと15分くらい走り回る。
うん、スロットルを回せばちゃんと前へ進む。
ブレーキを踏めば止まる。
あたり前のことだけど、やたらとうれしい。
次はギアをセカンドまで上げる。
ギアチェンジもできている。
サードまで上げると、スピードも出る。
いまのところ不具合は感じられない。

もう少し乗り回しができるようにとガソリンスタンドで給油をする。
前回までは、まるでガス欠のようにガソリンスタンドまで鉄の車体で重たいラビットを押して行き、給油後も押して帰るというみじめな姿だったのだけど、今回はスイーっとガソリンスタンドまで乗り付けて、給油することができた。
ガソリンを入れて足が伸びたので、団地内のサクラ並木があるところまで走ってみる。
青空ではないけれど、ほぼ満開のサクラ。
この団地ができて50年以上が過ぎている。
当時はまだ若かったサクラの木も、すっかり大きくなり貫禄十分な大木となっている。

サクラ並木
[ラビットでサクラの花見ができてうれしい]

更に足を延ばしてトトロの実写ロケができそうな古い農家の残る地区まで行ってみる。
こんな風景の中をラビットスクーターで走ると1960年代にタイムスリップしたような気分になってくる。

柳窪
[市内にはまだこんな風景が残っている]

市役所通りの道を走っていたら、通り沿いに近くの畑で取れた野菜の直売所があった。
ちょうどキャベツや大根が欲しいと思っていたので立ち寄ったところ、この直売所をやっている男性から声をかけられた。
彼は古い車やバイクが好きなのだそうだ。
私のラビットを見て、とても興味津々らしい。
それから少しの間ラビット談義をする。
そして、もし本当に欲しいようなら、次回もう一台あるラビットスクーターを譲りましょうかと言うところまで話が進んだ。
もう一台のラビットは、3年前にエンジンの試し掛けをしたら暴走してしまったトラブルがあり、たぶん原因は私のキャブレター調整ミスだったとは思うけれど、それ以来ずっと放置してきたので、動くようになるかわからず、半分部品取り用にしようかくらいに考えていた。
それに、ラビットを2台所有維持していくだけの余裕もなくなっいて、どんどん朽ちらせてしまっている。
もし、だれかが大事にしてくれるのならもそれも良いかと思った。
次回の一時帰国がいつになるかわからないけれど、もしその時にまだ興味があるのなら、見てもらおうかと考えた。

午後になって小金井公園へ足を運んでみる。
ここはサクラの名所としても有名。
広い緑地にたくさんのサクラの木が植えられている。

小金井公園
[都内でも有数のサクラの名所]

園内は月曜日と言うのにサクラ見物や行楽に来ている人たちがたくさんいた。
子供たちはたぶんもう春休みだから、遊びに来ていても不思議はないけれど、家族連れが目立つのはどうしてなんだろう。
在宅勤務が一般化して、日本の大人も自由な時間が増えたのだろうか。

花見のグループ
[まだ少し肌寒いのでテントを張って花見をしているグループ]

満開のサクラは生命力にあふれているけど、やっぱり青空が見えないのと、どんよりとして薄暗いから、サクラの色が綺麗に映えてこない。
そんな中で、枝垂桜は比較的曇り空でもきれいに見えるような気がした。
もともと細い枝が枝垂れていて、柳のようになよっとしている感じが昔の芸者さんのようなイメージだし、花の色も桃色が少し濃い目なものだから、薄暗くても色気がある。

枝垂桜
[枝垂桜は陽気なソメイヨシノと対照的]

28日、また朝から小雨が降っている。
もう少しラビットの調子を確認してみたいと思っていたけれど、小雨の中小平霊園まで往復するのがやっとだった。
あんまり雨の中を走るのも良くないし、それと昨日と比べるとエンジンのパワーが落ちているのが感じられる。
ほんとうに、古いラビットスクーターは気まぐれで、お天気屋だと思う。
だからこそ、愛着もわいてくるのではある。
最近のバイクや車は電子部品が多く、電子部品の耐用年数が過ぎたら、もう手の施しようもなくなってしまうのと比べ、ラビットには電子部品など全くないので、部品が壊れても修理が効く。
修理ができるうちは、修理し続けてやりたくなってくる。

小平霊園のサクラ
[小平霊園のサクラ、今回ラビットには乗れたし、サクラも見れたし、奮発した甲斐があったかも]

午後になって雨が上がったけれど、もう空港へ向かう時間。
帰りの便は、いままでと比べて接続が良くなり、台北の空港で一泊せず、そのまま乗り継げるようになった。
しかし、乗り継ぎ便が遅れて、バンコクのアパートに到着したのは午前3時になっていた。

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ピサヌロークでの新生活
1月20日にピサヌロークのバーンミースコーで部屋を借りたので、そろそろ一ヶ月がたつことになる。
部屋を借りる際に冷蔵庫をもう少し大きなものにしてもらうことと、洋服だんすかラックを用意してもらうように依頼したのだけれど、2月18日現在までいまだに用意してもらえていない。
「冷蔵庫は新しいのを買うからね」とは何度もいわれているのだけれど、まだ使える冷蔵庫がなくて不便をしている。

冷蔵庫も洋服だんすもやってないなままだけれど、ネコたちは我が物顔で部屋へやってくる。
ネコがやってきてくれるのは大歓迎。
私のネコが生きていた3年前もウォッカというオスネコがグァウォン、グァウォンと甘い声を出しながら、私のネコのところへ通ってきては、ネコパンチを浴びせられていた。
そのオスネコのウォッカもまだ健在で、部屋へやってくる。

ウォッカ
[古株ネコのウォッカ]

このアパートには何匹ものネコが住み着いている。
部屋にやってくるネコもいれば、来ないネコもいる。
やってくるネコのうち、一番部屋に来る頻度の高いネコはブラウニー。
小柄なメスで私のネコが死んだ後にアパートへやってきたネコである。
その当時はまだ小さな子ネコだったけれど、三ヶ月もしたらウォッオの子を孕んでいた。

ブラウニー
[ブラウニー]

ブラウニーは、たぷん私に一番なついているネコで、このところ私がアパートへ帰ってくるのを待ち構えていて、部屋の扉を開けると一目散に飛び込んでくる。
他にも部屋にやってくるネコにはウォッカそっくりなネコがいて、たぶんこのそっくりネコはウォッカがブラウニーに産ませた子ネコたちだったと思われるが、いまではブラウニーより大きくなっている。
これらが、私の狭い部屋を占領して遊びまわってくれるのだけれど、よく考えてみると、これらのネコは血縁関係のある親子という事になる。
しかし、部屋の中での様子を見る限り「家族」らしさはちっとも感じられない。
少なくともブラウニーはもうウォッカとの関係が切れているようで、ウォッカが近づくと威嚇して追い払ったり、ネコパンチを食らわしたりしている。

猫たち
[一家団欒ということになるのかも]

ネコたちは朝まで部屋で過ごしていくことも多い。
私と一緒にベッドで寝ている事もあるし、部屋の隅やベッドの下にいたりする。
しかし、私が寝ている間、ずっと静かに寝ててくれているわけでもないらしく、朝になって目を覚ますと部屋の中にトイレットペーパーが散乱している事がある。
ウチのネコも時々やってくれていたのだけれど、トイレットロールと格闘するのがネコにとって楽しくてしょうがないらしい。

トイレットペーパー
[床に散乱するトイレットペーパー]

不便で狭い部屋だけれども、こうしてネコとの共同生活ができるのはこのアパートの最大のアドバンテージになっている。

タイではコロナも終わって、ふたたび街が活気を取り戻してくれてよいはずなのだけれど、どうも私の目に見えている範囲、行動範囲では、あんまり良くなっているように見えない。
すでに2年も前に私が贔屓にしていた「空飛ぶ空芯菜食堂」は閉店してしまい、ナーン川沿いの食堂街も寂しくなっていたのだけれど、それでもまだ何店舗かは営業を続けていた。
それが2月になったらすっかり取り壊されてしまっている。

ナイトバザール無残
[無残な姿になったナイトバザール食堂街]

オフィスのスタッフに事情を聞いたら、ナイトバザールを取り壊して、ナイトマーケットにするのだそうだ。
ナイトバザールとナイトマーケットがどう違うのか良く分からないが、更地にして週末の夜に屋台を誘致するのだそうだ。
この手のウイークエンドだけの夜店街が流行しているとのことらしいけど、本当だろうか。
なんか安直に過ぎる気がする。

そんな無残な姿をさらしていたナイトバザール食堂街に、ルンチュアイという店がゲリラ的に復活した。
もともと、ここで店を張っていたのだけれど、取り壊されてしまっていた。
そこへテントを張っての営業再開。
当局の許可があるのか不明だけれど、なんとなく応援したくなったので、夕食を食べに行ってみる。

ルンチュアイ
[ルンチュアイ]

営業再開した場所は、もともと空飛ぶ空芯菜の店があった場所。
川沿いにテーブルを並べてほしいところだけれど、テーブルは川沿いではなく通り沿い。
しかし、ここで空芯菜が空を飛んでいたかと思うとなんとも感慨深い。
いつまで営業できるのか分からないけれど、ときどき食べに来たいと思う。

***

1月25日から30日にかけてピサヌローク支店の常連さん二人とウドンタニからチェンセーンをへてピサヌロークまでぐるりと回ってきた。
スタートはバンコクからで1月25日はバンコクのアパートへ一泊だけ戻ていた。
翌朝はバンコクのオフィスへ出社するの際、通期なにクロンタン駅からアソーク(マッカサン)まで汽車に乗った。

通勤
[東部線の列車]

以前、首の手術をした頃、しばらくバイクに乗ることを禁じられていたので、朝はこの列車にひと区間だけ乗って通勤していたことがある。
オンボロ客車を寄せ集めでつなげて走っているが、車内は満員。
乗降デッキにも人があふれている。
もっとも、あふれているのは殆どが男子高校生で、わざとデッキにぶら下がっての乗車を楽しんでいるようにも思える。

この常連さんたちからの土産として「助六寿司」の折をいただく。
横浜の稲荷寿司で有名な店のものだそうだ。

助六
[泉平の助六]

26日のランチにいただいたけれど、なるほど名店と言われるだけあって、私が作る稲荷寿司とはまた9味が違う。
お揚げの中にギッチリと酢飯が詰まっている。
こんなに詰めたら揚げがはち切れるのではないかと思われるほど。
しかも、詰め具合が絶妙。
均一になっていて、スカスカもない。
味付けは甘辛の濃いめで、酢飯の中には加薬は何も入っていない。
私が作るのは五目稲荷が多い。

そして夜はバンコクからウドンタニまで寝台特急に乗る。
本当は一等寝台にしたかったのだけれど、予約しようとしたときにはすでに満員で、2等寝台しか予約できなかった。
私の印象では、一等は値段も高く、最後まで売れ残っていたと思っていたのに、どうも様子が違うらしい。
一等車から売れて行くようになっている。
こんなに一等が売れるのならもっと一等車の車両を増やすべきだと思うのだけれど、長い編成に一等車は一両きりしかない。

翌朝6時前にウドンタニに着き、お二人曰く「2等でもまったく快適だった」とのこと。
そのまま差回しの車に乗り込み、タレーブアデーンで朝日を眺めたりした。
タレーブアデーンでの朝日だけれど、どういうわけか人気がある。
確かに日の出は綺麗なんだけれど、タレーブアデーンのピンク色の睡蓮の花の色がほとんど見えない。
それに睡蓮そのものもほとんど花を開いていない。
だから、タレーブアデーンだから朝日が特に綺麗にみられるという感じが私はしない。

タレーブアデーン朝日
[タレーブアデーンでの日の出]

むしろ、太陽が昇って、十分に明るくなり、睡蓮も花を開いてからの方がずっときれいだと思う。
タレーブアデーンの朝日が神秘的とか言われているけど、それは普段は寝坊されてて、めったに日の出を見たことのない人のセリフなんじゃないかと思えてくる。

タレーブアデーン睡蓮
[青空の下のピンク色の方が絶対きれいだと思う]

シーチェンマイからチェンカーンへ向かう途中で昼食に立ち寄った食堂がちょっと変わっていた。
名前がHISO。
これでハイソーと読む。
ハイソサエティー、上流階級ということになるのだけれど、タイ人はこのハイソーと言う言葉が大好きなようで、様々なところで耳にする。
実際のところ、成金趣味と言った感じのものが多いのだけれど、タイの人はそれらをとても好んでいるように感じられる。

ハイソー
[ハイソー・レストラン]

この店、表通りから見ると、何の変哲もない田舎の食堂。
店内に入ると、ちょっとこじゃれた感じ。
料理は西洋風の肉料理が中心で、値段は田舎食堂としては高めの設定。
ここまでなら、田舎でもありえそんなのだけれど、我々がテーブルに着いたらマスターがあいさつに来て、「もしよければ個室がありますので」みたいんことを言う。

正直なところエアコンのない、道端の食堂で、戸を開け放った環境より個室の方が良いので、そちらへ入ってみたら、なるほどハイソーとはこのことかと納得してしまった。

別室
[これはオーナーの趣味なのだろうか、ちょっとドン引きしそうになった]

マスターに夜は営業していないのかと聞いたら、昼間しか営業していないという。
理由は夜になって、暗くなると、何の変哲もない田舎食堂の外観なので、お客さんが店を見つけられないのだそうだ。

チェンカーンではリバー・アンド・マウンテン・リゾートに2連泊。
ここの朝食は私にとって特に美味しいと感じられるので、とっても気に入っている。
豪華な輸入食材とかは全くなく、地元の食材だけだけれど、味付けも内容もとても良い。
オレンジジュースなんか、あまりの美味しいので、何杯もお代わりをしてしまった。

ただ、チェンカーンで3年だったのはプートーク山から、日の出は見れたけど、雲海が見られなかったこと。
何度もここに来ているけれど、雲海が見られなかったのは、これが初めて。

そして残念だったのはもう一つ、プーロムローのサクラ。
ほとんどの木で花が散り、葉桜になってしまっていた。
山へ案内してくれたトラックの運転手は、見ごろは1週間くらい前までだったねと言う。

サクラ
[かろうじて花を付けていたサクラの木]

*****

ラビットスクーターの整備で、手に負えなくなっているものに燃料コックの中に入っているコルクの部品がある。
ピサヌロークのバイク屋に作ってくれるように依頼したが、初めは「簡単簡単、3日でできる」と言っていたのだけれど、結局1週間たっても作ることはできなかった。
そこで、日本でラビットのレストアを趣味にされているラビットハウスさんへ連絡してみる。
ラビットハウスさんでは、レストアだけではなく、部品の再生販売もしていて、コルクの部品もあるという。
タイよりも費用はかかるけれど、これが確実。
そのラビットハウスさんよりバイクのピストンをタイで探してほしいとの依頼が入る。
スズキのTS125というバイクのピストンがラビットに流用できるらしい。

10年以上前にもラビットハウスさんから依頼を受けて探したことがある。
あの時はバンコクのバイク部品問屋街で簡単に入手できた。
しかし、あれからもう時間もだいぶたっている。
ピサヌロークのバイク部品屋でも一つ見つけ出す。
手に入ったピストンはHONSAIというメーカーのモノらしいが、"Made in Japan"と書かれている。
日本にHONSAIなどと言うメーカーがあるのか知らないし、ネットで検索しても出てこない。
タイでよくある疑似日本メーカーみたいな気がする。

ピストン
[Made in Japanと書かれているが極めて疑わしいピストン]

ネットショップでも探したところいくつかヒットしたので、発注をかけてみる。
しかし、ネットショップなどこれまでほとんど利用したことがない。
タイ人の間ではかなり普及しているようなのだけれど、いま一つ現物を見ないで買うというのに抵抗を感じている。
オフィスのスタッフに代理で発注をかけてもらったのだけれど、必要数を一度に納品できるところがなく、いくつかに分散することになった。
その中には、発注後翌々日には商品を届けてくれたところもあった。

通販
[ネットショップから届いたピストン、製造元の記載はなかった]

しかし、発注したショップのうち3店は最後まで商品を送ってこずに、最終的には通販サイトに返金を求めることになった。


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2023年、新しい年の始まり
1月20日(金)、ピサヌロークのワットチャンタワンオーク裏にあるバーンミースコーへ移ってくる。
つまり、ここに生活の拠点を置くことにする。
一年数か月前まで住んでいたところであるが、以前住んでいた部屋は他の人が住んでるということなので、別の部屋へ入った。
以前の部屋も狭かったが、今度の部屋はそれよりも二割くらい狭い。
冷蔵庫は半分くらいの大きさしかなく、机やイス、クローゼットやハンガーもない。
部屋にあるのはベッドぐらい。
それでも、部屋に窓があるのが気に入った。
他の空き部屋はどれも部屋に窓がない。
タイの人は窓などなくても気にならないのだろうか。

部屋
[バーンミースコーの部屋]

バーンミースコーは以前住んでいたのだけれど、快適な生活空間だったとも言い切れなかった。
西日で暑いし、廊下などの共通部分の掃除はされていないし、かといって家賃が安いわけではない。
ときどきビサヌロークへ出張してくるたびに利用してきたリタイゲストハウスも、月決めの家賃は同額か少し安いくらいで、しかも部屋の掃除もしてくれる。
オフィスへも近いし、車の駐車場もある。
でも、バーンミースコーにしたのはネコとの思い出があるから。
そして、ここにはここで飼われているネコたちがいて、ネコが身近だということ。
まだ今日はここに入って三日目だけど、またそのうちにここでの不便さがネコのアドバンテージを上回ってくるときも来るだろう、そうしたらまた別に部屋を探せばいい。

クリスマスパーティー
[ピサヌロークのスタッフとクリスマスパーティーをトップランドホテルで行う]

2023年になったわけだけれど、大みそかの晩は、夜9時過ぎにはベッドに入って寝てしまった。
タイ東北部やちょっとだけラオスへ行ったりして、12月31日の朝にバンコクへ戻ってきたので、疲れと寝不足があった。
日付が変わる深夜零時に外から打ち上げ花火が上がる音が響いてきたけれど、うるさいなぁぁと思うだけで、見ようともせずまた眠ってしまった。

凱旋門
[ビエンチャンの凱旋門]

年明けはその代わり早起きをして、ジョギングなどいつも通りの朝を迎えた。
朝食には2週間前に一時帰国したときに買ってきた餅を使って雑煮を作ろうとしたが、買ってきた餅がことごとく緑色にカビが生えていた。
日本ならこの時期は寒い冬だし、カビもそんなに生えないのだろうけど、やっぱりタイは暑いので、カビも良く繁殖するようだ。
切り餅の表面をカビもろとも削り取ったら、餅の大きさが半分くらいに小さくなってしまった。
なので小さくなった餅を4つ入れて雑煮を作って食べる。
お屠蘇にも、飲み残しの日本酒を飲む。
正月の三が日は仕事もないので、アパートの部屋の中でダラダラと過ごす。
そして、早く餅を食べきってしまわなくてはならないと、餅を食べ続ける。

クジラ岩の夜明け
[年末ぎりぎりまでツアーがあり、クジラ岩での日の出も見た]

1月3日に車を運転してピサヌロークに入る。
ピサヌロークへ向かう道は問題なかったが、上り車線は大渋滞になっている。
これまでコロナで移動制限があったりして、正月でも規制できなかった人が一気に動き出して、そして帰ってきているのだろう。

ピサヌロークの町に入る手前の整備屋でオイル交換をする。
1万キロごとの交換ということになっているが、もうだいぶオーバーしてしまっている。
オイル交換をしていた整備士がタイヤにトラブルがあるという。
一緒に確認してみると、タイヤの側面にタンコブのようなモノができている。
整備士によると、何かに乗り上げたり、ぶつけたショックでタイヤの中のワイヤのようなモノが切れてしまったのだろうという。
このまま放置すると破裂することもあるという。
タイヤを交換すべきと言うんだけれど、このタイヤは2年前に交換したばかり。
まだそれほど走っていないし、溝もすり減っていない。
タイヤは一本が3千バーツほどらしいけれど、一本だけの交換は、バランスが良くないから4本全部交換すべきと言う。
走行中にタイヤが破裂したら事故の元だけれど、整備士が言うには、前輪の破裂は危険だけれど、後輪なら破裂しても大きな事故にはならないはずと言うので、タイヤのローテーションだけをしてもらう。
時限爆弾を抱えたような感じだけれど、スピードさえ出さなければ、何とかなりそうな気もする。

塗装
[ラビットスクーターの一部の板金塗装をしてもらったが、塗装仕上がりの満足度は低い]

1月10日の夜からはまた日本へ向かう。
いつも通りの台北経由の中華航空。
台北で仮眠して、翌朝はラウンジからネット経由で会議に参加。
このラウンジのネットは時々切れるので、熱弁ふるってても一人芝居になっていたりしていた。
それと会議ということなのでラウンジにいるにも関わらずビールも飲めなかった。

成田へ向かうフライトでは伊豆半島の沖上空から小さく富士山が眺められた。
12月の時は飛行機が満席だったけれど、今日は空席が目立つ。
そして、成田に着いたらもう日が暮れていて、1日がとっても短かったような気がする。
さて、成田の空港では、先月トラブルがあって飛行機に載せられなかったラビットの燃料タンクは無事に空港側から返却してもらえた。
あの時の航空会社係員には感謝でいっぱい。

富士山
[遠くに頂上を見せている富士山]

今回の一時帰国の目的も銀行での手続き。
朝から自転車をこいでひばりが丘の銀行支店へ行く。
銀行の人たちも親身になって対応してくれるのはうれしいのだけれど、銀行のルールと言うのはなかなか厳しくて、いつでも連絡の付く電話番号を登録しなくてはならないらしい。
しかも、登録できるのは日本の携帯電話番号だけ。
タイの携帯ではだめなわけで、仕方なくひばりが丘駅周辺の家電量販店や携帯電話を販売店を軒並み訪ねてみたけれど、タイのようなプリペイドの簡単なSIMはないと言う。
しからば、仕方ないので携帯電話の契約をして、SIMを買おうとしたのだけれど、こちらも販売員が熱心に手続きを進めてくれたのだけれど、最後の身元確認書類で味噌が付いた。
マイナンバー、運転免許、健康保険などの書類でなくては身元確認できないという。
パスポートの場合は、ほかに住民票を添付しなくてはならないらしい。
まったくルールがやかましすぎる。
最終的に、手続きはまた来月に持ち越し。
来月24日にアポイントを取り付ける。
これで結局半日潰れてしまう。

午後からはラビットの補修作業。
先月はスパークプラグがかぶるだけで、プラグを磨けばエンジンは一瞬回り、またすぐ止まりの状態だったけれど、こんどはまるでエンジンがかからない。
スパークがかぶるということは、キャブレターの目詰まりか何かのはずで、キャブレターをガソリン洗浄してやる必要がある。
ガソリンはもともとラビットスクーターのタンクに入っていた古ガソリン。
ガソリンは茶色く変色しているのは、もともとオイルの混ざった混合ガソリンということもあるけれど、錆が大量に混じりこんでいるため。
こんなガソリンだからキャブレターも目詰まりを起こすのだろう。
しかし、この汚い古ガソリンではどうも洗浄したことにならなかったようだ。
キャブレターを組みなおしてエンジンに取り付けてみたけれど、やっぱりエンジンはかからない。
キレイなガソリンを買いに行かなくては。

ラビット修理
[気長に修理するしかない]

手にガソリンタンクをぶら下げて、ガソリンスタンドまで歩いてガソリンを買おうとしたけれど、ガソリンは売ってもらえなかった。
車やバイクに給油することはできるけれど、それ以外のタンクとかへの給油は消防法で規制されているのだそうだ。
ここでも日本のルールの厳しさに立ち往生。
ならば、ラビットにタンクを取り付けて、押して来れば、不動車には給油してはならないという規制はないらしく、ガソリンを売ってもらえるようだ。
しかし、もう時刻は3時を回っている。
もう少ししたら暗くなり始めてしまい、作業はできなくなってしまう。
もはやこれまで。
本当は日が暮れたら銭湯へ行きたいと思っていたのだけれど5時からまたネットで会議に召集される。

日本での3日目、朝からラビットの補修を再開。
12月と比較して、車体の錆がより深刻になってきている。
シート下のボディー鉄部は、錆が深くなりすぎて穴がたくさん空いてしまっている。
このまま放置はできないけれど、板金屋にでも持ち込まないと、とても素人には手に負えなさそう。
ネットのオークションなどを見ると分解されてバラバラの部品となったラビット残骸が売られていて、その中には私のラビットよりずっと程度の良いボディーが1万円くらいで出ている。
それを買えば簡単だけれど、でももともとのラビットをなるべくそのままで復活させてやりたい。
タイなら仕上がりに問題はあるにしろ板金など簡単にやってもらえるけど、今の日本ではコツコツと板金修理してくれるところは少なさそうだし、値段も張りそう。
昼から1時間ほどまたネットでの会議参加のために作業を中断する。
燃料タンクを取り付けたラビットを押してガソリンを200円分だけ買ってくる。
100円ショップへも行って小さなスポイトも買ってくる。
スポイトでキャブレターの中の小さな穴へガソリンを吹き付けて洗浄する。
丁寧に何度もガソリンをピュッピュと吹きかけて、ゴミもだいたい出てこなくなったところで組みあげ。
最初はなかなかエンジンがかからなかったけれど、しばらくしたら快調にエンジンが回るようになった。
でも、連続して回るのも1分が限度。
ガソリンタンクに取り付けるフューエルコックがダメになっているので、タンクからのガソリンを引いてくることができず、キャブレターにはスポイトでガソリンを送り込むという苦肉の策。
そのため少量のガソリンしか補給されないのですぐにエンジンが止まってしまう。
しかし、これでエンジンだけは復調できそうなことが判明して嬉しい。
フューエルコックは、中のコルク部分が萎縮しており、コルクの交換が必要。
ネットで調べてみるとラビット愛好家諸氏はワインのコルクを削ったりして、自作しているらしい。
しかし、自作するにはいろいろと工具が必要なようだし、腰を据えた作業となりそうなので、ワインなら何本でも空にしてコルクを用意することができそうだけれど、自作する自信がない。

錆穴
[ここまでくると錆穴どころではない]

と、こんなことをしている間に日没となる。
スーパーでおでんセットを買って夕食とする。
セットの具材だけでは寂しいので大根と厚揚げも買って鍋に入れる。
飲み物はウイスキーのお湯割り。
日本の大根は大きいので食べきれず、半分はタイへ持ち帰ることにする。

最終日、気温はそれほど低くないのだけれど天気は良くなく、今にも雨が降りそうな空模様。
毎日欠かさ自転車でず墓参りに行ってくる。
いつ雨が降りだしてきてもおかしくない天気なので、ラビットの補修は中断してまた次回と言うことにする。

昼に高田馬場で待ち合わせて息子に会う。
雨が降っている。
大学時代によく食べたという鳥そばを食べようという。
駅から歩いて20分ほどのところにある小さいけど小ギレイな店。
店の前には傘をさして順番を待っている人が列を作っている。
もともとラーメン屋でラーメンを食べると言った経験は久しくない。
ラーメンが好きではないというわけではなく、インスタントラーメンを食べれば満足してしまうタイプなので、何百円もするラーメン屋のラーメンなどもったいなくて注文する勇気がないだけ。
しかも、この鳥そば、一番安いものでも千円を超えている。
自分ひとりだったら絶対敬遠してしまうはずだ。
味の方は、スープに鶏の脂を強く感じた。

成田から台北へはプレエコノミーと言うシートへ案内された。
普通のシートより少し広いし、座り心地も悪くない。
しかし、隣の席とを仕切るひじ掛けが上げられないのは、ちょっと残念。
隣も空席なのでゴロリと横になりたいところだった。

機内
[座っている分には快適]

帰りも台北の空港で夜明かし。
ラウンジは朝5時半からの営業で、6時過ぎにはバンコク行き便の搭乗開始だから、ラウンジで朝粥くらいしか食べられないなと思いながら仮眠を取っていた。
深夜でも便の発着があり、アナウンスが流れてくるけれど、気にせず寝ていた。
少しずつ周囲が騒がしくなり、腕時計を見たらば5時半を少し回っている。
そろそろラウンジへ行くかと、起きだして、ラウンジに入りそのままトイレへ入ってしゃがみこんだ。
そはたらアナウンスで私の名前を呼んでいる。
どうも去年から飛行機に乗るたびに呼び出しを喰らっている。
さて今回は何だろうと思って受付カウンターへ行ったら、もうバンコク行き便のファイナルコールだから急いでゲートへ行くようなと言われた。
なんだ、まだ搭乗開始時刻まで30分くらいあるはずなのに変だなぁと思いながらも、ゲートへ向かって歩いていたら大変な失態に気が付いた。
腕時計はタイ時間のまま。
タイと台湾には1時間の時差があるので、当然もう搭乗完了していなければならない時刻。
これは寝ぼけているからなのだろうか?
最近は物忘れがひどくなり、自分でもなにボケてんだろうと思うことが多くなったが、ここまでひどくなっているとはショックである。

バンコクへ到着して、日曜日ではあるけれどオフィスへ行って仕事をする。
翌日からチェンライ支店に東京の本社から監査が入るので、その準備と対策をしなくてはならない。

で、明けて月曜日。
朝5時前にタクシーに乗って空港へ急ぐ。
チェンライ行きの飛行機は6時半発。
空港はこんな早朝と言うのにすごく混雑している。
タイ人と同じくらいたくさんの西洋人観光客がいる。
手荷物検査も長い列ができていて、またもやファイナルコールで急き立てられる。

チェンライには2泊3日の滞在で、監査では大きな問題も指摘されずに済み、次の目的地のピサヌロークへバスで向かう。
いままでチェンライからピサヌロークへはキンダムツアーと言う会社のバスを利用していた。
このバスはチェンライの出発が午前8時。
しかし、今回はそれより一本遅いウィンツアーというバス会社のバスを利用してみた。
キンダムツアーより運賃が100バーツ以上も安い。
更にうれしいことに、キンダムツアーでは立ち寄らないピサヌローク市内のバスターミナルが終点となっている。
いままでキンダムツアーを利用してきて、郊外のバスターミナルで降ろされ、そこで長い時間ソンテオを待つか、タクシーを奮発しなくてはならなかったけれど、ウィンツアーだと市内のバスターミナルへ行ってくれるので、費用的にも、さらにうれしい。
チェンライからピサヌロークまで所要時間は7時間半ほどであった。

そして、ピサヌローク3日目にしてバーンミースコーへ落ち着くことになった。
ここで、良かったと思えるのは、やっぱりネコたちがいるということ。
夜になると部屋に遊びに来てくれる。

1月23日は誕生日。
ピサヌロークのスタッフからメモ帳などのプレゼントをもらうがパーティー費用は私が負担のタイルール。
安上がりに抑えるためにまたまたトップランドホテルのブッフェ・ディナー。
4人で860バーツ也。
食べ物も値段相応だけど、満腹にはなった。
そして59歳になった。

ワットチャンタワントク
[ネコを焼いてくれたこのお寺が近くにあるのも部屋を選ぶポイントだった]

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| 日常 | 01:30 PM | comments (0) | trackback (0) |
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